分節
閉ざされた壁を嘆くのは確かこれが初めてでは無いだろう。城を右手に直進。同じ場所をぐるぐると回っていることに戸惑い、途方に暮れるかもしれない。デジャブ。残念ながら壁に頭を下げようが打ちつけようが城には入れまい。そんな時は少し寄り道をしよう。急がば回れ。海老で鯛を釣る。
仮に人間個人を数で表すとしよう。ある人、ここではAとする、の値が96である。もう1人の人、ここではBとする、の値が97であった。一般的には因数の多い方が良いとされているとする。因数とはここで言う、共通項、例えば国や宗教、慣習などの要素である。共通項が多ければ多いほど2者の間の最大公約数が大きくなる(A:96, B:97なら最大公約数は1, C:12, D:24なら最大公約数は12)。これは値が大きければ大きいほど理解が促進され、意思疎通が楽であり、過ごしやすくなることが予想される。社会性と言ってもいいかもしれない。最小公倍数はバベルの塔。つまり素数である97は無用の長物であると思われるかもしれない。しかし、96が褒められる謂れが無いのと同じぐらい、97であることを恥じる必要はない。これは97に向かって言っているのでは無い。96に対してでもその因数に対してでも無い。あらゆる要素に対してだ。独立していると信じているであろう全ての要素に対して。フラクタル図形の美しさに一度でも魅入られた者なら分かるだろう。それらはずっと続く。気の触れそうになる程に。分節を必要とするのはあちらでは無い。こちらなのだ。
されど、劇場と墓場はそのどちらでも無いのだ。駅のホーム、中間点なのだ。因数が、要素が多いこと少ないことが何だ。劇場に記憶は、墓場に金と口は持ち込めぬ。空白の舞台と線香の香りしか残らないのに何を惑うことがあろうか。