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蠢動

次回は2月25日(火)更新予定です。

 スプリング【spring】

 ①ばね。②泉。③冬の間は待ち遠しく、夏になると恋しくなるもの。春。「いよいよ―ステークス当日になった」

 

 テレビをつける。

 時刻はすでに十五時を少し過ぎた。

 テレビのなかではパドックや過去のレース映像が流れる。切り替わってスタジオでは喧々諤々、出演者がこの後の馬券予想をしていた。

 今日、中山競馬場で行われるメインレース、スプリングステークスの発送時刻まで四十分を切っている。青が今日乗るレースはこのレースだけだ。

『――本日もスタジオ解説は元JRA調教師の安積(あさか)先生にお越しいただいています』

『よろしくお願いします』

『先生、早速ですが、今日のスプリングステークスで注目しているのはどの馬になるでしょうか?』

 視界を務めるきびきびとした若い女性キャスターの質問に、見事な白髪を短く刈り込んだ安積先生が頷く。

『そうですね、このレース抜き出た実力を持った馬というのはいない印象です。なかなか予想が難しいレースになると思います。

 ただ、そのなかで挙げさせてもらうとまずはトルメンタデオロ。ここまでなかなか勝ちきれない競馬が続いていますが実力は間違いない。去年の二冠馬であるデザートストームの全弟ですし、鞍上が成海騎手に変わったのも面白い。ここでひと皮剥けるかもしれません。

 そして、もう一頭がバショウセン。兄弟に過去皐月賞を勝った馬がいる良血で近走の内容もいい。典型的なピッチ走法なので小回りの中山も合うでしょう。後ろ脚質なのが懸念材料ですが、猿江騎手がデビューから乗ってるので上手く導いてくれることに期待したいですね。

 私の注目馬としてはこの二頭を挙げさせていただきます』

『ありがとうございます。奇しくも二頭とも昨年デビューした新種牡馬のカムシン産駒ですね。今年もやはり目が離せないといったところでしょうか』

『そうですね』

 意識はしてませんでしたけど、と笑って安積先生は付け足した。

『――馬ではありませんが日鷹騎手が先週、先々週と好調ですがそこはどうでしょうか』

『たしかに勢いに乗った騎手は怖いですね。ただ乗っているクラッシュオンユーが追い込み馬、加えてムラのある馬なので馬券を買うなら抑えまでといった評価にしたいと思います』

『わかりました。ありがとうございます。

 それでは一旦CMです』

 軽快な音楽とともに目新しさもないインスタント食品のCMが始まる。

 壁に掛けられた時計を見上げるが、時計の針は遅々として進まない。

 昔からこの時間が嫌いだった。どんなに心配しようと私にはなにもできない、この時間が。

 膝の上で静かに手を重ねた。目を閉じ静かに祈る。

 あの日、二度と祈ってやるものかと罵った神様にではない。

 あの子の父親である大洋に、だ

 

「よう、日鷹ちゃん。調子いいみたいだな。上手く乗るコツ、教えてくれよ」

 レースを直前にした控室で成海さんに不意に声を掛けられる。軽佻浮薄。騎手としての腕前は尊敬しているが、人間的にあまり好きなタイプではない。

「私が成海さんに教える事なんてないです。というか私が成海さんに教えてもらいたいくらいなんですけど」

「はは、残念。企業秘密だ。俺が勝てなくなったら困るからな」

 なにがおかしいのか、成海さんは実に愉快そうに笑った。

「後輩いびりですか、成海さん」

 少し離れた位置で猿江先輩がこちらに口を挟む。

「やきもち焼くなよ猿江ちゃん。ごめんな日鷹ちゃんとっちゃってよ」

「え?」

 先輩の眉間に深くしわが刻まれる。紙だって余裕で挟めそうだ。

「ふざけないでください。

 お前も『え?』、じゃねーよ。なんで俺がやきもち焼かなきゃいけないんだ」

「冗談だよ。そんなに怒るなって」

 成海さんはひとしきり笑ったあと、再びこちらに向き直った。

「――でもさあ、このレース出るってことは皐月賞出たいんだ?」

 なにを当たり前のことを、当然だ、とすぐに言い返そうとしたとき成海さんと目が合った。

 その軽い口調とは裏腹に目は笑っていない。生唾を飲み込み、できるだけ毅然と答えを返す。

「当然です」

「フフ、そう。いいね。若いってのは幸せだ。騎手になって一年やそこらの身分でG1の舞台に立つ気でいる」

「……ダメですか?」

「別にダメじゃないさ。

 けど、お前みたいに競馬を舐めてる奴を見てるとムカついてくるんだよな。自分がその夢を語るに値するか考えたことある?」

 成海さんの顔からはすっかり笑顔が消えた。鋭い眼光で不遜にこちらを見定める様はさながら王の審判である。

「成海さん、あんた――」

 一歩進み出た先輩に目配せし、小さく首を横に振る。これは私への挑発だ。私が自分で解決する。先輩はこちらをじっと見たあと、身を引いた。

 再び成海さんに向き合う。

「そんなに気になるなら、このレースで判断してください。なんと言われようと、私とクラッシュオンユーは必ず皐月賞に出ます」


 輪乗りを終え、順繰りにゲートに入れられていく。 

「ったく、レース前からごちゃごちゃうるさい奴ばかりだ」

 成海さんも日鷹もやり合うなら目に入らないところでやってほしい。肺の底から大きく息を吐く。

 ごちゃごちゃ考えてもしょうがない。頭を切り替えよう。

 今日のスプリングステークスは十六頭のフルゲート。中山の芝千八百メートルはコーナーを四つ回る小回りコースで前目が有利。

 鍵になってくるのは明確な逃げ馬がいないという点だ。スタートしてからどういった馬群を形成するかでレースの様相は大きく変わって来る。

 今日乗るバショウセンはこれまで差しで走ってきたが、展開によっては前に行くことも考えなければいけない。

 スターターの合図でゲートが開く。

 出遅れた馬はなし。しばらく横一線。さあ、誰が先頭に――。

『! おおっと、これは意外な展開になりました!

 好スタートから一頭、逃げの態勢に入ったのはなんと“クラッシュオンユー”です!』

「!」

 クラッシュオンユー!?

 ここまで四戦すべて後方で控えて乗っていたのに皐月賞がかかったこの大一番で“逃げ”?

 どういうことだ。

 日鷹、お前は一体なにを考えている。

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