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(再掲)烏山天使

作者: すのへ

 それは奇妙な邂逅だった。いや本来なら遭遇というべきところだろう。わたしの知り合いでもなんでもなく、はじめて目にする人物だったからだ。それでもわたしは邂逅という言葉のほうがしっくり来るような気がした。

 大寒を前にした金曜の暮れ方、彼誰時で、これが辺鄙な村はずれででもあったなら寧ろわたしの気を引かなかっただろう。漆黒の闇のベールが背後に迫ってその男のディテールは陰のなかに沈んでしまっていたにちがいない。ところがそれが起こったのは商店街の真っ只中だった。煌々と明かりが灯り、往来は人で溢れていた。

 買い物客や駅からの通勤客の流れが入り乱れるなかをわたしはスーパーの買い物を済ませて駅方面へ向かっていた。その駅からの人の流れの真ん中にその人はいた。Vie De Franceのパンの包みを手に、ひときわ異彩を放つのは明るくド派手なピンクのオーラである。

「わ」と一瞬わたしは息をのんだ。通勤客のほぼ黒っぽいコートの一団がまわりに控えていたが、どの顔もピンクのオーラなど目に入らないかのようにあえて無視を決め込んで、いや本能的に見ないふり、見えていないふりをしているように見えた。異次元が嵌入してきて異世界の人物がそこに歩いているかのようだった。

 しかも。

 裸足である。

 はだし。雪こそないものの大寒の気候にありえない暴挙である。いや、どんな季節であろうといまどき素足で歩いている人間などいない。それなのにその人ははだしで平気で歩いている。大股でまっすぐ前を見て笑みを浮かべている。

 なにをどう着ているのかよくわからない。迫ってくるのはどうしようもなく明るいピンクである。襟元にひらひらが付いて、はだけた襟からぼさぼさと胸毛がのぞいていた。どんなズボンなのか。キュロットみたいな半ズボンかスコットランドのキルトみたいなものなのか。これもまたピンクだったか、それとも明るい黄色だったかチェックだったか、はっきり記憶に残らないような装束だった。

 頭の後ろから国旗のぶっちがい、小さな旗をクロスさせたようなものが見える。なにかを担いでいるようだ。まさかバグパイプをしょってるわけはないだろう。

 顔がまたなんと言えばよいのか。笑顔である。まっすぐ前を見て丸い顔は輝いている。ふつうのなりをしていたならば正視に耐えない雰囲気があるのだが、この風体である。つい引き寄せられて見てしまう。頬は紅でも指したように赤らみ、ぽっちゃりしたくちびるは漫画の造作みたいだ。

 その超越した表情にはまわりの景物にはいっさい関心がない徴候が見て取れた。まあ、そうでもなければこんななりはできない。

 正面をみすえて満足そうな顔でパンの包みを提げている。いつもは人気で買えなかったパンが買えたとか案外そういう小さなことで人はつい顔をほころばせたりするものだ。この人物にしてもいくら風体がおかしくとも人にはちがいないのだから。

 わたしの頭はめまぐるしくはたらきながら、視線はその人物の足に吸い寄せられた。あらためて裸足であることがどうも納得できない。変わり者である、変人であることは明らかだが、この寒空に素足とは。

 履くのを忘れて来たのだろうか。いやいやそんなことはないだろう。足を地面におろせば気づく。ということは意図して履いてないということになる。まさか履き物の一足もないとか。それは考えられない。いまどきダイソーへ行けばちゃんとしたサンダルが百円で手に入るのだ。げんにわたしはベランダ用に使っているが、柔軟性がある素材で丈夫で長持ちである。だいたいお金のかかっていそうな装束なのだから靴が買えないなんてことはない。ではやはり意図して履いていないのだ。

 小首をかしげながら足下から頭のてっぺんに視線を移してなにげにその人物の全体を見てはっとした。

「そうか!」

 思わず声が出た。

 様式美だ。素足でなければならないのだその装束には。どうしてもっと早く気がつかなかったのだろう。おそらくはその人物の風体に魂消たあまり審美についての視点など吹っ飛んでいたのだ。スニーカーやモカシン、ワラビー、エスニックタイプなどどれを持って来てもマッチしそうにない。気づいてみればなるほど、怪しげなピンクの装束を足元で美的に支えるのは素足しかないのである。

 相撲取りは裸足が制式である。土俵はもちろん国技館の優勝額の肖像だって裸足である。明治神宮での奉納土俵入りももちろん素足だ。まわし姿にふさわしいのは裸足であり、裸足しかまわしには合わないのである。だが相撲取りとて稽古中にふと公道をまわし姿で出歩くことはある。そんなときは雪駄を履く。裸足でアスファルト道を歩けばなにを踏んづけるかわからないからだ。小石やガラス片で傷を負うこともあるだろうし、犬の糞尿跡を踏む畏れもある。

 しかし、この人は素足の危険をものともせず、なにも履いていない。履いてしまったらすべてが台無しになる。この人物の「いま」が文字通り足下から崩れ落ちてしまうのだ。崩落から逃れるには危険を冒してでも履き物を放棄するしかない。だからこの人はそうしているのである。むべなるかな。理の当然の帰結である。

 こういう結論に達してあらためてその人物を見ると、じつに調和が保たれている。尋常ではない風体なのだが、その装束の異常さを中和する自然の力がはだしにはある。安心感さえ与えるのだ。逆になにか履いていたとしたら、その装束に対する冒涜であるばかりか、調和が踏みにじられることによってこの人は愚かな痴れ者に成り果てるのである。

 こじつけが過ぎるような気もするが、裸足の理由がつかめたように思えてわたしはようやく安心した。些事とはいえ無性に気になって喉元に引っ掛かったものだから解消してスッとした。ほっと一息ついてその人物を横目に遣り過ごす。ちょっと距離はあったが間近を通ったとき、気流の悪戯かパンの焼きたての香りが鼻を撫でていった。

『ぐう。腹へった』

 わたしもパン屋へ寄っていこうと道を斜めに横切ろうとしたとき、ぶわっと風圧を右半身に受けた。なにごとかと振り返って見て驚いた。大きな翼が羽ばたいて、ピンクの人がその素足でもってアスファルトの地面をトンと蹴ってふわりと浮いたのだ。わたしが受けた風圧の正体は翼の羽ばたきだった。大きな翼がゆったりと舞い、いまやゆうゆうと男の体を持ち上げている。

「わぁ」と声を出したのはわたしだけで、まわりの人間たちはなにごとも起こっていないように家路をたどっている。だれも見てはいない。わたしだけが足を止めて立ちすくみ、じょじょに高度を上げていく男の姿を追っていた。街明かりに映える派手なピンクの装束は、だれの目にも強いインパクトで迫っているはずだ。でも見ない。見ようとはしない。

 わたしだけが衝撃を受けている。男はなにもかも計算尽くであんな姿形で買い物に来ているのかもしれない。変装も擬装も不要だ。正体を曝してもだれも気づかない。どんな姿形であろうと見とがめられることはない。周囲の無関心を超然と睥睨して飛翔する。さぞいい気分だろう。

 わたしは立ち尽くして世間から隔絶したその男の後ろ姿を見送っていた。見惚れていたのかもしれない。駅からの人波は溢れては引き、わたしを飲み込もうとする。それに抗いながら空を見上げていてわたしは忽然と悟った。裸足のほんとうの意味を。

 要らないんだ!

 履き物は要らない。空を飛ぶのに靴は必要ないのだ。それどころか飛翔の妨げにもなりかねないのである。天使は靴をはかない。


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