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鳥かごの少年達  作者: LOG
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第12話 崩壊の音

第四章 マダムリリー


 万年筆のインクが切れて、彼女は舌打ちをした。

 施設の西側に構える彼女の書斎。無数の本が部屋を囲い、部屋の中央に立派な机が鎮座する。広い部屋だが、本棚と机が一帯を占め、圧迫感に支配されていた。しかし彼女にとっては居心地がいい自分の城であった。目頭を押さえ、息を吐く。首周りが重い。細かい書類に目を通し、文字を辿る一連の作業が苦痛だった。年をとったものだと心の中で嘆きながら首を回す。

 背中を預けた椅子がみしみしと軋んだ。ふと見上げると、数枚の写真が目に入った。幼い女の子がこちらを見て笑っている。そして視線を動かすと、施設の子供達と笑顔で写真におさまる娘。リツカは自慢の娘だった。

 器量よしで、物腰柔らかな性格。この度念願の結婚も決まった。それも、隣町の有数な名家が相手だ。「でかした」と漏らした言葉を、リツカは困ったように受け止めた。

 マダムリリーは立ち上がった。写真たてに近づく。それを持つと、じっとリツカを見つめた。そして写真の片隅に、そっぽを向いて映る少年の姿に目を止める。セルだった。

 物心つく頃、多くの子供達は自身が置かれた立場に絶望する。しかし月日と共にそれを受け止め、普通に生きる子供達となんら変わらない生活を始めるのだ。小さなコミニュティーを作り、たわいもない話に一喜一憂し、勉学に励む。それはごくありふれた日常として存在していた。しかしセルは、そのあり方を真っ向から否定し、常に鋭い視線をマダムリリーに浴びせた。彼女はそんな彼を次第に疎ましく感じた。セルの全身からあふれ出る拒絶は、彼女に嫌と言う程攻撃的だった。

 写真たてを元の位置に戻す。そろそろ来客の時間だ。時計に目をやり、再び椅子に腰をかける。

 部屋の電話が鳴り響いた。ワンコールですかさず出ると、電話の相手はリツカだった。

「はい、お通しして」

 受話器を置き、背伸びをした。口角を上げる。疲れを見せまいと取り繕う。

 ドアをノックする音で、彼女は瞬時に歩を進めた。


 目の前の青年は優雅な佇まいで微笑んでいる。それはマダムリリーをいい気持ちにさせた。話し方、相槌、リアクション、全てが完璧だった。さすが名家の息子。いい教育を生まれながらに受けて来た事が分かる。マダムリリーは上機嫌だった。

 青年は一人でやって来た。事前の話では両親と来る予定だったが、急用でそれはかなわなかったとか。結婚の申し込みで一度会ったきりであったが、そこは有名な名家である。そう何度も予定を作るのも難しいのであろう。マダムリリーはそう思った。

「そうそう、結婚式の話ですが」

 青年が切り出し、マダムリリーとリツカは言葉を待った。

「ここの子供達も招待したいと思ってるんです」

 突然の告白に、マダムリリーは目を見開いた。

「え、子供達を、ですか?」

 そんなマダムリリーを見て、リツカも口を出す。

「それはとても嬉しいです。皆喜んでくれると思います」

 リツカも初めて聞いたのだろう。彼女は心底嬉しそうに、婚約者である青年に礼を言った。青年はそれを見て微笑んだ。

「リツカの大切な家族だからね。当然だよ」

 マダムリリーは思案した。あくまで表面上は笑顔を崩していなかったが、内心戸惑いが彼女を支配する。

 あの子達を式に呼ぶ?

 真っ先にセルが浮かんだ。自分を憎々し気に見るあの目。あんな子供を式に招待するなんて、私の評判が落ちてしまうのではないか。晴れやかな幸せが溢れる式場に、呪われた子供を呼ぶなんて。マダムリリーは無意識に歯ぎしりをした。

「……お母様?」

 リツカの呼びかけに、現実に引き戻される。

「あ、そうね。ありがとう。私達家族の事を思ってくれて。感謝します」

 マダムリリーの言葉にリツカはほっとした様子を見せた。青年は目を細め、「礼には及びませんよ」と返した。


 青年の背中を見送って完全に姿が消えたのを視認してから、マダムリリーは小さく漏らした。

「上手い理由をつけて、あの話は無しにしましょう」

 振った手を止め、リツカは返す。

「……子供達を招待する話ですか?」

 マダムリリーは思わずかっとなった。

「それ以外無いでしょう!」

 はっとして辺りを見渡す。誰の姿も見当たらず、息を大きく吐いて話を続けた。

「……無理ですよ。あなたの晴れ舞台です。それを誰にも邪魔されたくないのですよ」

 重い響きだった。いつもなら引き下がるリツカだったが、しばらく黙って意を決したように反論する。

「子供達は家族です。私は家族に祝福して欲しいです、お母様」

 強い口調にマダムリリーは一瞬ひるんだ。しかしすぐに鼻で笑う。

「形式上の話でしょう。私達は家族代わりなだけですよ」

 この言葉にリツカは声を荒げる。今まで抑えてきたものが噴き出すようだった。

「違う! 私達は……少なくとも私は! 皆を本当の家族だと思って生きてきました……!」

 リツカは小刻みに体を震わせた。そのまま絞り出すように話を続ける。

「子供達に真摯に向き合った事はありますか? 子供達は誰一人として、あなたを慕っていない。どこか怯えた目であなたを見ています。私が結婚を決めた時、お母様は私を祝福してくれましたか? いいえ、違うでしょう。名家と繋がる事に対する幸福感しか、あなたには無かった」

 矢継ぎ早に繰り出すリツカの猛攻に、マダムリリーは一言も返す隙が無かった。目の前の娘は今まで見てきた穏やかな表情では無く、自身に対する嫌悪感を露わにして白い歯を剥き出しにしている。ぐっと喉が鳴った。

「あなたと私は、違う」

 それはマダムリリーに対する、娘からの決別の言葉だった。マダムリリーは目を見開き呆然とした。リツカが横を通り過ぎ去って行っても、最後まで返す言葉は無かった。


 窓に目を向けると、木々が風に揺らめくのが見えた。頼りなさげに揺られる葉を眺めながら、マダムリリーは過去を想う。

 自身がこの施設の経営に携わって三十年程がたった。呪われた子供に幸福を。それがこの施設の経営概念だ。それは若くしてこの施設を立ち上げた、彼女自身が決めたのだ。

 娘のリツカは彼女の理念を尊敬し、自ら積極的に運営に関わった。次第に自然と教師の資格を取り、子供達に勉強を教える。他の子供達となんら変わりない生活を。それがリツカの理念だった。

 成人を迎える数日前からの、重苦しい空気。しかし人は次第に慣れて行くのだ。マダムリリーの感覚は麻痺し、その日に何の感情も抱かなくなった。むしろ国を守る生物兵器となりゆく彼等に、尊敬の念を抱きさえした。そこがリツカとの絶対的な違いだった。

 はあああ……。胸が大きく上下する。それを何度か繰り返す。大きく吸って大きく吐ききる。大袈裟な程深呼吸を繰り返し、天を仰いだ。

 小さくドアをノックする音がした。リツカだろうか。マダムリリーは天を仰いだまま、「入りなさい」と促した。

 おずおずと開いた扉の向こうから現れた姿を見止め、マダムリリーは「あら」と思わず声を漏らした。

「どうしましたか、マイ」

 マダムリリーは大きく口を動かし、指を振った。マイは何やら悩んだ様子を見せ、しばらく両指を絡ませ下を向く。マダムリリーは急かさず、マイが切り出すのを待っていた。

『セルの事なんですが』

 マダムリリーの眉根が動いた。

「セルがどうかしましたか?」

 マダムリリーはマイの背中にそっと触れ、ソファーに座るように促した。マイはゆっくりとした足取りで進み、ソファーに体を沈める。きょろきょろと視線を泳がせ、落ち着きの無さを露わにした。無理もなかった。子供達にとってマダムリリーの存在は緊張感を伴うものだったし、ましてや彼女の部屋など縁が無かったからだ。マダムリリーはそんなマイの様子を気にも留めず、銀色に光る歯を剥き出しに大袈裟な笑顔を作る。

『……セルが、怖いんです』

 思いもよらない告白に、マダムリリーは一瞬面食らった。しかしすぐに「怖い?」と指を動かすと、マイは頷いた。

 マダムリリーは少しの間考えた。彼女の印象では、いつもセルと一緒にいる姿しか思い浮かばなかったからだ。セルとルーサとマイの三人は、常に一緒にいた筈だ。

「何故怖いのですか?」

 マイはしばらく口をつぐんだ。どう説明すればいいのか言いあぐねているようだ。指をもぞもぞ細かく動かし、何度か目を固くつぶった。

「大丈夫です。あなたのペースで、ゆっくりでいいのですよ」

 マダムリリーは穏やかだった。そんな様子に緊張が徐々にほぐれたのか、マイは小さく首を縦に振った。そして言われた通りゆっくりと指を動かした。

『セルは、この施設を……潰そうとしています』

 マダムリリーは目を見開いた。施設を潰す? 何とも言いようがない表現に、顔がひきつるのが自分でもわかる。

『言ってたんです。自分が成人になる前に、絶対にこの施設を壊すんだって。こんな家族ごっこを、自分が終わりにするんだって』

 次々に繰り出される衝撃に、マダムリリーの口角がひきつった。いつも自分を憎悪する視線を向けるセル。だがまさか、そんな。この施設を潰すなんて言う物騒な発想を、子供が抱くだろうか。しかしすぐに脳内で首を振った。マイが嘘を言う理由が無い。ましてや仲がいいセルに対してこんな嘘を言う必要性が全く無かった。つまり彼女は真実を述べている。マダムリリーは唾を飲み込んだ。

「他には何か言っていましたか?」

 マイは顔を伏せた。急かしたくなったが、マダムリリーは何も言わず彼女を待つ。

『……マダムリリーを、傷つけるって』

 言いにくそうにマイは手を動かした。マダムリリーはいよいよ動揺を隠せなかった。

「私を、傷つける?」

 身を乗り出しマイに迫る。マイは顔を背け、申しわけなさそうに首を縦に振った。

「は、馬鹿な……」

 マダムリリーは眉根に皺を寄せた。しばし逡巡する。そこまで何故セルは思い詰めている?

純粋な疑問が脳裏をよぎった。

「……マイ、あなたにお願いがあります」

 努めて穏やかに彼女は言った。

「しばらくセルの様子を観察して、毎日私に報告してください」

 淡々とした口調だったが、言われたマイの喉が動いた。

「分かりますよ、マイ。でも私は母として、この施設を守る義務があります。施設を壊そうと画策する人間を、放っておくわけにはいきません。たとえそれが子供だとしても……いや、母だからこそ、子供の暴走を止める責任があります」

 もっともらしい内容だったが、結局はマイにスパイになれと言っているわけだ。マイはしばらく考え込んだ。なんてことをしてしまったんだろう。そう思っているような表情を浮かべている。どれくらいたっただろうか。時計の針の音が、張りつめた空間を裂くように二人の耳に届く。

『……わかりました』

 望んだ答えに、マダムリリーは満足気に深く頷いた。そしてマイを部屋に戻るように促すと、不安そうな表情を浮かべる彼女に微笑んだ。

「大丈夫です、マイ」

 マイは小さく頷くと、部屋を後にした。


 数日間、マダムリリーはマイの報告を受けた。セルの物騒な言動に内心苛立ちを覚えるが、平静を装って全て聞く。ある日の事、マイは一層言い出しづらそうに口を開いた。

『どうせ自分は成人になったって、化け物にならない』

 さすがのマダムリリーも、その言葉にはぎょっとして表情を崩した。

「え?」

 間の抜けた声色だったが、そんな事は気にせずマイの続きの言葉を催促する。

『いえ、あの……。セルがそう言っていたんです』

 全身を貫かれたような衝撃が走った。

 セルが、呪われた子供じゃない?

 マダムリリーはすぐさま思案する。

 セルが施設に来た時を。

 さて、どんな様子だった?

 しかしすぐにその思考は途切れた。何故なら。

 ――施設の子供達がやって来た日の事を、何一つ覚えていないから。

「マダムリリー?」

 小さく震えるマダムリリーを見て、心配そうにマイが声をかけた。しかしマダムリリーは血走った目を大きく開きながら、黙ったまま動かなかった。

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