第3話 奇跡の証明
快晴と呼ぶに相応しい天気だ。ルーサははしゃいで走り出す。
「ルーサ! 慌てると危ないわ」
リツカが声をかけると、ルーサは素直に立ち止まりセル達を待つ。
石畳を踏みしめて進む。賑やかな商店街。活気が溢れ、子供達の心も浮足立っている。
セルがふと後ろに目をやると、ラルムにべったりとくっついたレイナと目が合った。向こうはあからさまに顔を背けたが、セルは特に気にもせず再び前方に向き直す。
「欲しい物がある場合は私に相談してね。時間になったら街の広場に集合。いいわね」
皆一斉に散らばった。セルはいつもと変わらずルーサとマイと三人で辺りを散策する。
今日は月に一度の外出の日だ。彼等が住む建物は周囲を巨大な壁で覆われている。施設と街を繋ぐ曲がりくねった一本道は舗装されているが、車でゆうに二時間はかかった。アーレンシュ城下街で一か月分の日用品を買い出しに出かける。食料は最低限。保存が効く物しか調達は許されず、日々の食事は代わり映えのしないものだ。いくら国の特別機関とはいえども、そう何度も施設へ物資が補給する事は困難な距離だ。
彼等も自由行動が出来るとあって、皆外出の日は気分が晴れやかだった。
「集合時間に帰らなかったらどうなるんだろうね」
ルーサの疑問に、セルは答える。
「どうもこうもないさ。国からしたら、俺達はいずれ殺人兵器になるんだ。どこへ行こうと最終的にはこの国を守る化け物になって、一生戦い続ける想定だろ。だから帰らない心配なんか、国がする必要がないんだ」
そう、たとえ自由を求めて逃げ出した所で、彼等は生きていけない。生まれた瞬間に数字を持つ人間は国の機関で登録を済ませ、施設へ送られる。脱走しようが子供達を匿ってくれる人間はいないし、いた所で十七歳になれば人間ではなくなるのだ。それを皆が分かっているから、誰も抜け出そうとしないし、そんな事を考えもしない。
「お、マダムさんとこの……」
肉屋の主人が気まずそうに声をかけた。セル達はこの城下街でも有名だった。いつからか目を潰されると噂される『異形のモノ』の呪いを前に、あからさまに避ける者、困ったような表情を浮かべる者、途端に噂話を始める者。様々な人間がいた。いくら将来は国を守る兵器になる彼等とはいえ、人々は圧倒的に恐怖心の方が勝っていた。
「呪いを解く方法について、知っている事はありますか?」
セルの突然の問いに、肉屋の主人は声を詰まらせた。
「い、いや……。そんな方法、あるのかねえ」
そう言って店の奥に引っ込むと、残されたセルの肩をルーサが叩く。
「街に来る度に色んな人に聞いてるけどさ。なかなか難しいよねえ……。そんなの知っていたら、誰かがとっくに解いているだろうし」
その言葉にセルは「どうかな」と返す。
「国にとっては呪いで国を守るんだ。呪いを解かれるのは困るんじゃないか」
歩き出したセルに、ルーサとマイも続いた。
「今日は図書館に行こうと思う。改装工事が終わっったって、さっき話している人がいたから」
「ああ、随分長い期間かかったよね。でもようやく調べ物が出来そう。集合時間があるから長居は出来ないけど、ちょっと行って見よう」
「見て、あの子かっこいい」
セル達を見て、通りすがりの少女の集団が歓声を上げた。セル達の正体を知らないのか、何度も後ろを振り返り口を動かしていた。するとルーサは得意気にセルを小突く。
「ねえ、やっぱり僕もてるでしょ?」
すかさずマイが微笑みながら返す。
『セルの事かも知れないよ?』
ルーサは一瞬きょとんとした表情になった。しかしすぐに腹を抱えて笑い出した。
「ちょっと、ないない!」
ルーサが大袈裟にかぶりを振る。セルは意に介さずその場から離れた。
「ごめんセル! いや、セルも確かにかっこいいけど、僕と比べるのはさあ」
ルーサは鮮やかなオレンジの髪に目鼻立ちが整っていた。柔和な物腰で施設内にもルーサを慕う女子はいる。
『私はセルの顔大好きよ』
マイの手話にルーサは口笛を吹く。「何だよ」セルはルーサを睨むと、「マイって時に大胆だねえ」と笑顔で返した。
「うるさいな。早く図書館に――」言いかけて止まる。目の前にラルムとレイナが立っていたからだ。こちらを待っていたのだろうか。道の真ん中で、二人はセル達を見据える。
「ぎゃあぎゃあうるせえガキ共だな」
ラルムが言うと、レイナも鼻で笑う。
「それはごめんな。でもお前らも施設ではこちらに負けじと、毎日うるさいと思うぞ」
先日のいざこざが再び燃焼しようとしていた。二人の眉間に皺が寄る。レイナはラルムの腕にしがみつくと、「ラルム!」と言い返すようにせっついた。
「てめえら目障りなんだよ」
「……ラルム。一体どうして昔から俺を敵視するんだよ。俺、お前に何かしたか?」
セルの返答にレイナが「……その余裕がむかつく」と吐き捨て飛びかかる。ラルムの数倍気が短い彼女は、容易く怒りの沸点に達するのだ。セルは避けずにされるがままだった。
「あんた、消えてくれない? あんたは邪魔者なんだよ。あんたさえいなければ、私達は平和に暮らせるんだ」
食いしばるように唸りながら、レイナはぎりぎりとセルを締め上げた。ルーサがその手を思い切り払う。
「そっちが一方的に絡んでくるんだ。セルはいつも悪くない」
マイも険しい表情を浮かべた。レイナはルーサとマイを交互に見やり、ふんと大きく鼻を鳴らす。
「うるさいなあ! いいから施設から出て行けよ!」
レイナはマイを小突く。マイは顔をしかめたが、レイナから目を離さず口を真一文字に結んだ。
「いやいや、施設を出て行くのはラルムが先だし、レイナだって僕達より誕生日が早いでしょ……」
ルーサの言葉にレイナの表情が見る見る内に曇った。温厚な彼も、やたらと突っかかってくる二人に嫌気がさしたのだろうか。レイナは唇を噛み締めてラルムを振り返ると、本人はポケットに手を突っ込み無言でこちらを眺めている。
「ラルムは……ラルムと私はずっと一緒なんだ。ずっと……」
か細いレイナの声。体も小刻みに震える。ラルムはセル達を横切ると、顔を上げたレイナも慌てて後に続いた。
残された三人は雑踏に消える二人を黙ってしばらく見つめていた。すると、ルーサが場の空気を和ませるように声を上げる。
「あ、見て」
指で示した先にある張り紙。リニューアルオープンの記念に、無料でくじ引きをしていると書かれていた。ルーサは二人の手を取りその店の前に行く。
「無料だしやってみようよ」
ルーサの提案にマイは嬉しそうに頷いた。マイの様子を見て断れなくなったセルは、二人の後に続く。
「あー、はずれかあ」
残念がるルーサに、マイは一歩踏み出てくじを引く。二つ折りの紙を恐る恐る広げると、金色の文字で『当たり』と書かれていた。覗き込んだセルは「あ」と声を出し、マイは驚きの表情を浮かべ二人の顔を交互に見た。
「お、当たりだよ! おめでとう!」と言い、店主は店の奥へ姿を消す。マイは紙を見つめそわそわした様子で待つと、戻って来た店主がマイに景品を手渡した。
マイの代わりに「ありがとう」とセルが言うと、マイはお辞儀をする。
「太陽?」
ルーサが声を出す。店主は得意気な顔をして、「これはとある大陸から伝わった品だよ。太陽が描かれた置物だ。太陽は全ての闇を払ってくれるのさ。これはね、ここだけの話……国宝級のお宝だよ。本当は景品にしたくなかったんだが、せっかくのリニューアル記念だし、開運のお守りにどうぞ」
「全ての闇を払う、ねえ……」
セルは呆れた顔でその説明を聞いていた。しかしマイは嬉しそうに掌に収まる大きさの置物をあらゆる角度から眺め、うっとりしている。
「まさかこれが、呪いを解く鍵だったりして?」
ルーサの声に店主がはっとした表情を浮かべた。「君達もしかして……」と言いかけると、目線が自然と子供達の手の甲に移る。そして納得したように神妙な面持ちになると、「それはね、本当に大切なお宝さ。闇を払う置物。笑うかもしれないが、この輝きを見て何かを感じないかい?」と尋ねる。
「そう言われたって……。それに国宝級のお宝が、何でここに」とセルは言いかけたが、無用なトラブルを避けようと口を噤んだ。
「私はね、かつてこの世の大陸を全て渡り歩いてきた商人さ。君達はわからないかもしれないが、世界は広い。異形の呪いもこのアーレンシュにしか存在しない、説明不可能な物だろ? ならこの置物の力も、君達には説明不可能じゃないかな?」
店主の顔つきと声色の変化に、セルは何も言えなかった。異形の呪いは生まれた時からだから、当たり前に捉えていた。しかし本来この呪いも説明不可能であり、だからこそ店主の言う通りこの置物の聖なる力を誰にも否定出来ないのだ。
「ね?」
満足気に笑う店主に、二人は頷いて返答した。そしてルーサがマイの肩を叩いて指を動かす。
「マイすごいね。国宝級だって」
ルーサの指を見て、マイは大切そうにその置物をポシェットにしまうと、ピースサインをした。セルは微笑ましいその姿に目を細めたが、当初の予定を思い出し口を開く。
「そろそろ図書館に行こう」
眼前にあるのは改装工事を終えた王立図書館。施設の倍の面積を誇るこれを見て、三人は圧倒された。ジャンル毎にエリアが区分けされ、至る所に検索コンピューターが並ぶ。自身の現在地を示し、目的の書物までの道を描いた紙をすぐに印刷出来る。セルは少ない時間を有効に使おうと、『アーレンシュ』『呪い』『異形』の三つのワードが揃っている書物をピンポイントで検索をかけた。ヒットした書物は予想通り七冊と少なかったが、長居出来ない以上今日はこれだけにしようと印刷をかける。
エレベーターが着いた先に、人はほとんどいなかった。このエリアは国の歴史に関する場所で、他のエリアに比べて来訪者が極端に少ないようだ。手分けして七冊の書物を探し出し、大きなテーブルに陣取りそれぞれがページを捲る。
「セル、これ」
ルーサが指した先を見たセルは目を奪われた。『異形の呪いを解くには』まさに求めていた情報かと、セルは書物を手にし視線を上下させた。
「……で、あるからして、この書物を作成している段階では、呪いを解く明確な方法は無いと言える。しかし、一部で囁かれる『奇跡』により、それは可能ではないだろうか。私はそう考えている。その『奇跡』に確信が持てた時、私は次作でそれを皆様にお伝えしよう」
セルは巻末の著者説明に目を移した。名前は書いていない。
「何だこれ……。作者の名前が無いよ」
ルーサが唇を尖らせる。セルはそっと本を閉じると、何やら思案する。
「奇跡って話が気になるね。リツカは知らないかな?」
ルーサが言うとセルは頷いた。
「リツカの事だ。この辺の話は勉強済だろう。それでも積極的に呪いを解くために動いているとは思えないけどな」
「確かに。……そろそろ戻ろう。また来月だね」
ルーサの声に、セルは立ち上がった。