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鳥かごの少年達  作者: LOG
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第14話 過去

第五章 リツカ


 ラルムの誕生日から二か月が過ぎた。リツカはふうっと息を吐いて、カレンダーを指でなぞる。

 シンプルに統一された家具が並ぶ彼女の部屋は、写真で溢れていた。子供達の笑顔が彼女を包んでいるようだ。柔らかいソファーに身を委ね、目を閉じる。

 やるべき事が山積していた。施設の関係は勿論、自身の結婚式が着実に近づいている。一つ一つ計画をたて進めるもやはり相手あっての事なので、思い通りにいかない事もたくさんあった。

 母との亀裂もあるが、それよりも重要な事態が彼女の頭を占めていた。消えた13番目の子供の事だ。事情をセル達から聞かされた時は、あまりの事態に目眩がした。しかし大人の自分が踏ん張らねばと、努めて冷静に話を続けたのを覚えている。

 あれからリツカは機関へ相談すべきか考え、結局やめた。まずマダムリリーに話を通さないわけにはいかなかったからだ。彼女が子供達にどんな処罰を与えるのか考えただけで、相談する気が自然と失せた。セル達も気を遣っているのか、リツカを全面的に信頼しているからか、あれから何も言ってこない。リツカはこのまま黙っているわけにもいかないと感じながらも、しばらくはこのままでいようと結論付けた。

 彼女は疲れていた。母と子供達を繋ぐパイプ。母と機関を繋ぐパイプ。様々に張り巡らされた、まるで包囲網のような感覚。そして名家との結婚。気を張る生活が続く。正式に入籍し一緒に暮らし始めたら、この施設はどうなるのだろう。

 婚約者は「リツカのやりたいようにしたらいい」と笑顔で言った。それは一見優しさに見える。しかし考える事がたくさんある彼女にとっては、「自分には関係ないから、好きにしたらいい」と聞こえてしまう。その度にかぶりを振り、そんな考えをしてしまう自分が嫌になった。

 施設は母に全て任せて、自分は自分の生活をする。新居から通って、今まで通り運営に関わる。別居婚にして、今と全く変わらない生活をする。

 考える度にリツカは溜息をついた。知らず知らずのうちに表情も暗くなり、時折子供達に指摘された。すぐに笑顔を張りつけ否定するが、最近ではそれさえも億劫になった。

 実の母も婚約者も、どこか自分と遠い人間に思えた。しかしそれも疲れているから、と結論付け、よしと発して頬を軽くはたいた。

 机に置かれた書類の束を手に取り、一枚ずつ目を通す。施設に届く書類は最初にリツカが見て、マダムリリーの承認が必要な物以外は全て彼女が処理をする。事務方のほとんど全てを担っているので、日々の忙しさは想像以上だ。

 ふと目に留まった一文に、彼女は目を見開いた。

 ――施設の取り壊しについて。

 施設の取り壊し? 何も聞いていない。読み進めると、既に決定事項となっているようだ。確かに老朽化が著しいため、なんら疑問も無い内容だったが、新しい施設の詳細は何も記載されていなかった。こんな重大な事を自分を通さないで進めたのだろうか。リツカはぱらぱらと紙を捲る。

 ――工事責任者・アーヴィン・トレーネ。

 リツカは絶句した。婚約者の名前が記載されていたからだ。責任者? 何故彼が?

 数々の疑問が脳裏を巡り、書類を片手に持ち替えて歩き出した。電話のボタンを押し、トレーネ家に繋げる。婚約者と言う立場でありながら、彼の家に電話をかける事は極端に少なかった。そもそも彼は多忙で不在な事が多かったし、頻繁に電話をするのも失礼だと思ったからだ。

 急に「会いたい」だとか、「声を聞きたい」だとか、そんな事は皆無だった。そんなリツカが何の躊躇いも無く連絡を取ろうと試みている。

「お忙しい所申しわけございません。サルベルト家のリツカと申します」

 電話口から一瞬の驚きが感じられた。しかしすぐにアーヴィンの不在を告げられる。リツカは食い下がるように父親か母親の在宅の確認をしたが、どちらもいなかった。リツカの抑えきれない剣幕に相手も戸惑いつつ、誰かが帰宅次第すぐに折り返しの電話を必ずもらえるように念を押して、受話器を置いた。


 マダムリリーもまた、その書類を手にして絶句した。

「お母様も何も知らなかったんですね」

 想像していた通りだったが、リツカは嘆息する。

「……アーヴィンさんは?」

 冷たい声色だった。リツカはかぶりを振る。

「……私達に何の断りも無く……」

 書類を放り投げる。その表情は忌々し気だった。リツカはかがんで書類を拾い上げると、言葉を発した。

「帰宅次第、すぐに連絡をもらえるよう手配済ですわ。とにかく話を聞かないと」

 書類を持つ手に力が入る。唇を引き結び、鋭い視線を母にぶつけた。

「……連絡がきたら、そのまま私に回しなさい」

 リツカは無言だった。そして何も言わず、マダムリリーの部屋を後にしようと歩を進める。

「あなたは感情的になります。私がきちんとしますから、くれぐれも余計な事はしないように」

 リツカは背中に言葉を受けながら、それでも何も発さず扉の向こうに体を滑らせた。


 連絡が来たのはそれから二日も後だった。予想通りであったが、アーヴィンでは無く彼の母からだった。リツカが話を切り出す前に、向こうが矢継ぎ早に話をぶつける。

「お久しぶりですわねえリツカさん。滅多に電話などしないあなたから連絡があったと聞いて、お返事が遅くなった事をお詫び致しますわ。ええ、ええ。わかっていますよリツカさん。……施設の取り壊しの件、でしょう?」

 リツカは短く「はい」と返答しただけだった。彼女は心底疲れていた。電話口から繰り出される金切り声が、今日はやたら響く。自然に固く目をつぶった。

「あれはね、申し訳なかったと思っているのよ。仮にも施設の責任者のあなた達を差し置いて、我が家が話を進めてしまったのでねえ」

 仮にも? リツカの受話器を持つ指が細かく震えた。仮にも? 何を言っているの、この人は。

「でももう決まってしまったのでね。事後報告となって申しわけないけど、そのつもりで色々宜しくお願いしますね」

 反論を許さない圧力が、言葉の端々から感じ取れる。街で有数の名家に嫁いだだけはある。繊細な女性には到底務まらないのだ。リツカは思わず声を漏らした。

「リツカさん?」

 それを聞き逃さなかったアーヴィンの母は、目ざとく彼女の名前を呼んだ。

 リツカは意識が飛びそうになる。昔から時々あるこの感覚。あ、まただと思うが、抗う術は無い。

「……リツカさん、気分でも悪いの?」

 アーヴィンの母が、電話の向こうで声のトーンを抑える。それでも何も言わない彼女に、「まあいいです。では、その件はこれで――」と言いかけると、耳に軽やかな声が届いた。

「あまりにも勝手な言い分を、正論のように並べるのがお見事だなあ。感心して言葉が出ませんでしたよ」

 リツカは笑顔だった。電話相手には分からないリツカの表情だったが、その愉快な声色で容易に判断できる。アーヴィンの母は息を呑んだ。

「でも残念。あなたはそうやって今まで様々な事を乗り越えてらっしゃたのでしょうが、私相手には通用しませんよ」

 しばしの沈黙の後、相手が唾を飲んだ音が鼓膜に届く。

「……リツカさん?」

 アーヴィンの母はまるで確かめるように、リツカの名を呼んだ。そして再び重い空気が流れると、リツカは口を開いた。

「……ふふっ。今からそちらに伺いますわ。それまでにご主人と息子さんを必ず呼び戻すように。分かりましたか?」

 大人が幼い子に説き伏せるように。リツカは肩を揺らしそう告げた。アーヴィンの母は咄嗟に「そ、そんな事!」と反論したが、すぐにそれもかき消された。

「私がそう言ったら、あなたはそうするしかないの。脳みそに叩き込んで、覚えておきなさい」

 そして受話器を勢いよく元に戻した。


 リツカの中の別人格は三人いた。『怒り』『悲しみ』『楽しみ』の人格はそれぞれ、リツカの中に共存している。リツカがその存在を把握するのは後の話だが、最初に出現したのは十歳の頃か。

 いつものように起きて、いつもの日常が来るだけだった。そう思っていたし、そうなるしかなかった。しかし、あの日だけは違ったのだ。日常に小さな亀裂が入り、それはゆっくりと筋を描き、みしみしと音をたてていたのだった。そして破裂音がさく裂したのが、たまたまあの日だっただけだ。

「リツカ、こちらに来なさい」

 父が、幼かったリツカに声をかけた。抑揚の無い口調。いつもとどこか違うような。リツカはそう感じたが、当たり前の日常を崩されるのが怖くて、何も気がついていない振りをした。

 父は車を走らせた。郊外の人気の無い場所。まだ朝だと言うのにどこか重い空気が漂い、幼いながらただ事では無い雰囲気を感じる。しかしリツカは脳内でかぶりを振った。日常を壊されてなるものか。その一心で嫌な予感を否定する。

「……降りなさい」

 車が静かに動きを止めた。窓の外には今にも崩れ落ちそうな木造家屋がぽつんと一件立っている。辺りは木々がうっそうし、カラスの鳴き声がけたたましく響いた。嫌だ、降りたくない。

 リツカは直感的に拒否した。そんな娘に父は「リツカ」と太い声で催促する。リツカは眉根に皺を寄せ、小さく震える手でドアの扉に手をかけた。

「……お父様……」

 消え入りそうな頼りない呼びかけは、父の耳に届いただろうか。父は何も返答せず、黙って娘を凝視した。その瞳は漆黒で、光が無かった。父は遠い存在に思えた。

 体重が加わると地面は簡単に沈んだ。誕生日に買ってもらった赤い靴が、一瞬で泥にまみれる。リツカはそれに視線を落とし、父に背中を押され前につんのめった。

「これで、帳消しで」

 古い扉の隙間から僅かに顔を出した男に、父はそう伝えた。『これ』が意味するのは自分なのだとリツカはぼんやり考える。男はリツカのつま先から頭部にかけて、ねっとりと視線を這わせた。そして「まあ半分だけは相殺してやる」と唇の端を上げると、父は猛烈に男に抗議の声を上げた。

「ふざけるな! 半分なんておかしいだろう!」

 男はそれを意に介さず、首を鳴らして溜息をつく。

「てめえがこさえた借金を、てめえの娘一人で返済しようなんざ、甘いってもんよ。……お、娘がしているブレスレット、それなかなかいい品じゃねえか? それも金にかえてきな」

 リツカの父は苦々しい表情を浮かべた。目の前の二人のやりとりを、リツカは黙って見るしかなかった。間違いなくよくない取引がされているだろうが、だからと言って彼女に出来る事は無かったのだ。数年前にもらったクリスマスプレゼントのブレスレットをさすりながら、息をひそめるように立ち尽くす。

「残りは一月待ってやる。誰かを騙そうがぶっ殺そうが、とにかく金を用意するんだな」

 男はリツカの腕を乱暴に引っ張った。リツカは半ば吹っ飛ぶ形で男の元へ行く。

「……許さない」

 父の口元が僅かに動いた。

「あ?」

 男は面倒そうに首をかいた。次の瞬間、その首めがけて何かが光る。「ん?」と男が声を漏らす前に、さあああっと霧雨のような飛沫が舞った。男が状況を理解するより先に、無意識に首元に手が伸びた。生温かい水分が、右の掌を打ち付ける。目の前に視線を戻すと、リツカの父親が肩を上下させながら鼻息荒く目を剝いていた。そして再び手にした何かを振り下ろすと、中央を境として男の顔に綺麗な線が入った。

 そこまできて男はようやく自分がナイフで切られた事、そして意識が薄れゆく事を理解した。思いもよらない襲撃に脳の処理が追いついていなかった男は、ふらふらとおぼつかない足取りで数歩進んだ。左手でリツカの父親の肩を掴もうと手を伸ばしたが、踏み込まれ腹に鈍い衝撃を受けてそれもかなわなかった。男は声にならない声を漏らし、両膝をつく。リツカの靴を簡単に汚した泥が、男の体を受け止めた。

 リツカは叫ばなかった。動かなかった。ただ黙って、立ち尽くす父親を見つめていた。

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