第10話 後継ぎとしての自分
夕食を終えて三人は再びリツカの部屋に集う。今度は就寝時間を気にしながらの話になるが、経緯を説明出来たルーサの気持ちは少しではあるが軽くなっている。
「つまり、その女の子とお母さんの行方が分からなくなった。と言う事ね?」
口元に手を当てたリツカが念を押すように確認をする。三人は頷いた。
「ごめん、リツカ。さっきも言ったけど、俺が悪いんだ。セルはすぐにリツカを呼ぶように言ったのに、俺がそれを嫌がったんだ。俺、俺が…」
そこまで言うとルーサは項垂れた。セルは何も言わなかった。マイは彼の肩を優しく撫でる。
「……確かにルーサの判断ミスは、大きなものよ」
リツカの言葉に、ルーサは目を固く閉じた。しかしすぐに、柔らかい口調で言葉が続く。「でも、親子を想ったあなたの気持ちも分かるわ。だから、そこは否定しないで」
リツカは立ち上がり、ゆっくりと室内を歩き思案した。
「セルの言う通り、呪いはしかるべき場所でしかるべき段階を踏んで、初めて安全に発動できるの。それこそ街中で発動したら? 制御出来ずに暴発する力の前に、私達は成す術もないわ」
呪われた子供である三人を前に、リツカは言葉を選びながら話を進めた。
「今は機関に報告して、二人を捜索するのが一番だと思うの。放っておいて呪いが発動してはいけないし……。彼女の正確な誕生日も把握する必要があるわ」
ルーサは頷いた。
「ひとまずこれは私に任せて。詳しい話を聞きたい時は、またあなた達に声をかけます」
そう言ったリツカの足元がふらついた。
「リツカ?」
ルーサがそっとリツカの体を支える。
「ありがとう。ちょっとつまづいたみたい」
リツカは苦笑いを浮かべて答えた。
第三章 ラルム・十四歳
「お前には心底うんざりしている」
目の前の男はばっさりとそう言い切って見せた。ラルムは狼狽えるでもなく、悲しむでもなく、ただ黙って男を見据えていた。男は口から白い息を深く吐き出すと、途端に視界が曇る。
「お前に跡継ぎはかなわないから、母さん嘆いてしまってなあ」
男は頭をかいて窓の外に視線を移す。そして椅子に深く座り直すと、みしみしと鳴った。
「正直期待しすぎてしまってな……。まさか呪われた子供が自分達に生まれるなんて考えてもいなかった。さて……。ラルム、どうしようか?」
五歳のラルムは、何と返答するのがいいか、数秒だけ考えた。しかし、何を言おうと、目の前の男を納得させる事は出来ないと思った。
街一帯を取り仕切る事業者の、待望の長男として生を授かった。しかし産声を聞くより先に、皆が手の甲の痣に目を奪われた。一世一代の大仕事をやってのけた彼の母親は、困惑する一同に首を傾げた。しかしすぐに皆の視線の先を見て、その意味を分かってしまった。
本来すぐに機関に引き渡される筈だったが、彼の両親はそれを渋った。自分達の待望の跡継ぎの期待は、身内のみならず街中が持っていたのだ。それが呪われた子供であると分かったら。
両親やその場にいた身内が口論になった。病院関係者は多額の寄付金をもらっている関係上、すぐに機関への連絡は出来なかった。
一時間程言い争いが続いただろうか。この痣は呪いではないと言いはる母親。何としても隠したい父親。気持ちが悪いから早く機関へ引き渡せと怒鳴る親戚。待望の子供は瞬時に問題の種になってしまったのだ。
様々な案が出された中、結局通常通り両親はラルムを機関へ引き渡した。何かあってからでは困ると、案外冷静な判断をしたのだ。跡継ぎの問題は先送りにされ、私はしばらく死ぬ予定はないもんな、と父親は皮肉った。権力者の両親は、定期的に機関の中でラルムと面会する事を許された。
「なあ、ラルム。私と母さんは、一体どうすればいい?」
父親は煙草を灰皿に押し付ける。ぎゅうっと指がつぶれる程、力を込めて。ラルムの目はそれをじっと眺め、口を開く。
「……。僕の、代わりを」
喉の奥から絞り出す、か細い声だった。煙草を消す動作を止めて、父親は顔を上げた。
「僕の、代わりを、見つけてください」
ラルムは俯いた。膝に置いた両手を丸め、自分の存在を消すかのように縮こまる。目の前の父親の顔を、もう見られずにいた。重い沈黙を体にまとわせ、ラルムは父親の返答を待つ。
何分たっただろうか。ラルムにとって永遠とも言える無言の時間に、彼は耐えきれなかった。たまらず顔をそっと上げると、彼は目を見開いた。
父親が泣いていた。
声を出さず、ただ涙が線となり頬を伝う。
物心ついてから、まだ僅かの面会回数。父親はひたすら、「なぜお前が呪いの子供」なのかを彼に問い、決して出ない返答を待ち続けていた。明るい談話等皆無で、ラルムはこの時間が嫌で嫌でたまらなかった。
「お父さん……」
この日彼は、初めて父親を呼んだ。父親は何も言わなかった。ただ涙を流して、座っていた。
「あいつ、むかつくんだけど」
ラルムの肩に手を置いて、レイナが顎で「あいつ」を示した。ラルムは視線を動かすと、三人組が視界に定まる。レイナが言う「あいつ」は、女の事だろうな。ラルムはそう思った。
マイの耳が聞こえないため、本人はもちろん周囲の人間も当たり前に手話の勉強をした。子供達はぐんぐん吸収し、マイも指で皆と会話が出来る事に、幸福感を覚えた表情を浮かべた。それからマイの笑顔は格段に増えたが、ラルムとレイナだけは手話の勉強を拒否した。
「面倒な事させないでよ。別に私はそいつと話したくなんてないし」
レイナは思春期を迎えた頃から、マイに対する拒絶をいっそう現した。一緒にいる事が多いラルムと自然と恋仲になり、周囲の子供達を見下す事が増えていった。
当のラルムと言えば、基本的に騒ぎを起こす人間ではない。長身と切れ長な瞳。前髪は後ろに流して固められ、大人びた外見だった。パッと見て威圧感溢れる独特の雰囲気が子供達を遠ざけたように見えたが、攻撃的なレイナが常に傍にいるのが原因なのかも知れない。
「俺は、隣が目障りだけどな」
ラルムの言葉に、レイナは一瞬ぎょっとした。しかし彼の視線を辿ると、その意味を理解しほっとしたように口を開く。
「セル? あー、何考えてんのかよく分からないけど」
黒い長髪を指にからませ、レイナはセルを眺めた。セルは元から口数が少なく、レイナとの関わりもほぼ無い。つまりそれはレイナといる事が多いラルムも同様なのだが、なぜかラルムは随分前からセルを敵視していた。レイナにその理由は分からなかったが、さして気に留める様子も無く話を続ける。
「それにしてもさあ、あいつ両隣に男はべらせて、まじでうざいよね」
会話の中心をマイに引き戻し、セルとルーサを交互に見て吐き捨てた。ラルムはそれに返すわけでも無く、ただ黙って三人を見ている。自然に視線の先は一点に集中した。
「はい、席について」
凛と通る声が教室に響く。発声と同時に開けられたドアに皆が瞬時に注視し、一斉に蜘蛛の子を散らすように席へ着いた。皆の着席を視認したリツカが、小さく頷いて続けた。
「今日は皆で自己紹介をしましょう」
言っている事が理解出来ない面々が、次第にざわつき出した。ラルムは背もたれに体を預け、リツカを見つめる。
「はい、みんな静かにしましょう。うん、急に自己紹介って言われて、戸惑うわよね」
舌打ちが、静まり返った室内で目立つ。ラルムは目線だけを横に動かすと、明らかに不満を露わにしたレイナが食ってかかった。
「……何年一緒にいると思ってんの。なーにが今更自己紹介だよ。うっざ」
顎を突き出す勢いで言葉を吐ききる彼女に、一同は何も言えなかった。レイナは猛烈な勢いでなおも続ける。
「大体さ、私達なんて何を学ぼうが、結局未来は決まってんの。だから意味が無いのよ。ね、皆そうだと思わない?」
室内を見渡し尋ねる。周りの女子達は気まずそうに顔を見合わせながら、肯定も否定もせずに曖昧な表情を浮かべるに留めた。そんな様子にレイナははっと大きく息を吐き、広げた右手の指先を顎に当てて言う。
「どんなに何かを得ようが、どんなにここの人間を知ろうが、最終的にバケモンになるんでしょ? それならそうなるまで皆自由に好き勝手生きればいいじゃん。ねえ、虚しくない? 何のためにもならない事を、さも普通の子供みたいに学ばされてさ。そんなの時間の無駄無駄。リツカもさあ、時間の無駄遣いなんかしないで、もう勝手にさせればいいじゃん。そうしたらあんたも楽でしょ」
矢継ぎ早に辛辣な言葉を浴びせ、唇の端を歪めるレイナ。ラルムは微動だにせずそれを受け流し、終始リツカを見つめていた。リツカは唇を真っ直ぐ引き結び、黙ってレイナの話を聞いている。
「はい、だからそんなしょーもない事やめてよね。それなら数学の授業聞いている方が千倍マシだわ」
溜め息交じりに肩をすくめ、レイナは鼻をならす。黙っているリツカに勝った気になったのか、やれやれと言った様子で髪を掬った。
「ただ一緒にいるだけになっていない?」
思わぬリツカの言葉に、レイナの指が止まる。
「みんな、自暴自棄になっていない? 未来が無いと諦めていない? 友達の事、そして自分の事さえも、分かっていないんじゃない?」
静まり返る室内をリツカは視線でなぞった。そしてラルムに目を止めると、彼の名を呼ぶ。全体が緊張に包まれる中、ラルムは息を吐いた。
「なんだよ」
気だるそうに問う彼に、リツカは続ける。
「あなたから始めましょうか。あなたの名前、趣味。色々と教えて?」
優しい笑みを浮かべ、リツカはラルムに返答を促す。
「……意味が分からないんだが」
すかさず横からレイナが口を挟んだ。
「だからさあ、くだらない事やめ」「今はラルムが話す番なの。レイナはその次にしましょう。ね?」
きっぱりと遮った彼女に、レイナは目を見開いた。顔を赤くしすぐにラルムに援護の視線を送ったが、彼はこのやりとりを気にする様子も無く、リツカを真っ直ぐ見据えていた。レイナは舌打ちを止められなかった。
「皆にあなたの事を教えてちょうだい。ラルムは一体どんな人間なのか、少なくとも私はとても興味があるの」
そう言い終えると、リツカは小さく頷いてラルムに話すよう促す。しばらく重い沈黙が続き、室内の誰もが教室から出て行くラルムを想像していた。
「……ラルム・グレイブ。年は今年で十四歳。趣味はとくに無い」
リツカ以外の面々が、思わず「え」と声を出した。驚愕の表情でラルムを見るが、おかまいなしに言葉を続ける。
「グレイブ家はとある街の実業家の一族だ。俺はそこの長男。家を継ぐ為に生まれた俺が、まさかのバケモンだったってわけだ。一族の、唯一の汚点だ」
淡々と話すラルムを、全員が息をひそめて見つめた。隣で突っ立っていたレイナはラルムを凝視して、唾を飲み込む。
「権力者の特権ってやつで、昔は父親と時々面会出来たんだ。けど会う度に自分の存在価値について考えさせられるから、もう会う事をやめた。面会なんかした所で俺がバケモンになる事実は変わらないし、俺がグレイブ家を率いる事は出来ない。そう、あの家にはもう絶対に戻れないから」
重い沈黙が流れた。ラルムは以降固く口をつぐんだ。その様子はもう話す事は無いと言う意思表示に見える。するとリツカはラルムの席に静かに歩み寄った。そして彼の前に立つと、「ありがとう」と優しく言う。
ラルムは何も答えなかった。しばらく誰も口を開かなかったが、「じゃあ次はあたしがやるかな」と、快活な声が響く。一同の視線は瞬時に声の先へ向かった。アスカが手を上げて、リツカに微笑んだ。




