第24話 始まりを終わらせる
図書館に向かおうとしたセルは一目散に駆けだした。少しの時間も無駄に出来ないからだ。ルーサはセルのあまりの速さに目を丸くし、「ちょっとセルー」と呼び止めながら走った。エレベーターのボタンを連打する。到着した途端上体を投げ出すように降りると、以前手に取った書物の棚に向かった。
「……え」
セルの声に、背中から顔を覗かせたルーサも呆気にとられた。予想外の人物が、本を片手に立っていたからだ。
「……リツカ?」
施設を去ったリツカが、その声に気がついて顔を向ける。
「……あ、君達は、かわいそうな子供達だね。呪われているなんて、本当にかわいそう」
二人は一歩下がった。リツカが、リツカではなかった。
「呪いを解こうと必死なんでしょ? 無理なのに。無駄なのに。本当にかわいそう」
セルは唇を引きつらせて、「どうして無理って決めつける」と反論した。
「だってさ、異形の呪いは、始まりの終わりだよ? 意味が分かる?」
セルはルーサと顔を見合わせた。
「かわいそうな俺達に、その意味を教えて欲しい」
するとリツカが愉快そうに声を弾ませた。
「始まりの数字を持つ人間を殺すんだよ。そうすればこの呪いの連鎖は断ち切れる。簡単だよねえ」
セルは眉をひそめた。「始まりの数字を持つ人間」と言い、ルーサに目線を合わせる。
「え、もしかして。始まりの数字が誰か知らない? ええ、教えてもらっていないんだあ。君達って本当にかわいそうだねえ」
リツカは手にしていた本を棚に戻し、腕組をして悲し気な表情を浮かべる。
「次にいつ会えるか分からないし、君達に教え――」「おいふざけんなぶっ殺すぞ」
リツカの声が変化する。セルは目を見開いた。
「ぶっ殺すなんて汚い言葉……かわいそう」「黙れ黙れ黙れ」「君が一番うるさいよ」「うるせえ殺す殺す殺す」
リツカの口が操り人形のように不自然にかたかたと上下する。ルーサは恐怖で体を震わせた。
「……ごめん。うるさいよねこの二人のやりとり。いつもの事だから気にしないで」
今度は誰だ。セルは緊張で額にうっすら浮かぶ汗を拭い、思考する。
「名前は無いんだけど。怒っているのが『怒り』いつも悲しんでいるのが『哀しみ』そして私は『楽しみ』の感情になるのかな? 怒りと哀しみの相性が悪すぎて、リツカの中がすごく騒がしい。居心地が悪くて嫌になるけど、まあ慣れたら何とかなるよね」
笑顔を浮かべて話すリツカ――楽しみの感情に、セルは言った。
「なるほどな。施設を出て行った時の感情は、リツカになりすましたお前って訳か」
すると眼前のリツカは「わお」と言い、「ご名答ー。一応リツカを意識したんだけどすぐ君にばれちゃって。最後はもうどうでもいいやって投げやりだったよ。ははは」
棚に来た他の訪問者だったが、三人の異様な雰囲気にすぐにその場を立ち去る。リツカはそれを見てにやりと口角を上げた。
「怒りには申しわけないけど、面白いから教えてあげるね。始まりの数字を持つ者は……リツカだよ。君達は、リツカを殺せる?」
二人は絶句した。その場に根が張ったように立ち尽くす。しばらく声を出す事が出来なかった二人だが、それを裂く「出来ないよね」と言う言葉が耳に届いた。
「まあ、仮にリツカを殺してやるーなんて人がいても無駄だけど。……だってリツカは不老不死だからね」
二人が口を挟めない勢いでにいっと笑うと、リツカは更に畳みかける。
「不老、不死、異形。三つの呪いを全部受けているリツカを、君達はどうするつもり?」
想像を遥かに超える真実に、セルの眼前は真っ暗になった。呪いを解くためには始まりの数字の持ち主を殺す。それはリツカ。しかし不死の呪いがかかっているため、リツカは死なない。セルの脳内は音をたてんばかりに急速に思考の波が寄せる。どうしようもない矛盾に、答えなど出なかった。
「そうそうセル。君はどうしてそんなに呪いを解きたいの?」
リツカの素朴な疑問に、セルはややあって口を開いた。
「……これ以上、悲しむ人間を増やさないためだ」
目を見開き、拳に力を込める。今まで何度か開示した自分の行動の根底。
「呪いによって悲しむ人間をこれ以上増やしたくない。呪いを解く術があるのなら、それを追求する事は自然だ」
リツカは唇の端を上げた。そして数秒後に、全身を大きく揺らす程笑い声を上げる。目尻に涙を浮かべ、白い歯を剥き出しにして笑った。
「面白い! いいね、君は。本当に面白いよ! 自分が化け物になりたくないからじゃないんだね。自分の後の事を考えているんだね。本当に素晴らしい思想だ! 素晴らしすぎて、全く私には理解ができないよ!」
両手を広げて叫ぶリツカに、セルとルーサは何も言わなかった。リツカが二人の周りをゆっくりと歩き出す。躍るように歩を進めると、床がきゅっと音をたてた。鼻歌交じりに子供のように。二人はリツカから視線を外さず、じっと見つめた。
「残念だなあ。私が死ねたら君の願いを叶えてあげられたのに。どうして私は死ねないのかなあ。セル、私の不死の呪いを解いてくれないだろうか?」
セルは苦悶の表情を浮かべる。
「……ごめんね、残酷だったね。だって出来ないもの。誰も私の呪いを解く事は、出来っこないんだもの。出来ない事を求めるのは、すごく残酷だよね。私は皆の先生だったのに、皆を悲しませてごめんね」
そう言いながら、リツカは笑っていた。セルの肩に手を置いてとても愉快な表情で。セルは俯いた。
「セル! いいんだよ、呪いなんて解かなくたっていいんだよ! だって、自分が化け物になるのが嫌だろうと、後に続く人間が嫌だろうと、無理なんだもの! 無理な事を考えたり、そんなに疲れる事やっちゃだめだよ。自分を消耗するのはよしなよ」
そう言ってリツカはセルを抱きしめた。骨が軋みそうなほど力強く、セルは目を見開く。
「やめろよ!」
そう言ってルーサが二人の間に割って入った。セルは眉間に皺を寄せリツカを見つめる。
「ああ、ごめん。痛かった?」
リツカは口元に手をあてて小首を傾げた。ルーサはセルの腕を引っ張り、無言で撤退を示す。セルは素直にそれに応じ、二人は踵を返した。
「あら、もう帰っちゃうの? 残念。じゃあまたね。また会いに来て」
集合場所までの道のり。二人は無言だった。どちらも何も発さず、ただ黙って歩を進める。ぬるい風が頬を撫でた。
「……セル」
最初に口を開いたのはルーサだった。セルは無言で顔を横に向ける。
「無理なのかな」
何が、と聞くまでも無かった。セルはさらに沈黙を続ける。足元に木の葉が舞い落ちた。それを踏みしめながら、立ち止まらなかった。
「……呪いを解こうなんて、無理だったのかな。仮にリツカが不死じゃなくても……リツカが死ねば、全て解決する? 僕はリツカに死んでほしくないんだ。僕、リツカには……生きて欲しいんだ」
ルーサは歩くのを止めた。セルが振り返ると、涙が頬を伝っていた。そして真っ直ぐセルを見据えると、ルーサは声を大きくした。
「リツカは、今までずっと支えてくれた! 今まで……何回も何回も、話を聞いてくれた。僕は、リツカが死ねば解決するって考えはしたくないんだ」
セルは何も言わなかった。ただ黙って、涙を流すルーサを見つめる。ルーサは何度か目元を拭ったが、それでも涙が止まる事はなかった。
広場の鐘が鳴り、立ち尽くす二人の元に届いた。それで我に返り、二人は皆の元へ戻ろうと足を動かす。広場に着いた時、顔面蒼白の二人を他の子供達が取り囲んだ。しかしセルが適当な言いわけをし、それを振り払った。
車に乗ろうとした瞬間だった。耳をつんざく爆音が鼓膜を突き破る勢いで全身を揺らす。その場にいた者は反射的に耳を塞ぎ、音の先に顔を向けた。
「な、何?」
ルーサがセルの横で戸惑いの声を上げた。セルの目線の先に、衝撃で舞い上がった塵が揺らめいている。塵の目隠しが無くなり、目を細めてその先にある物の正体を探る。
「ん?」
誰かの声が届いた。「あれ、何だ?」
疑問の正体は、徐々に姿をはっきりさせる。
「異形のモノ……!」
引率の教師がそう叫んだ時、パニックに陥った子供達は蜘蛛の子を散らすように駆け出した。
「待ちなさい! 皆落ち着いて!」
叫んだのは迂闊だったとすぐに後悔した教師だったが、制止の声は届かない。セルだけはその場にしっかりと立ち、異形のモノから目を外さなかった。それでも相当の距離があったので、はっきりと子細を目視する事は出来なかった。それでもセルは絶対に目を背けないと決め、その場から動かない。
爆音を聞きつけた人々がすぐに異形のモノを確認し、家に閉じこもったり走り出した。訳も分からない恐怖を遮断しようと、迅速な行動だ。それも相まって子供達は尚更パニックに陥り、転びながら車に向かって走って行った。
「セルも車に!」
教師がそう告げた瞬間、異形のモノが走り出した。まるで風のように。自由を手に入れた者のように。躍動感ある動きだった。足が、ある。機械のような、太くて長い足が。両手を振る。手は、四本か。それぞれ意思を持つかのように、四本全て動いている。全身は、茶色。獣が巨大化したようだ。目は三つ。額に血走った第三の目が爛々としている。
「セル!」
半ば強引に車に押し込めようとした教師の手を払い、セルは迫り来る異形のモノから決して逃げ出さなかった。教師は異形のモノとセルに交互に視線を移動させたが、いよいよ迫る危険を感じた。苦渋の決断でセルを置いて車に乗り込み、その場を去るよう運転手に指示を出す。けたたましいエンジンと地面を擦るタイヤの音が次第にやむと、広場にセルと異形のモノだけが取り残された。普段は人が行き交う広場だったが、不気味な程静まり返る。
しばらく奇妙な沈黙が辺りを包んだ。セルは全身の鳥肌を打ち消すよう咳払いをする。
「名前は?」
簡単な質問をする。制御チップに名前の記憶があるのか知りたかった。
「…………」
口から涎を垂らし、胸を大きく上下させている。セルが次の質問を投げかけようとした瞬間、それは両腕を振り上げた。その後の動作は一つしかない。セルは直感的に後ろへ飛び、すんでの所で地面がひび割れただけで済んだ。異形のモノは再びセルに照準を合わせ咆哮を上げる。
「どこから来た? 配置場所から逃げ出したのか?」
問うが、何も答えない。涎が地面に落ちた時、弾けるようにそれは跳んだ。手足を大きく広げ、セルにダイブする。
両手を付けて顔を覆い、右に思い切り倒れ込む。全身の力を目一杯使い、転がって回避した。地面に叩きつけられた異形のモノは、しゅうしゅうと蒸気を噴き出す機械のような音を口から発し、セルに顔を向ける。長い四本の腕を何度も地面に打ちつけ、また咆哮。セルは耳を塞ぎ立ち上がり、「なあ」と言葉を続けた。しかしそれをかき消す叫び声がセルの全身を襲った。びりびりとした衝撃波に目と口を閉じ、次の行動を起こそうとした瞬間、頭上に気配を感じる。
異形のモノの涎がセルの頭を濡らした。ゆっくりと目を開けて仰ぎ見ると、それと目が合った。こめかみまで裂けた口が大きく広がり、細くて赤黒い舌が揺らめき、尖った歯が光った。捕食する者とされる者の構図が、簡単に出来た。
瞬間、セルは駆け出した。迫りくる脅威に逃れるために、手足を懸命に動かした。周囲の状況を確認する余裕は無い。ただひたすら走る事しか出来なかった。叫び声と、異形のモノが走る度に巻き起こる強風。セルはどこに逃げるべきか必死に思案した。できるだけ人がいない場所? すると数十人の男達が、異形のモノに向かって何やら発射したのが見えた。
「ギイイイイイヤアアアアアアアア」
セルが駆けながら振り返ると、立ち膝を突いてわき腹辺りを抑える姿が見えた。異形のモノは苦悶の表情を浮かべながらも、セルに視線をぶつけた。
セルは再び前方に顔を戻し、走り続ける。進行方向に一人の人間が立っているのを見止めると、瞬時に手足の動きを止めた。後方を振り返る余裕は無かった。目は、前方に釘付けになっている。
「……母さん」
セルの母は、何も言わず立ち尽くしていた。そして轟く爆音に弾かれるようにセルが再度後方へ顔を向けた。異形のモノが口から涎を垂らしながら建物に全身をぶつけている。
「こっちへ来なよ、セル」
セルの母は顎で方向を示す。セルは母と異形のモノを見比べ、一瞬葛藤したが母の示す方向へ駆け出した。母は頷いた。




