33.弓矢の代償
ラドルフ
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Lの小部屋へ訪れてから数日たった頃だった。
父上から執務室へ呼び出されたのは。
「失礼いたします」
木造りの重い扉を開くと、父上は壁一面に備え付けられた本棚の一角で本を手に取り佇んでいた。
こちらを見ることもなくその本を棚に戻すと腕組みをして俺の方に向き合った。
「ウーリスから聞いた。お前に気になる令嬢がいると」
単刀直入に用件を告げる。それは父上のいつものパターンだ。
だがしかし、一体何を言っている......?
「父上......おっしゃっている意味がよく分かりませんが」
先日の弓矢の視察時に何度も外したことを訝しがったのだろう。
ウーリス団長に調査指示をしたに違いないだろうが、一体どこからの情報だってんだ。
「こちらでも調べたがな、サルーシェ伯爵家の長女だそうではないか」
サルーシェ.....
といえば、当主は皇城にも勤めている名の知れた名門。
そこの娘といったら......
「家柄も申し分ない、評判では頭もよく回る賢さと聞く。その娘との婚約を交渉してやる」
父上は何を考えているのか分からないような微動だにしない顔つきで、こちらをじっと見据えている。
その娘といったら、あいつじゃないか。
Lの小部屋を紹介してきた、元目つきの悪い令嬢。
あいつがそんな噂を流したのか?
「父上......余計な真似はおやめいただけますか? 俺はイリスと結婚すると決めているんです。そのような根も葉もない話を信じるとは、父上らしくないではありませんか」
“イリスとの結婚”それを口にするだけで胸のうちが熱くなってきた。
そんな馬鹿げた話のために、婚約関係を放棄しろと?
微動だにしていなかった父上の片方の眉がわずかに吊り上がった。
「今のままイリスとの婚約を続けることは許さん。これは家門のためだ、お前の婚姻相手を考え直す」
何を今さら......? 沸々と言葉にできない感覚が背中から湧き上がってくる。
「俺たちの気持ちも考えずに急に婚約を押し付けた上、今度はそれを解消しろと? 父上は勝手すぎる!!」
こんな怒鳴り声を親に発するのは生まれて初めてだ。
だが、こればかりは......声を上げずにいることなど出来る筈がない。
「先日の弓矢の乱れ、立て直せていないのだろう」
低い威厳のある声に今朝の鍛錬のことを思い出す。
イリスに想いを告げる、と決めたのに彼女が受け止めてくれるのか。
それを考えると、放った矢ほぼ全て外れていった。
「それは……」
何も言えずに、うなだれることしか出来ない。
なんって情けないんだ……
「いいか、狩猟祭だけ成功させれば後はどうでも良いと思うなよ。それが終わった後も、お前は永続的に家門を背負って立つ身。当主となる者は平常心と継続的な自己統制が不可欠だ」
有無を言わせぬ父上の言葉が続いていく。
「お前にとってイリスがどのような存在か知らんが、お前の精神を乱すような者をそばには置けん。我が一門を脅かす不安要素は排除するより他あるまい」
ぐうの音も出ずに、父上に背を向け執務室を後にしていた。
今すぐやるベキことは分かっていた。
「出かける。馬車を車寄せへ」
執事にそう告げ、着の身着のまま馬車に飛び乗る。
もう迷うことなど許されない――
向かったのは、懇意にしている帝都の奥まった場所にある宝飾店。
扉を開けると、店主は一瞬だけ驚いたような顔をし、すぐに深く会釈した。
「これは、侯爵子息様。本日は……?」
「指輪だ......結婚指輪を。最高のものを用意してくれ」
店主の瞳がわずかに揺れる。
「それは......ご要望はございますか?」
「色は彼女の好きなライトグリーンで。出来る限り丈夫な作りにしてくれ」
奥の部屋に通され、希望した色と同じ、だがそれぞれ特徴のある石を亭主は並べ始めた。
その中から目を引く、ひときわ透明感のある一粒を手に取った。
いつも踊る時に目で追った、彼女の白くて細い指によく映えるに違いなかったから。
「これがいい。枠は丈夫にしてくれ。彼女は破天荒で、動くのが好きで、どっかにぶつけて壊れでもしたら困るからな」
思わずエミリアの婚約会で回し蹴りされたことを思い出した。
不覚ながら笑みが漏れそうになるのを堪えた。
「.......承知しました」
店主は静かに息をついた。
視線を落とし、指先で石を撫でた。
これを贈ることで、彼女が自分を選んでくれるかは分からない。
それでも――伝えなければ全てが終わってしまう。
婚約で繋がっていた関係だって跡形もなく消えてしまうんだ......
受け取りの日程を確認し、控えを懐に入れた瞬間、後戻りできない覚悟のようなものが胸の奥に重くのしかかった。
俺には、もう......時間がない。