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再会

 秋晴れのもと行われた第1☓☓回天皇賞(秋)(東京11R2000メートル芝10頭、GⅠ)1番人気の4歳馬トルバドゥール(岸飛馬騎乗)が1分58秒9で優勝した。この勝利でGⅠ6勝目。GⅠレースの連勝を「6」とした。

(中略)

 栗東・咲島厩舎所属の日鷹青騎手(21)は同レースの最終直線において斜行により他馬へ走行妨害を行い、これにより2位入線したクラッシュオンユーは4着へ降着。同騎手は同レース翌週の土曜から9日間(中央開催日4日間)の騎乗停止処分が下された。また、クラッシュオンユーは同レースにおいて鼻出血(=運動誘発性肺出血)を発症し、規定により1ヶ月間の出走停止。今後は療養のため北海道に放牧予定。次走は未定である。

(『大日スポーツ』20☓☓年11月☓日、朝刊一面より一部抜粋)


  

「内視鏡で見ましたけど、肺のほうはレース後の見た目ほど酷くなかったですよ」

 レースの翌週の水曜日。栗東トレセン咲島厩舎で調教師の咲島と年嵩の獣医の男がクラッシュオンユーを前にして話し込む。チタンのつるを摘み丸眼鏡の位置を直す。

「先生に今更説明するまでもないでしょうけど運動に起因する肺出血は競走馬の九割が経験しますからね。鼻からの出血があるかないかの違いだけ。見つかるか見つからないかの違いだけです。獣医の立場としては鼻出血してくれたほうがありがたいですね。問答無用で出走停止処分が下るから」

「いつ走れるんだ?」

 獣医の話を遮り、咲島は訊ねる。

 獣医は困ったようにロマンスグレーの頭を撫でつけ曖昧に微笑む。

「走ろうと思えば出走停止明けには走れるでしょう。でも、無理させないほうがいいと思いますよ。ここまで結果も残してきて、どうしても走らなきゃいけない馬じゃないんですから。それに、次出すなら有馬でしょう? ()()トルバドゥールが出てくる」

「無駄なことはするなってわけか」

「そうは言ってませんけどね」

 獣医は咳払いをして襟を正した。

「騎乗停止処分に出走停止。偶然も重なれば必然です。少し休んだほうがいいって神様からのメッセージじゃないですか、これは。これが人間相手だったら本人の意思を尊重しますけどね。馬は言葉を話せないからその身体に訊くしかない。そして、身体がなんて言ってるかはお話したとおりです」

「そうかよ」

 ぶっきらぼうに言った咲島を見て、獣医はほくそ笑む。眼鏡を外し、スクラブの胸元に仕舞う。

「珍しいね。サクちゃんがそんなこと訊いてくるなんて」

 すっかり相好を崩し、獣医の男が笑う。

「昔に戻ったみたいだ。やっぱり若いのと仕事してると張り合いが出てくるんだねえ」

「そんなんじゃない。ただな……」

「ただ?」

「――いや、なんでもねえよ」

 咲島はむっつりと黙り込む。ふーん、と獣医はすぐに興味を失って辺りを見回し小首を傾げた。

「そういえば今日はいないの? 騎乗停止食らっちゃった愛弟子ちゃんは」

「……ああ」

 咲島が遠くの方を見やる。釣られて獣医も顔を向けた。

「傷心旅行に行ってるよ。船橋までな」



 千葉県船橋市。船橋競馬場。

 日はすっかりと落ち、周囲をぐるりと取り囲むナイター照明設備が強烈な光でコースを浮かび上がらせる。青はその眩しさに目を細めた。被っていた帽子のつばを少し下げる。

 今日は地方重賞であるS2平和賞の開催日。仕事帰りのサラリーマン、若いカップルに親子連れまで様々な人で賑わう。ナイター開催のある地方競馬ならではの独特な高揚感。昨年のユースフル・ジョッキーズ・シリーズ(YJS)のレースが思い起こされる。

 夜空には細く欠けた月。今日は雨の心配はなさそうだ。

「入らないの?」

 暫く入口でぼうとしていると赤ら顔をした男に声をかけられる。歳は四十前半くらいだろうか。色褪せた黒い野球帽を前後逆に被っていた。

「いや、久しぶりに来たから懐かしくて。ちょっと浸ってたというか」

 野球帽の男はまるで我が子を褒められたように満面の笑みを浮かべる。

「船橋はいい競馬場だからな。中山にも負けてない。いい騎手も多いし、活きのいい若いのもいる。千崎いさなっていってな。二年目の騎手で、ちょうどあんたと同世代くらいかな。ほら」

 そう言って指差した先には千崎が大写しになったなにかのイベントのポスターが貼られている。顔もいいだろ、ととっておきとばかりに男は付け足す。

「……へえ。そうですね」

 青は白々しく相槌を打つ。

 ポスターの中の千崎がこちらを見てにやりと笑った気がした。むっとしてその目を睨み返す。不機嫌そうに黙り込む青を見て、男は慌てて表情を変えた。

「あっ、ナンパじゃないぞナンパじゃ! 競馬場でぼうっとしてる奴を見ると昔を思い出しちまってな」

 そう言って男は帽子と同じ野球チームのであろうスカジャンのポケットをまさぐる。右の胸元のTの文字のワッペンが取れかけていた。折り畳まれた一枚の紙を取り出す。

「ほい、これ今日の出馬表。船橋は千崎を買っとけば勝てるぞ。儲からんがな」

 哄笑。その後二三言葉を交わして男と別れた。

 ジーンズの後ろポケットからスマホを取り出し、メッセージをもう一度確認する。騎乗停止処分が下ってすぐ、月曜の夜に来た千崎からの短いメッセージ。

 

『暇だろ? レース見に来いよ』

 

 咲島から調教自粛の命が下っていたこともあり、特段断る理由もなかったので、導かれるまま青は船橋競馬場に辿り着いた。一枚綴りの出馬表に目を落とす。

 第十一レース農林水産大臣賞典平和賞。九頭が出馬するレース。馬名の脇に小さく載る騎手の名前。そこには赤く丸が書き込まれている。

 千崎いさな(船橋)。

 (つるぎ)恋太郎(れんたろう)(佐賀)。

 青は出馬表を綺麗に折り畳みポケットに収めた。



「メシ食いに行こうぜ」

 レース後、待ち合わせた競馬場の外で不機嫌そうに千崎は言った。青は首を傾げる。

「いいけど……。反省会?」

「ちげーよ」

「じゃあ剣くんの祝勝会だ」

「ち、が、う!」

 大声を上げた千崎を、まあまあ、と剣が余裕のある表情で宥める。千崎は恨めしそうに剣を睨んだ。剣が青に振り返り微笑む。

「千崎おすすめの美味しい店があるみたいなんだ。早く行こう」

 船橋競馬場からタクシーで十分ほど。あの千崎が薦めるだけあって連れて行かれた店の料理はどれもなかなか美味しかった。騎手でなければもっと食べたいほどだ。久しぶりの再会ということもあり、話題も尽きない。その内容が九割方競馬の話になるのは、まあ仕方のないことだろう。

 ひとしきり話したところで剣が切り出した。

「日鷹さん。実は今日来てもらったのはレースを見てもらうためだけじゃないんだ」

「そうなの?」

 剣が肯き、千崎に目で促した。千崎は待ってましたとばかりに口角を上げ、青をまっすぐと見据える。アンバーの瞳が好戦的に光る。

「俺たちは来月の〝チャンピオンズカップ〟に出る」

「え! チャンピオンズカップに!?」

 チャンピオンズカップ。

 中京競馬場で行われる下半期におけるダート馬の王者決定戦。ダートレースであり、中央馬だけでなくダートが主となる地方競馬に対しても大きく門戸を開いている。とはいえ他の経験豊富な地方騎手がいるなかで二年目の騎手が二人も選ばれることは快挙と言っていいだろう。

「僕は佐賀競馬所属の馬で、千崎は中央の馬に乗せてもらえることになったんだ。馬主さんたちもみんな協力してくれて。ね?」

 拳を握って興奮気味に語る剣からバトンを受け、千崎が、

「ああ。ようやく中央のG1レースで走れる。あれからもうすぐ一年。ここまで最速で来たつもりだが。だいぶ時間かかっちまったな」

 と熱っぽく語る。それを冷ますように、千崎はグラスに残った氷を呷り、音を立てて齧った。青は身を乗り出す。

「そんなことないよ。まだ二年目なのに、快挙じゃん。しかも二人も。普通だったら考えられないよ」

「普通じゃ駄目なんだよ。それじゃ追いてかれちまう」

「誰に?」

 千崎は一瞬言葉に詰まった後、目を伏せて髪を掻き乱す。再び顔を上げて苦々しい顔で吐き捨てた。

()()にだよ」

「――私?」

 千崎の瞳に青の姿が映る。その隣の剣の瞳にも。

 静寂。周りの部屋の雑音も遠くに消えていく。血液が滾り鼓動が加速する。

 たまらず千崎が視線を外した。

「今はいい馬に乗って調子乗ってるみたいだけどそれも今だけだ。絶対負けねえからな。俺も成海さんみたいにすぐに中央に行ってやる」

「僕も行く。必ず」

 剣がその隣ではにかむ。千崎が膝を立てて立ち上がった。

「――ちょっとションベン行ってくるわ」

 言うが早いか、逃げるように個室の外へと出ていった。足音を遠くに確認すると、

「今日さ」

 と剣が切り出した。 

「今日日鷹さんのこと誘おうって言ったのは千崎なんだ。ほら、秋の天皇賞での降着と騎乗停止で落ち込んでるんじゃないかって。あいつも優しいとこあるよね」

「……そうだったんだ」

 あの千崎がそこまで気を回してくれたのだと思うと不意に笑いがこみ上げてきた。剣が戸惑いを浮かべる。青は眦を指の背で拭いながら、

「ごめん。今日はありがとう。――でも大丈夫。私、落ち込んでなんかないから。騎乗停止も降着も、負けたのももちろん悔しい。でも、それって落ち込んでるっているかっていうのは少し違ってさ。なんていうのかな――」

 青は固まったように口を閉ざす。そこで自分の感情に思い至った。ずっともやもやと覆っていた霧が晴れたようにその感情が浮かび上がる。暫くしてようやく言葉を吐き出した。

「……怖いんだ、私」

「怖い?」

 怪訝に眉を寄せた剣に青は肯く。抱えるようにして膝を寄せた。その瞳に翳が差す。

「そっか。私、あの子に置いてかれちゃうんじゃないかって。そう思っちゃったんだ」

 そう青は独り言のように呟いた。



 青と別れた帰り道。

 大通りでタクシーを拾おうと剣と千崎は行き交う車を眺めていた。

「元気そうで良かったね、日鷹さん」

「ま、心配なんかしてなかったけどな」

 剣は千崎の横顔を見てほくそ笑む。そこで思い出したように千崎に訊ねた。 

「あっ、そういえばもうひとつのほう伝え忘れちゃったね」

「いいんだよ。全部教えちまったらつまんねーんだから。それにどうせ、すぐ会えるだろ」

 千崎が右手を挙げる。向かってくるタクシーがウィンカーを点滅させた。

次回は2月10日(火)更新予定です。

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