29.交差しないままの先で
ラドルフ
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シュバッ ……カツンッ
「……また外したな」
この日もいつもと変わらぬ我が家の射場で矢を放つも、それは手の内からすり抜けていって、あらぬ方向へと向かうばかりだった。
そんな俺の耳には、期待を裏切られたと言わんばかりの父上の圧を掛けるような声が聞こえてきた。
「くっ……」
いつもならそんなプレッシャーにもビクともしなったのに……
パサッ
手には汗が滲み始めて、もう一度つがえてうった矢は今度は遠くへ放たれるどころか、虚しくすぐそこの地面へと滑り落ちていった。
「何かお前の心を乱すようなことでもあったのか?」
父上の低い響きは、さっきの落胆の声よりはいくぶん平坦なようには聞こえた。
だが……いくら父上だからって本当のことを打ち明けるわけにはいかない。
あんな夢を見て、弓に集中も出来ないほど胸のうちをかき乱されているなんて……
「いえ、最近仕事の方が忙しく寝不足なもので……」
「ほぉ、いつぞや目を真っ赤にして徹夜したと言わんばかりの時はこんな事にはなっていなかったのにな」
落ちた弓を拾おうとしゃがみ込んでいると、そんなとぼけるような父上の声がした。
彼女のために書類作りで一夜漬けした日のことか……それくらいのことで手元が狂うような俺ではなかったのに。
……今は、それすらできない。
「狩猟祭までには何とかせねばな」
父上はいつもの冷静な声で短くそう言うと踵を返して射場を後にした。
何とかしなければ......家の栄誉のための狩猟祭。
そのために俺自身の心を保たねばならない。
それは頭では分かっていた。しかし、いざ、気持ちを立て直して矢を射ろうとしても、あの夢で彼女と交わる光景が目の前にちらついてくる。
そして昨晩、皇城からの帰り道、一緒に馬車に乗り込んで目の前に座る現実の彼女ーー
窓の外をじっと見つめたまま、俺の方を一度も見ようとはしなかった。
まるで、目の前にいるのは透明な俺のようだった。
何か言葉を交わそうとしたが、喉の奥で言葉がつかえて、結局ひとつも出てこなかった。
気まずさや遠慮じゃない。
これは、完全に――拒絶されてる態度。
なぜなんだ……何で俺は、こんなに避けられるようなことばかりしてしまうんだ……
矢をつがえても、その2つの彼女の姿が交錯して、気づくと指からは力が抜けて矢は再びあらぬ方へと飛んでいった。
イリス
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「本日より坊っちゃまはお一人で皇城へ行き来されるとのことです。イリス様は玄関前に待機している馬車をお使いください」
今朝のことだった。
毎日の日課である皇城へ共に行くことだけは、嫌われている事は分かっているし、私も冷たく努めようとはしてたけど、実は唯一楽しみにしていることでもあったのだ。
朝食時にラドルフ様の姿が見えないなー、とは思ったけれど、食堂を出て近づいてきた執事に突然、そう言われたのだ。
「え、えっと......仕事が忙しいからとかですか?」
「さあ、理由は仰っていませんでした」
どうやら彼はさっさと朝食すら先に食べ終えて、皇城へ行ってしまったらしいのだけど.....思いのほか、動揺を隠すことができなかった。
いや......はっきり言って、相当応えてる。
1人で乗り込んだ馬車は、何かが物足りなくて、いつも目の前でスッとした姿勢で足を組み、目を閉じているキレイな青年がいなくなってしまった事実に胸が抉られるようだった。
最近では私の方が冷たい態度をしていたけど、彼はモノともしていない風だったのに......ついに愛想をつかれてしまったらしい。
皇城へ到着するまでの時間がこんなに長く感じるなんて。
彼の気配を感じていた時は、この時間が永遠に続いて欲しいと願うほどだったのに。
気づくと、私の頬には一筋の涙がこぼれ落ちていた。
「イリス君、女騎士の働き方改革の論文発表だがね。今度、帝国文化保存会の大会が会長であるテドロ公爵邸で20日後、開かれる事になった。そこで披露するように皇女殿下、直々のご希望だよ」
今日の仕事の確認のため、皇族騎士団へ向かうとバリアーディ団長から呼び出されて、そう告げられた。
あと、20日か......ロザニアはじめ友人の女騎士たちのために始めたこのプロジェクト。
その大会での発表が終わっても、私はエスニョーラ家に居続けることなどできるのだろうか?
彼との婚約はこれからも続くのだろうけど、この冷め切った状況で私は......私は耐えられるのだろうか?
憂鬱な気持ちで、残りわずかとなった各貴族家の明細書の本日分の受け取り業務を終え、論文作成のために図書館へと赴いた。
「えーっと......”今後の女騎士の働き方として派遣登録制を推進することが妥当だとする意見も多い”」
この間、みんなに会った時に出た意見を盛り込んでみる。
とりあえず、私が見聞きした彼女たちの話を綴ってはいるものの、論文執筆なんて私の知力でできる訳もないのだから、最終的にこれらはラドルフ様に預ける事になる。
多分、この仕事は皇女様はじめ側近の公爵子息に、バリアーディ皇族騎士団長も関わってるものだから、エスニョーラ家の威信ってヤツのために彼が協力的な姿勢を崩すことは無いと思う。
それでも、最近では全く口もきいてない訳だからこの論文の話だってする術がないし、無事に20日後を終えることができるのか、不安でたまらなかった。
「あれ? まさかイリス、イリス・ミルーゼ?」
下を向いて、一生懸命に文字を書いていると、突然耳慣れない声が聞こえた。
何かと思って顔を上げると、そこにはどこかで見たことのある顔。
この人は確か......
「マクシム・グレン。覚えてないかな......ほら、騎士学校で同じ学年だった」
「あっ……」
思い出した。卒業パーティーの時、もうダンスタイムも終わりの頃に控えめに手を差し出してきた同級生。
うちと実家が比較的近い貴族家の次男だったかな。
整った顔立ちの割に気さくな人柄で、真面目に遅くまで剣の練習をしてるような子だった。
「君がここにいるなんて驚いた……正直、最初は別人かと思ったよ。見違えるくらい綺麗になってたから」
「そ、そんな……」
同級生にそんなこと言われるなんて思いもよらなかったから、思わず顔が熱くなって逸らしてしまった。
逸らした先の彼の服装が目に入ると、私とおんなじ白い制服を身につけている。
「そういえば、マクシムは皇族騎士団に入団したんだっけ……?」
「ああ、先日まで別部隊にいたんだけど、ちょうど今週から図書館専属警護に任命された。ところでイリスは何やってるの?」
いつも明細集めの仕事が終わった後の夕方の時間帯は、あんまり人がいない。
私たちは懐かしい騎士学校時代の思い出話や、今までどんなふうに過ごしてきたのか、色んな話を語り合った。
「じゃあ、そろそろ交代の時間だから。イリス、また」
そう言ってマクシムはなんだか名残惜しそうに手を振りながら、この場を後にしていった。
私もそろそろ帰らなきゃな......
身支度を整えて、ふとさっきまで憂鬱な気持ちを抱えていたのに、今はどうだろう、久々の旧友との再会に気分がすごく楽になっている。
エスニョーラ邸への道のりは、朝はつらかった皇城までの道のりに比べてそんなに辛くなかった。