第4話 祝福
施設に戻ってから、セルは『奇跡』の存在について考える。少なくともあの作者には、呪いを解く心当たりがあると言う事だ。名前も分からないので難しいが、どうにかして会えないだろうかと腕組みをする。
「ラルムとレイナには困ったものだよねえ」
ルーサが腕組をして溜息をついた。セルは「まあな」と同調し、背伸びをした。
生まれてすぐに実の家族と引き離され、この施設に集う呪われた子供達。勿論血の繋がりは無くとも、長い年月を共にした。マダムリリーもリツカも皆を家族だと言うけれど、セルは家族とは一体何なのか分からなかった。
「セル、ちょっといいかしら」
声をかけたのはリツカだった。ルーサとマイも視線を上げたが、リツカは微笑むとセルに向かって小さく頷く。セルは席を立ちリツカに続いて歩き出した。
着いた先はリツカの部屋だった。意外な行き先にセルは立ち止まったが、リツカは「入って」と声をかける。
「ココアでいい?」
セルに座るように促し、リツカはポットからお湯を注いだ。少量の熱湯でココアを溶かし、小さな冷蔵庫から出したミルクを注ぐ。白の家具で統一されたシンプルな部屋。棚には施設の子供達との写真が何枚も飾られている。
「先に俺が話していい?」
リツカはセルと向かい合ってベッドに座った。首を縦に振ると、セルの出方を待つ。
「呪いを解く奇跡って、知ってる?」
リツカは目を丸くしたが、「そう、図書館に行ったのね」と呟いた。
「私もその本は読んだ事があるわ。でもその作者の次回作は無いし、正直想像でしかないわよね。図書館にあるから明らかに変な本では無いにしろ、疑わしいとは思ってしまう」
リツカは顎に手を当て、何やら考え込んだ。そして多数の写真に目線を動かすと言葉を続ける。
「セルは呪いを解くって言っているけど、くれぐれも無茶な事はしないでね? ……でも私も思うの。こんな呪い、解ければいいって」
リツカは目を伏せ押し黙る。そして「次は私の番ね」と言い、セルを見た。
「あのね、今日の外出でも、ラルム達と揉めていたでしょう?」
セルの目を見ながら真剣に話す彼女。「……どうだっけ」。濁すセルに溜息をつく。
「ラルムは……もうすぐ成人でしょ? レイナも苛立ってる……。それは皆分かっているわね」
ココアの甘い香りがセルの鼻孔に届いた。セルから手元のカップに視線を落とし、リツカは続ける。
「ラルムはいつもセルに突っかかってる。勿論セルが何かしたとは思わないけど……彼を許して欲しいの」
セルはココアを一気に飲み干した。冷たさが喉を走る。ぐいっと口元を手の甲で拭うと、リツカに言葉を返した。
「許すも何も、俺は別に最初から気にしていない」
「……そうなの?」
「ああ。それに分かってるみたいだけど俺は何もしていない。でもあいつは俺やルーサ、マイに絡んでくる。だから俺も言い返す。ただそれだけだよ」
リツカはカップをテーブルに置いた。そして少しの沈黙の後、セルを見据えて言う。
「あなた達は年齢も近い。その分衝突もある。それは勿論分かっているの。仲良くお喋りしなさいなんて言うつもりは無いわ。でも家族として、相手に対する関心を持って欲しい」
家族。セルは瞬時に目を細めた。
「セルはラルムがどうなろうと、構わない。ラルムが辛い思いをしても、構わない。自分はラルムに関心が無いから。違う?」
リツカの言葉にセルの口元が歪んだ。そんなセルを見てリツカは何かを言いかけたが、すぐに彼は右手を突き出しそれを制す。
「家族だから?」
セルの低い声色に、リツカは瞬間息を呑んだ。しかし何事も無かったように話を続ける。
「そう。家族が悩んでいたり、様子が違ったりすれば、気になるのが当たり前じゃない?」
家族。度々大人が口にするキーワードをまたしても浴びせられ、セルは眉をひそめた。
「ここに住んでいるのは、痣の持ち主だから。仕方がないから。俺達の親は、黙って子供を手放す事しか出来なかったから。ただ、それだけなんだよ。リツカ」
セルは物心ついた時から何度か考えていた。親は子供の痣を見た瞬間、どんな気持ちだったのだろうか。この国につきまとう痣の呪い。機関に勤める人間も、もし自分の子供だったら?
果たして平静を装えるだろうか。国を守る尊い存在と思えるだろうか。
「……俺達を育てる事と引き換えに、マダムリリーは巨額の支援金を受け取っているだろ。施設の維持費とは別の」
予想していなかった言葉に、リツカは目を見開き下唇を噛んだ。分かりやすい彼女の様子に、セルは溜息をついて続ける。
「それは当然だ。別に金を受け取るのがどうとか、責める気なんてこれっぽっちも無い。ただ俺達を家族と言うのなら、その当然な話が歪になるんだ。少なくとも子供の俺からしたらね」
セルは写真を眺めた。小さい頃から彼女が撮りためたであろうこれは、様々な子供達の成長が垣間見れる。しかしセルは納得がいかない。写真では平和な世界が描かれていて、皆笑っているのが癇に障る。徐々に湧き出る怒りを抑え、彼女の言葉を待たずに畳みかけた。
「マダムリリーもリツカも、兵器になった後の子供達に、会いに行った事があるか?」
我ながら何と子供っぽいのだろう、とセルは思う。子供達の気持ちも分からず家族を強要する大人に苛立ちが募る。痣に爪をたて、目を閉じた。
「子供達を機関に引き渡してさあ終わり。じゃあないんだよな? 家族が旅立ったら悲しいだろ? そんなすぐに気持ちを切り替えるのは難しいよな」
ぎりぎりと食い込む爪が細かく震える。
「……ごめんなさい、セル」
暫くの沈黙の後、リツカの口調は重苦しかった。
「確かに母に対する国からの支援金は巨額よ。でも私は勿論、母だってお金が全てじゃない。いずれこの国を守るために変貌する子供達を、少しでも支えたかった。実の家族と引き離される運命は変えられなくても、実の家族と同じ位愛し合えるものにしたかった」
リツカはそこで深く息を吐いた。そして棚に飾られた写真に目を移す。ゆっくりと視線を這わせ、そして最後にセルの目を真っ直ぐ見つめた。
「信じて欲しい」
セルは何も言わなかった。それでもリツカは視線を外さない。どちらが次の言葉を発するかの間の後、扉をノックする音が二人に届いた。
「……はい」
そこでリツカが顔を扉に向けた。セルも一つ遅れて振り向く。すると遠慮しがちに扉は開かれた。
「マイ」
リツカは驚いた表情でマイを迎えた。
「どうしたの?」
リツカの問いにマイはしばらく黙ったままだった。そしてセルを見ると、何かを察したリツカが腰を落としてマイと目線を合わせる。
「セルが心配になったのね。安心して、マイ。セルを怒ったわけじゃなくて、お願いをしただけなの」
『お願い?』
リツカはかぶりを振った。
「ううん、もう大丈夫だから。二人共もう戻っていいわよ。セル、突然ごめんね。話を聞いてくれてありがとう」
セルはマイの肩を叩いて部屋を後にした。何か聞きたそうなマイだったが、セルから漂う不穏な空気がそれを許さなかった。
「ちょっと、いい加減にしてよね」
またか、とセルは溜息を一つ吐いた。目の前には眉間に皺を寄せたレイナが、腰に手を当てて忌々し気にセルを睨みつける。ショートパンツから覗くすらりとした足。その片方に体重を乗せ、椅子に座るセルを見下ろしている。
「なんだよ」
頬杖をついた姿勢を崩さず一言だけ返す。小さく舌打ちをしたレイナが、ばんと机を叩いた。一同の注目を浴びる二人だが、セルは意に介さず首を鳴らす。
「あんたの態度が気に食わないから、そろそろどうにかしてくれない?」
重い響きが部屋を支配する。ルーサとマイは、次の授業に使う資料をリツカの部屋から運ぶ手伝いをしている。二人が不在の室内。レイナの射貫くような視線を無視して、セルは一つ息を吐いた。
「俺の態度を指摘する前に、お前の態度はどうなんだよ」
レイナはぐっと息を呑む。
「とにかくうざいから。あんたもマイも。私達をこれ以上刺激しないでくれる?」
レイナの一方的な言い分に心底うんざりしたセルは、目を閉じて完全に彼女の存在をシャットアウトする。それに腹をたてたレイナが言い返そうとしたところ、リツカが教室に入って来た。
「何かあったの?」
レイナは大きく舌打ちをし、渋々自身の席に戻る。リツカの視線がセルへ向いたが、セルは気がつかない振りをしてやり過ごした。セルの態度にリツカはそれ以上何も言わず、続けてやって来たマイとルーサ、そしてラルムを迎え入れ、席に着くように言った。
「今日はみんなに大事な話があるの」
リツカの言葉に一同は静まり返った。何だろうと皆が緊張していると、少しの間言いにくそうにリツカは空を見つめた。そして意を決したように口を開いた。
「先生は、結婚する事になりました」
全員が驚き言葉を失った。しかし次の瞬間、室内は歓声に包まれた。
「おめでとう!」「すごーい! どんな人と結婚するの?」
女子が目を輝かせて問う。リツカは照れた表情を浮かべて、困ったように頬をかいた。
「どんなって……。うーん、ここの施設の運営に協力してくれている方で」
きゃーきゃー騒ぐ女子達の中、一人唖然とした表情を浮かべる子供がいた。
「ラルム……?」
レイナの言葉にラルムは返事をしなかった。目を見開き唇を半開きにし、リツカを凝視している。そして唾を飲み込む喉が動いた。
「結婚式はするの?」
ルーサは手を上げて言った。リツカは頭を左右に振り、「そんな大袈裟な事はしないの。入籍だけしようと思って。それも相手のお仕事の都合で、三ヶ月は先になるかな」
すると「えーもったいないー」「リツカのドレス姿、絶対に綺麗なのにー」と不満が漏れる。
そんな女子達を困った表情でリツカは制するが、それでも不満の声は鳴りやまなかった。