第21話 時が来た
第八章 子供達
自身を呼ぶ声を背中に受け、セルは気だるそうに振り返った。視界にはルーサが手を振って映る。
「セル、何度も呼んだよ」
不満気なルーサの言葉に、セルは「悪い」と一言告げる。二人が並んで街の石畳を踏む。セルは行き先を告げなかったが、ルーサは迷わず行き先も聞かず、隣をキープする。他愛無い話をお互いにし、二人の足は同時に止まった。
扉が締め切られた、一件の店。張り紙も無く、ただ静かにそこに存在していた。カーテンが中の様子を遮断していて、店内を覗き見る事は不可能だった。
「……セル、本当にごめん」
ルーサが店を見据えて言った。
「別に、お前が謝る事じゃない」
セルはぶっきらぼうに告げたが、ルーサは困ったような笑みを浮かべた。
「リツカが機関に言わないって決めたんだろ。これ以上、俺達がどうこうできる事じゃない」
セルは踵を返した。ルーサはしばらくその場に立ち止まり、少ししてからセルの背中を追った。
集合時間まで、セルとルーサは広場のベンチで腰を下ろす。今日は図書館に行く気分では無かった。色々な事が起こり、セルに疲労感が見えた。ルーサは「ごめん」と繰り返す一方で、セルはその度に「もういいって」と返す。以前のような明るい話題は、今の二人には無かった。ぼうっと空を眺めていると、視界に何かの気配が映りこんだ。
「……元気だったかい」
それを両目でしっかり捉えたセルは、しばらく凝視する。そんなセルをルーサは訝し気に見つめ、「誰?」と尋ねる。
「生まれてすぐに離れ離れになったんだ……。分からなくて当然だねえ」
セルは息を呑んだ。眼前に立つのは、老人の女性。杖に体重を乗せ、背中を折ってセルとルーサに話しかける。
セルの鼓動がけたたましく鳴った。誰か分からない筈だった。しかし自身が。魂が。知っていると叫んでいる。
「母さん……」
漏らした声に、ルーサは「え!」と驚愕を示し、セルと老人を見比べた。
セルはそれから何も言えず口を開けたままだった。老人はセルの右手を取ると、数字の痣をそっと見つめる。
「この呪いも、綻び始めてきている」
二人は声を上げた。すぐに周囲に目を向けると、誰もこちらに興味を持つ人間などいなかった。安心したセルは「どういう事だ?」と問う。
「13番目が存在したと、リツカさんから聞いたよ」
リツカから? セルは前のめりになり更に問う。
「母さんはリツカと会ったのか?」
肩を揺らし笑う老人を見て、苛立ちを隠さずセルは声を上げた。
「母さん!」
老人は「すまないねえ。あんたがあんまりにも焦っているから」と返すと、ふうと一つ息を吐いた。
「呪いについて、何か知っているの?」
ルーサの問いに老人は一拍の沈黙の後。
「始まりの終わり……」
そう言って去ろうとした。セルが服を掴むと、「セルー。ルーサー。帰る時間だよー」と一人の女子が言いに来る。
「もうそろそろ伝える時かね……。四つ葉の奇跡が全てを終わらせるよ。あんたはその奇跡を起こせるかい?」
施設に戻った二人は、夜にセルの部屋で再度合流した。
「13番目のアリスの存在を、マダムリリーではなく俺の母親に知らせたリツカ」
ルーサは頷いた。椅子に座り、ベッドに腰かけるセルと向かい合う。
「始まりの、終わり」
セルは声に出した。そして自身の右手を掲げ、痣に視線を這わす。
「始まりの数字は……一番?」
二人は考えたが答えは出なかった。そして四つ葉の奇跡について話そうとした時、扉をノックする音が二人に届く。セルは声を出すと、扉はゆっくりと開いた。
「セル、私の部屋に来てもらえませんか?」
マダムリリーがそう言った。
マダムリリーの部屋に先客がいた。セルは「マイ」と呟くと、マイは笑顔を向ける。
「セル、どうぞ座って」
促されてソファーに身を沈めると、セルの真正面にマダムリリー。向かって右にマイがいる。
「……何の用だ」
マダムリリーは鼻を鳴らした。
「自分が一番分かっているでしょう」
その言葉にセルが真っ向から反論する。
「この前から一体何なんだよ。遠まわしじゃなくて、はっきり言ってくれ」
するとマダムリリーは唇を結んで肩をすくめ、マイの肩に手を置いて話し始める。
「あなた、私を殺そうとしているでしょう」
セルは面食らった。「は?」思わず半笑いで漏れてしまう。
「マイから全て聞きました。あなたがこの施設もろとも、私を消そうとしていると。まあ以前からあなたは私を敵視していると思っていましたが、まさかそこまで物騒な考えを持っているとはね」
セルは頭を左右に何度か振り、右手を出して制する。
「いや、ちょっと待てよ。一体どんな妄想だ? マイ?」
すると「マダムリリー」と廊下から声がした。子供達の一人だ。
「お客様が来ています。ご対応お願いします」
マダムリリーは小さく舌打ちをした。リツカが出て行ってから全ての対応を任され、内心苛立ちと疲れがある。
「二人共、私が来るまでそのままで」
そして姿が見えなくなったのを確認すると、セルが声を荒げた。
「マイ! 一体どういう事だよ!」
すぐに手話で表現しようとしたセルを、マイは「もういいの」と遮った。セルは再び衝撃を受けた。
マイは笑顔を崩さなかった。セルは「……マイ?」と腰を浮かす。
「セル、ごめんね。私、本当の事言わないと」
セルは絶句した。そんなセルを尻目に、マイは言葉を紡ぐ。高く可愛らしい声ですらすらと話す彼女を、セルは穴が開く程見つめた。
「びっくりした? 私ね、話せるの。本当はずっと。ごめんね、黙っていて」
セルは唾を飲み込んだ。そしてゆっくり腰を下ろすと、息を整える。
「うんうんそうだよね。ずっと話せなかった友達がいきなりすらすら話すなんて、驚くよね」
楽しそうに語るマイに、セルは大きく息を吐き切ってから口を開いた。
「マダムリリーにとんでもない嘘をついて、何を考えてる?」
セルの剣幕に屈せず、マイは斜め上を見上げて思案する仕草を見せた。しかしすぐに「面白いから」と答えると、セルの眉根が上がる。
「ずっと俯瞰して眺めていたら、色々と楽しかったの。ラルムとレイナは私を敵視して鬱陶しかったけど、セルが守ってくれた。アスカはセルの事を好きだったのに、当の本人のセルは全く分かってなくて。アスカが施設を出て行った時、セルが元気でねって言ったの本当に楽しかったよ。アスカはセルと行きたかったのに、元気でねって酷いでしょ。ふふっ。喋れませんってしていれば面倒な事に巻き込まれなくて済むし、色々楽しめたんだ」
屈託なく話すマイに、セルは何も言えなかった。ずっと一緒にいた友達のあまりの豹変ぶりに、思考が追いつかない。
「このつまらない生活をもっと楽しむために、マダムリリーとセルの全面対決が見たかったの。でも意外だったなあ。マダムリリーって普段は余裕たっぷりのくせして、いざセルの思惑を伝えたらすごく焦ってたよ。本人は隠しているつもりだろうけど、見え見えで笑えた」
セルはようやく話し始めた。
「……で、これ以上どうするって言うんだよ」
マイはにこやかな表情を浮かべ、その問いに答える。
「ここでマダムリリーに本当の事を話して、驚いた顔と怒りの顔を見て楽しんでお終いかなあ。そろそろ毎晩嘘のでっち上げ報告するのも疲れたし」
セルが目を閉じて顔を両手で覆うと、マダムリリーが戻ってきた。するとマイが笑顔で迎え入れ、マダムリリーに事の顛末を説明した。当然マダムリリーは饒舌なマイに全身で驚きを表現し、そして湧き上がる怒りを露わにした。わなわなと震え、拳を丸め、鼻息が荒い。マイの欲していたリアクションで、二人の前に仁王立ちする。リツカに対する苛立ち、仕事の疲労感、そして子供に踊らされた屈辱感。様々な感情が全身を巡り、噛み締めた唇が切れて血が滲んだ。
「ごめんなさい。ちょっとした悪ふざけで」
「悪ふざけの度が過ぎているでしょう!」
セルは溜息をついた。肩をすくめたマイを見て、頭が痛くなる。
「二人共、もう部屋に、戻りなさい」
区切るように絞り出すマダムリリーに、「はーい」と呑気な返事をしてマイは部屋を出て行った。




