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鳥かごの少年達  作者: LOG
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第13話 あなたに私は崩せない

 翌日、マダムリリーは街へ出た。長時間歩く事が億劫な年になった。つばが広い帽子を被り、薄いベージュのカーディガンを羽織っている。石畳を進み、目的の場所を目指した。

 そこへ行くのは何年ぶりになるだろうか。走り書きしたメモの断片を持ち、時折立ち止まり視線を落とす。街並みはさほど変わっていない事が幸いし、予想よりも早く目的地へ到着した。

 古びた扉に、来客を知らせるベルは無かった。郵便受けにいくつもチラシが押し込まれ、溢れ出た一部が床に散乱している。扉の取手も薄っすら埃がかぶっており、しばらく誰の往来も無い事が容易に想像出来た。右手を丸め何度かドアを叩く。

 案の定何の返答も無い。沈黙を確認し、彼女は再度ドアをノックする。しかしやはり何の音沙汰も無く、彼女は溜息をついて踵を返した。無駄足だったか。マダムリリーは思った。

「……どちら様?」

 彼女が咳払いの一つでもしようものなら気がつかない程、細く小さな声だった。立ち止まり振り返ると、すぐさま声を張り上げる。

「施設長のマダムリリーです」

 扉の向こうがぴんと張りつめた。マダムリリーはごくりと唾を飲み込むと、再度言葉を繋いだ。

「セル君について、いくつかお聞きしたい事がございまして」

 しばらく応答が無かった。すると鈍い音が耳に届く。扉がゆっくりと開けられたのだ。マダムリリーは笑顔を作り、扉の向こうの人物に対する仮面を瞬時に被った。

「……あらまあ……。何年ぶりかしらねえ……」

 すぐにマダムリリーの仮面は剥された。自分の微かな記憶と、目の前の光景の相違があまりにも大きかったからだ。思わず顔が引きつると、相手は愉快そうに肩を揺らす。「……お久しぶりですわ」引きつったままそう挨拶すると、相手はすっと体を奥へ向ける。閉じかかった扉を見て、マダムリリーは思わず自身を扉の奥へねじ込むようにすると、相手はまた愉快な様子を隠さなかった。

 軋む床。施設の老朽化が可愛く思えるくらい、この家は至る所が傷んでいた。無数の壁の染みが点々とし、それが一つに繋がって大きな染みに変化していた。蜘蛛の巣が張られ、小さい虫が頬に当たる。不快感しか無い状況に、マダムリリーの表情が無意識に険しくなる。

 相手は一つの部屋にマダムリリーを招き入れた。客間だろうか。しかしだからと言って清潔感も整理された様子も無く、自身がこれから座るであろうソファーが埃と汚れに包まれており、見るからに劣化の塊だった。座るのを一瞬躊躇したくなる物だったが、目の前の相手のにやついた表情を見て、努めて自然に腰を下ろす。

 相手はマダムリリーに続いて向き合う形で座った。細めた目が、鋭く光る。マダムリリーは咳払いを一つして、口を開いた。

「随分と……お変わりに」

 相手は自身の頬に手を当て、唇を舐めた。

「そりゃあ人間だもの……。年は取るもんさ……。あなたは高級な化粧品を使っているかも知れないが……。私はそんなお金も無いからねえ……」

 窪んだ目。顔は痩せこけ、全体的に血色が悪かった。薄い唇は青く、そこから覗く歯が所々無い。髪の毛はとかされた様子も無い程絡みつく。数年前に会った時は、室内も今より数段片付いていた筈。マダムリリーはまじまじと相手を見つめた。

「そんなくだらない話をしに、わざわざ来たって言うのかい?」

 相手は肩を揺らした。

「セル君が産まれた時、間違いなく痣はありましたか?」

 マダムリリーの言葉に、目の前の相手は一瞬面食らった。しかし癖なのだろうか。愉快気に肩を大きく揺らし、「言っている意味が分からないねえ……」と口元に手を当てる。そして目を閉じると、鼻歌を歌い出した。

「……彼は、呪われた子供では無いと思っております」

 マダムリリーは重い口調で自身の考えを述べた。相手は鼻歌を止めず、むしろこの状況を楽しんでいるかのようだった。

「間違いなく、セルは呪われた子供だよ」

 鼻歌を止め、相手はきっぱりと言い放った。「間違いない」と再度告げてそれを強調する。

「……一体なぜあなたがそんな戯言を思いついたのかは分からないが……。仮にセルが呪われた子供じゃなかったとしようかい。それじゃあセルの番号の子供が他にいるとでも?」

 マダムリリーは頷いた。

「この呪いのシステムは不変です。それならば、そうなりますね」

 相手は深く息を吐いた。「……そうかい」と投げやりに呟く。明らかに先程と様子が変化した。

「あなたはご自分の娘の出生を疑った事はあるかい?」

 そう言って立ち上がると、窓辺に身を寄せた。

「それは……どういう意味ですか?」と眉をひそめると、「……そうかい。あなたも壊れてしまったんだね」と小さく言った。そして窓の外に目を向けると、もう何も受け付けない意思が感じられた。マダムリリーは意味が分からないと言った表情を浮かべて腰を上げ、スカートを何度かはらうと「……失礼いたします」と言って部屋を後にした。


 施設に到着した時、娘のリツカと会った。リツカは気まずそうに会釈をして通り過ぎる。

 先日の結婚式の件だろう。子供達を招待したいリツカと、招待したくないマダムリリー。親子の希望の相違が、互いにしこりを残している。マダムリリーはそんな娘の様子にふんと鼻を鳴らし、自身の部屋に向かった。

 すると、部屋の扉に、背中を預けている人間が見えた。

 セルだ。

 黙々と歩を進める。

「……何か用ですか、セル」

 見下ろしながら問うと、セルは腕組みをしたままぎろりとマダムリリーを睨みつけた。

「今日、俺の家に行ったんだって?」

 マダムリリーは内心舌打ちをした。普段の癖でリツカに告げた行き先が、セルの耳に入るなんて。

「施設長として、色々確認事項がありましたからねえ」

 表情を崩さず言ったが、無論セルが納得できる回答ではない。彼女自身分かりきっていた事だが、自分から全てを話す必要性を感じなかった。セルは唇を引き結び、眉間に皺を寄せた。滲み出る不快感を隠そうとせず、組む腕に力を込めている。

「おどきなさい。私は色々と忙しいのですよ」

 セルの肩に手を置いてそう言った瞬間、セルは物凄い勢いでそれを振り払った。マダムリリーは目を丸くし、払われた自身の左手をまじまじと見つめた。

「……。別に私はやましい事なんて何も無い。むしろそれは、あなたの方でしょう」

 左手に視線を向けたまま呟いた。セルは一瞬目を見開く。彼女はそれを見逃さなかった。

「いいですか、セル。あなたが何を企もうとも、私は崩せませんよ」

 セルに目線を戻し、マダムリリーは口角を上げた。セルは黙って睨みつけ、しばらく沈黙が続いた。

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