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あがきを疾み(あがきをはやみ)  作者: 理猿
第三章 クラシックへ続く途
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向いてない

 川崎駅からバスを乗り継ぎ、少し歩くと目的地が見えてくる。自然と駆ける脚が早くなり、鼓動の間隔が短くなった。

 景色が開け、お目当ての人物はすぐに見つかった。

「見ろよ竜兄!」

 調教を終えた竜兄の目の前に競馬学校の合格通知を広げる。

「なんだ、受かったのか。落ちるかと思ったのに」

 竜兄は表情を変えることなく、ちらりと見たかと思うとすぐに目を逸らした。

「受かるに決まってんだろ! 俺を誰だと思ってんだよ!」

「クソガキ」

「クソガキじゃねえ!」

「……まったく、朝から元気な奴だな。つーか、それを見せにわざわざ小向(こっち)まで来たのか?」

 神奈川県川崎市幸区、小向(こむかい)厩舎。

 川崎競馬場は敷地内に厩舎を併設するスペースがないことから、多摩川沿いの一画に設けられているここに厩舎が置かれている。

「気になってただろ? これで親父に一泡吹かせてやれる。ダービーにも先に出てやるんだ」

「……。……そっか。まあ、頑張れよ」

「なに余裕こいてるんだよ。親父を抜くってことは竜兄はもっと先に抜かれちゃうってことなのにさ」

「生意気言うなガキのくせに」

 間髪入れず、竜兄のデコピンが額を打った。

 

「番場君!」

 こちらを呼びかける声と同時にドアがノックされる。

 寝ぼけ眼をこする。

 新平の声だ。こんなに朝早く……はないがいったいなんの用があるというんだ。応答しないでいると再び入口のドアが叩かれた。

 居留守を使っているのだから諦めて帰ってほしい。

「番場くん! ねえ、いるんでしょ!」

 いない。

「……出てこないならドアごと破るよ?」

 そう言った後、先程とは打って変わって急に静かになった。まさか本当にドアを壊すつもりじゃないだろうな。

 膝に手を置き立ち上がる。

「……あー、もううるせえな。静かにしねーとぶっ飛ばすぞ」

 勢いよくドアを開けると、少し離れたところに新平が立っていた。こいつ、ドアに体当たりでもかますつもりだったのか。

「そんなことしたら、番場君また騎乗停止になっちゃうけど?」

「……この野郎……! ……用件を言え、用件を」

「ちょっと気分転換しようよ。暇でしょ?」

「暇じゃねえよ。だいたい、いま謹慎中なのはお前も知ってるだろ。こんなとこ見つかってチクられたらお前んとこの先生にも怒られるぞ」

 先日の暴力行為による騎乗停止期間は過ぎたが、所属厩舎の先生は怒り心頭。当分の間は調教、レースでの騎乗を一切禁止されていた。

「じゃあ、その時は一緒に怒られてね」

 今日の新平は強情だ。こちらの意見にまったく耳を貸さずに、入っていいと言ってもいないのにずかずかと部屋に上がってくる。

 ため息が漏れた。認めよう。今日のところは俺の根負けだ。

「はあ……、気分転換ってなんなんだよ」

「よくぞ聞いてくれました。これだよ、これ」

 そう言って新平は手に持った重そうな紙袋を掲げた。


「いけ! そこだ! 差せ差せ!!」

 部屋に置いている小さなテレビ画面のなかでは、競走馬がレースを繰り広げている。だが本物ではない。ゲームの話だ。

 新平が紙袋に入れて持ってきたのは、ところどころパッケージの破れた競馬のゲームソフト、そして使い込まれた筐体とコントローラーだった。

『一着、四番トゥワイスアデイ! 二着――』

「なんで勝てねえんだよ! おかしいだろ! 一番人気だぞ! 一・番・人・気!」

「名前が良くないんじゃないの? かっこ悪いし。その……、バンバキングオーって……」

「はあ!? どこがかっこ悪いんだよ! だいたいキングオーに乗ってる騎手のステータスが低いからダメなんだ! 俺が乗ったらもっといい着順に持ってこれるのによ!」

 新平はこちらを見て急に笑い出した。頬が紅潮する。

「なにがおかしいんだよ!」

「ごめんごめん。馬鹿にしたわけじゃないんだ。昔の僕と同じこと言ってるなと思って。ほら、子供の時ってそういうのがあるでしょ? 万能感っていうか」

「俺がガキみたいだって言いたいのかよ」

「はは、違うって。

 それに番場君がガキだっていうなら、このゲームで騎手を目指した僕のほうがよっぽどガキだよ」

「……は? お前、前に聞いたときは近くの競馬場でレースを見て騎手を目指したって」

「いや、もちろんそれもあるよ。でも、本当に最初のきっかけはこっち。みんなと比べるとちょっと恥ずかしかったから言い出せなかったんだ」

 そう言って照れくさそうに頭を掻いた。ゲームのなかではレースが終わり、次の場面に移っている。

「だってそうでしょ? これ馬主視点の育成シミュレーションゲームだしさ。このゲームの騎手より僕の方が上手く乗れると思うから騎手を目指しました、なんて。ちょっとどうかしてるよ。

 まあでも、あの時の僕は本気だったんだけどさ。

 番場君みたいにかっこいい理由だったらよかったんだけど。騎手のお父さんに憧れて騎手を目指したんでしょ?」

「……その親父には反対されたけどな」

 コントローラーを操作していた手を止める。画面では「新しく買った競走馬に登録名をつけよう」と女性のキャラクターが操作を促していた。

「親父だけじゃない、竜兄……成海さんにも反対された。

 言ってることは間違っちゃいない。俺は騎手になるには体格的に向いていない。親父より背は十センチメートル以上高いしな。

 騎手として減量がきついことは明らかだし、その辛さは騎手をしてる二人はよく知ってる」

 俺は騎手には向いてない。それは俺もわかっている。

 新平はこちらの話を黙って聞いていた。

「……お前は俺が騎手に向いてないって思うか?」

 言葉がこぼれた。

 これまで、誰にも吐いたことがなかった弱気だ。

 新平はしばらく黙ってこちらを見た後に、口を開いた。

「向いてないんじゃない?」

「……」

「……でも、そんなこと言ったら僕だって向いてないよ。初めてレースを走った時、こんな怖いことを仕事にしなきゃいけないんだって思ったし、今だってレース前は怖い。

 ――でもさ、向いてないからって諦められる夢は夢って言えるのかな?」

 お返しとばかりに新平がこちらに質問を返してくる。こちらの返答を待たずに話を続けた。

「いいんじゃない? 向いてなくても。

 騎手になるために生まれてきたなんて口が裂けても言えないけど、それでも僕はこの道を選んでよかったって胸を張って言えるよ」

「…………俺も、この道を選んだことは後悔してない」

「そう。僕とおんなじだね」

 新平は愉快そうにうなずいた。

「……生意気だな。新平のくせに」

「いつまでも昔のままじゃないからね。

 ――それよりそのスーパーバンバマルってなに……? ネーミングセンスどうなってるの……?」

「だからかっこ悪くねえって言ってんだろうがよ!」


 二月下旬。

 第一回阪神一日目。

 晴天の下、パドックを競走馬が周回している。

「うーん……」

 猿江さんにはかっこいいことを言ったはいいが、これからどうしたものか。スプリングステークスまでは一か月しかない。

 それまでに今より上手くなるきっかけだけでも掴み取らなければ。

「……僕の顔、なんかついてる? 青ちゃん」

「え?」

 那須さんが少し困った顔をしてこちらを見た。自分でも気づかないうちにじっと見ていたらしい。

「すみません! ちょっと考えごとしてて……」

「考えごと?」

「……どうしたらもっと上手くなるかって」

「……ふーん」

 那須さんはこちらをじっと見る。そうまじまじと見られると居心地が悪い。

「直接は教えられないけど……、まあ、そんな必要はないか……」

 那須さんは独り言のように呟いた。 

「?」

「青ちゃん、ちょっとだけヒントをあげる。

 特等席でよく見ておいてね。今回だけ、特別だよ」

 そう言って、那須さんは子供のように笑った。

次回は1月21日(火)更新予定です。

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