第2話 家族ごっこ
「ラルム、凄く苛々しているね」
食事が終わり机に頬杖をついたルーサが言った。
「そりゃあ……。あいつが言っただろ。来月、誕生日だって」
誕生日――。本来ならおめでたい最高の一日の筈だった。しかしここに暮らす人間にとって、誕生日は全く別の意味を成す。とりわけ十七歳の誕生日は、本人はおろかこの国全体にとって大きな出来事だった。
「まあね、僕だって不安だよ。僕達三人も十七歳に近いし。不安しかないよ」
ルーサは大きな溜息を吐いた。マイの表情も陰りが見える。セルは紙パックに刺さったストローを噛みながら、二人に言った。
「考えたって仕方ないだろ」
セルの返答が不満だったのだろうか。ルーサは珍しく大声を上げた。
「仕方ないけどさあ」
しかしすぐに「ごめん」と呟くと、セルもかぶりを振った。気持ちは痛い程分かるのだ。
押し寄せる漠然とした不安は、日々確実に彼等の心を蝕んでいく。
「なんだかね、毎年十七歳の誕生日を迎えて出て行く皆を見ているとね、どうも怖くなってさ」
ルーサは窓の外を見ながら漏らす。自然にセルもマイも視線が動いた。
「国のためになるって分かっているんだ。でもどうしても自分の心が追い付かない。それならいっそ自分で――」
そこまで言いかけてルーサは止まった。風が瞬間強く吹いたのだろう。木々がふわりと枝を揺らし、呆気なく離れた葉が簡単に空へ舞う。セルは思わず目を細めた。
「ごめん、駄目だね。来月ラルムの誕生日だから、僕までそわそわしてる」
頭をかくルーサに、マイが指を動かした。
『皆、同じだよ。きっとリツカも』
リツカ。ここに住む子供全員の姉代わりの存在。この施設を運営する者の一人娘で、彼女は彼等に一般的な教養を教え込んだ。それさえも「必要ない事」とラルムとレイナはいつも非難していた。そんな事はここにいる全員が分かっていた事だ。しかし彼女は彼等を、他の人間と変わりない【人間】として接していた。
普段は温厚なリツカも、来月に迫ったラルムの誕生日に思いを馳せているのだろう。
ラルム本人は勿論他の者でさえ、どこか浮足立った様子が否めないのだ。ただ一人を除いては。
「怖い事はありません」
低い声が、三人の耳に届く。
「……マダムリリー」
施設長の登場に一瞬驚いた表情を浮かべた。彼女はいつも建物内を徘徊し、まるで全員を監視するかの如く視線を巡らせていた。人間の気配が感じられない程そろりそろりと。いつ現れるか分からない彼女を、どこか皆が恐れていた。
「ラルムはこの国のために、自らを捧げるのです。それの何を恐れましょうか? ルーサ?」
にやりと唇の端を上げて問うマダムリリーに、ルーサは息を呑んだ。
「あなた達は選ばれし存在なのです。生まれながらにその痣を持ち、この国のために生きる事を使命づけられた存在なのです。誇りなさい」
マダムリリーの視線が三人に落ちた。セルも自らの手の甲に目線をずらす。ぐにゃぐにゃになったストローを口内で持てあましながら、右手に刻まれた4と言う数字を眺めた。マイは3。ルーサは5。
「数ヶ月前も、隣国ガストダムからの威嚇攻撃を先輩達が一蹴したのですよ。それ以来我が国アーレンシュに攻め込もうなどと企む輩は聞いた事がありません。無駄ですからね。あなた達がいる限り、アーレンシュは未来永劫安泰ですから」
マダムリリーはセルの頭に手を置いた。セルはされるがままだった。彼女は部屋を見渡すと、「1と2がいませんねえ」と小さく呟いた。
ここは1から12番までの痣を持つ子供が住む施設だった。それに施設長のマダムリリー。子供達に最低限の教養を身に着ける娘のリツカ。合わせて十四人がここで生きている。国が運営する特別な施設であるこの場所は、東に最低限の医療設備を備えた看護棟。中央に昼間の生活拠点となる棟。西に子供達の寝室と、マダムリリーの書斎と部屋。そしてリツカの部屋がある居住棟の三つから成る。僅か十四人が暮らす施設の割には充分な広さがあり、それは一般の生徒が通う学校となんら変わりがない所を見ると、いかに彼等が国から優遇された存在であるかが垣間見れる。
数字の痣を持つ子供は、生まれた瞬間ここに来る事は決まっているのだ。この痣を持つ子供は、十七歳の誕生日――アーレンシュでの成人の日に、ある兵器へと姿を変える。
その姿は人間の形を成しておらず、『異形のモノ』と呼ばれた。醜く変形し、見る者の目を潰すと噂される存在。この広い世界中で、何故かアーレンシュだけに存在が確認される謎の呪いだった。
成人が迫る三日前に、施設から管理機関へ移送される。身体状況、精神状況、脳波の検査。小さなほくろの数さえ綿密に調べられ、様々な検査を通った後、一定の間隔で国を囲う形に配置される。現在では優に数百体の異形のモノが、厳重な管理下で生きていた。体内に力をコントロールする制御チップを埋め込まれるが、肉体の衰えは制御できない。寿命で力尽きるまで、国のために戦う兵器として生きるのだ。
世界でも有数の貴重な鉱石産出国であるアーレンシュは、常日頃様々な国からその資源を狙われている。その脅威から国を守ろうと王族達は、恐れていた異形のモノが持つ呪いの力を逆に利用したのだ。
数々の子供がこの建物から連れ出された。誰も自分達の行く末を見た事が無い彼等は、一様に不安気な表情を浮かべて出て行った。それは恐怖でしかなく、来月に迫った自身の誕生日に苛立ちを隠せないラルムもまた、葛藤しながら生きているのだろう。
「何故あなたは俺達を育てる?」
ストローを口から出し、セルは顔を上げた。彼の頭に置かれた手が一瞬ぴくりと動いた。
「面白い事を聞きますねセルは。私は皆の母親だからです。ただそれだけです」
マダムリリーの笑顔は不気味だった。いつも目が笑っていないのだ。
「それはそうと、ここでの秩序を乱す者がいるらしいですねえ。セル」
マダムリリーは重い口調でセルに問う。ルーサとマイの喉が揺れるのを見ると、セルはふっと息を一つ吐いて答えた。
「仕方ないだろ。血の繋がりも無い人間が寝食を共にするんだ。ストレスくらい溜まるさ」
秩序を乱す人間の言葉を真似ると、セルはにやりとした。マダムリリーは大袈裟に首を振る。
「私達は家族ですよ。血の繋がりがなかろうと、それが何だと言うんですか。セルはもう少し分かってくれていると思っていましたがねえ……残念です」
失望した表情を浮かべてセルの目を真っ直ぐに見つめる。それでもセルは訂正も弁解もせず、ただ黙って彼女から目を逸らさなかった。やがて彼女は踵を返すと、部屋から出て行った。
「……何だろう。怖かったね」
ルーサが身を乗り出すと、扉を見つめて言った。
『マダムリリーもリツカも、私達を本当の家族と思っているから。色々敏感なんだよ、きっと』
マイの手話を眺めて、セルは頬杖をついた。
「……家族ごっこ、か」
「馬鹿、セル」
ルーサは辺りを見渡した。こちらの話を聞いている人間はいないようだが、ルーサは小さな声で続ける。
「マダムリリーに目を付けられると厄介だし、当たらず障らず過ごそうよ、ね?」
セルは何も返さなかった。そして改めて痣を見つめる。
「俺はこの呪いを解く。成人するまでに、絶対にな」