第8話 誕生日おめでとう。私達を忘れないでね。
第二章 ルーサ・十五歳
その端正な外見から、施設内の女子はもちろん、時々行くだけの街の女子からも人気があるルーサだった。しかし彼に意中の人間はいなかった。自身をまるで恋愛経験者のようにセルに話すが、今まで誰かと付き合った事は無い。どこかで「成人までの命」と刷り込まれているから、恋愛をしたいと本気で思った事は無かった。女子と楽しくお喋りし、それで満足していたのだ。それ以上を望むのは意味がないから、ラルムとレイナの関係性をどこか不思議に思っていた。
そんな彼が雑貨屋の店番をしていた女子――アリスを一目見た時、説明のつかない感情の波が体を走った。こんな事は今まで一度も無かったから、これが何なのか分かる筈もなかった。それから事あるごとに彼女の顔が脳裏によぎる。考えると胸が高鳴る。授業中も、誰かと話している時も。彼女に対する気持ちが曖昧なまま、セルに彼女の存在を話してみたが、有無を言わさぬ勢いで一蹴された。
周りの人間に対してさほど興味の無いセルの事だ。親身に聞いてくれるとは期待していなかったが、こうもあっさり「興味無い」と返されるとは。自分はセルの『親友』だと思って行動を共にして来たが、果たして『親友』とは何なのか。そしてセルは自分を『親友』と思っているのか。どちらの答えも自信がないので、表には決して出さずいつもお気楽に笑っている。
「明日はラルムの……」
教室にあるカレンダーを指でなぞる。明日の日付に『ラルムの誕生日。おめでとう!』と書かれた形跡があった。誰かが悪戯で書き、慌てて消したのだろうか。所々文字が残る、雑な消し方だった。
呪いは精密だった。どの子供が選ばれるかは誰にも分からないが、誕生した瞬間に異形の呪いである痣が出現する。つまり誕生日とひとえに言っても、各々決まった時間がある。リツカから聞き出したラルムの誕生時間は午後一時十二分。明日の朝誕生日会が行われ、すぐ機関の人間がラルムを引き取りに来る。そしてしかるべき場所で発動するよう細かく時間の計算をしながら、三日間の検査手続きに入るのだ。
詳しい事はルーサには分からない。いや、ルーサだけではなく、ここに住む人間誰にも分からない。だからどんな手続きを踏みどんな順序でそれがなされ、どうやって自分が変化するのかは、ここに住む子供達は絶対に知りえない。
今日ラルムは姿を見せなかった。誕生日会の前日の過ごし方は各々異なる。通常と変わらず授業を受け、何も変わらない者。そしてラルムのように授業は受けず、自室や施設内で自由に過ごす者。
「ルーサ、これをレイナに渡して欲しいんだけど……」
今日の当番の女子が、申しわけなさそうにそう告げる。おずおずと出された手には、ラルムへのお祝いの色紙だった。
「あー……。いいよ」
女子の顔が明らかに晴れ渡る。「ありがとう! ルーサ大好き」なんて頬にキスをして去っていった。
「そりゃあレイナにこんなの渡したくないよね」
誕生日会で渡す皆からの寄せ書き。「今までありがとう」なんて毎年決まった文字が躍る。それでも他の子供の時はカラフルに装飾されていた。ラルム相手には案の定、定型文のオンパレードで余白が大量に残っている。ルーサ自身も何と書いただろう。すんなり思い出せずにいた。
「何もおめでたくなんかないもんね」
世間で当たり前に行われている事を、施設でも積極的に取り入れる。一般の子供と同じ教育を受け、イベントを楽しむ。そんなリツカの方針は、子供達の心に小さな綻びを作っている。それをいつも指摘するのは決まってセルだ。ルーサは彼のそんな所を冷や冷やする反面、自分には出来ないそんな部分を羨ましくも思う。
レイナの部屋をノックしようとした時、僅かに声がした。どうやら男女が言い争っているらしい。
「あー……どうしようか……。うん……」
苦笑いをしたルーサだったが、扉に背中を預けて息を吐いた。ラルムは大抵セルに怒っていて、レイナもそれに同調するから二人がいるとその場の雰囲気が悪くなる。その波長が自分の心も黒く染めるから、嫌だなあなんて思う。気まずいな。置いて戻ろうかな。しばらくその場に背中を付けたまま立ち尽くし、あれこれ思案する。
すると背中に衝撃が走った。「うわっ」勢いよく開けられたドアから姿を見せたのはラルムだった。後ろでレイナが苦々しい表情を向けている。
「盗み聞きとはいい趣味してんなあ。レイナに用事かよ」
にやにやと笑うラルムに曖昧な笑みを返す。明らかに不機嫌なレイナがラルムの横に立った。
「何?」
腕を組み、ドアの淵に体を預ける。眉間に刻まれた皺が彼女の機嫌を表しており、ルーサは口ごもった。
「いや、後でいいや」
頭をかいて退散しかけたルーサの首根っこをラルムが掴み、「ぐうっ」と低い声が漏れる。
「俺がいたら困るのかよ」
ルーサの手元に視線がいった。ラルムが身長のアドバンテージを利用して、いとも容易くそれを奪う。「あ」と言った時にはもう、それはラルムの手に収まった。
「……! これ……」
レイナが唇を噛んだ。すぐにルーサに掴み掛る。
「こんなもん私は書かない……! さっさとどっか行って!」
レイナが怒りの形相でルーサの胸ぐらを締め上げる。さっきから散々な目にあっていると思いつつ、ルーサはそれを振りほどき息を整えた。そして二人を交互に見ると、口を開けた。
「僕だって嫌だよこんなの……。おかしいのは分かってるんだよっ」
珍しく声を荒げたルーサに、二人は思わず目を丸くした。
「何が誕生日おめでとうだ。何が忘れないでだ。僕達は……。僕達は誕生日が来る度に重く沈んだ気持ちになるのに、何で無理やり明るい言葉を書かないといけないんだ……。それがおかしいなんて分かってるんだよ」
悔しさを滲み出す彼を見て、レイナはそれ以上何も言わなかった。
「選ばれし者よ。我が国の救世主となる偉大な存在よ。今、目覚める時が来ました」
教室に集合した十四人。マダムリリーはラルムに眼差しを向ける。ラルムは唇をきゅっと結び、腕組みをして立っていた。ルーサは神妙な面持ちでそれを見つめる。他の子供達も、それぞれ重い表情で俯いている。リツカはマダムリリーと対面する形で、子供達を見守っていた。
「……ラルム」
ルーサが視線を向ける。絞り出すように発したのはレイナだ。眉根を寄せて、今にも泣きだしそうな顔をしている。ルーサは目線を変えると、さして気にする様子も見せないラルムが、レイナを見下ろしていた。
「これ、皆からの、メッセージ」
渡す役はその日の当番で決まる。当番表を見た女子が数日前から嘆いていた。相手はラルムだ。渡した瞬間に、どんな罵声を浴びせられるか分かったものではないからだ。
おずおずと遠慮がちに出された色紙を、ラルムは能面のように眺めた。
「ラ、ラルム……?」
早く受け取ってもらい席に着きたい女子を尻目に、ラルムは数十秒間微動だにしなかった。ルーサは内心冷や汗をかく。当番の女子の困惑を汲み取り、ラルムに受け取るように促そうと口を開きかけた。するとラルムはそれより先に右手を差し出し、無言でそれを受け取る。ほっとした女子は微かに笑顔になり足早に自分の場所へ向かった。両隣の女子が目配せをし、「良かったね」と唇を動かした。
「ラルム、そろそろ迎えが来ます。最後に挨拶をしなさい」
挨拶を促されたラルムは、一同を見渡した。目が合った女子は息を呑み、視線が外れるとあからさまにほっとする。
ふっと誰かの息が漏れた。一同が不思議に思うよりも前に、ラルムの肩が上下に揺れる。そして腹の底からぐつぐつと煮えたぎる何かが溢れだしたように、ラルムは笑い出した。
「ラルム……?」
ルーサは声を出した。すると困惑する一同を代表するかのように、レイナが一歩踏み出した。そしてラルムの体に触れようと手を伸ばすと、彼はそれを勢いよく振り払った。目を丸くするレイナを押しのけ、ラルムは足早に扉へ向かう。
「そろそろ迎えが来るんだろ?」
そして彼は誰からの返答を待たず、部屋から出て行った。
「嫌だ」
微かな声がした。そしてレイナが駆け出す。「嫌だ、嫌だ、ラルム……行かないで!」
レイナは駆け出した。無意識にルーサも後に続く。「レイナ!」叫ぶ彼の声を背中に受けるが、レイナは立ち止まる様子も見せず施設の玄関を勢いよく開ける。ルーサが追いつき目を向けると、今まさに機関の車にラルムが乗り込む所だった。レイナはつんのめりそうになりながら、閉まりかかった車のドアに半ばこじ開けるように手を突っ込んだ。ルーサは息を呑む。
時間にしてほんの数秒か。ルーサから見えない二人のやりとり。ゆっくりとレイナがドアから離れると、エンジン音をけたたましく鳴らしながら車は去った。後から続々とレイナとルーサの元に皆が駆け寄って来た。顔面蒼白のレイナを見て、真っ先に声をかけたのはリツカだ。
「レイナ? どうしたの?」
レイナを自身に向き直し、慌てた様子でリツカは尋ねる。いつものレイナなら憎まれ口の一つでも叩きそうなものだが、この時は固く目をつぶり沈黙をまとった。
「ルーサ、何かあったの?」
何も話さない彼女から視線を外し、リツカが問う。ルーサはかぶりを振った。リツカは頷くと、「レイナ、医務室に行きましょう」とそっと背中に手を置いた。
リツカの提案を拒否せず、素直に歩き出す。その場にいた者は内心何事かと思ったが、いつレイナにどやされるか分からないと、声を出さずにいた。そして一人また一人と、教室へ向かうために移動する。