最後の願い
突如尋ねて来た、天使を名乗る不審者による死の宣告。バイト生活に悶々とする男が死の間際に願う事とは?(コメディです)
高校生時代に友人と作った芝居の脚本を加筆修正したモノです。初投稿です。
友人M.Fに捧げます。
古田勝は一大決心をした。
プライドや世間体、未経験ゆえの恐怖、金銭的問題、癖になったらどうしよう等々、迷う要素は幾らでもあったが、決断してからの行動は早かった。
散らかった6畳一間を迅速かつ丁寧に片付け、数年前に実家を出た時のまま新聞紙で包まれていた来客用のティーカップひっぱり出して洗い、そもそもほうじ茶しか置いていなかった事に愕然とし、慌てて近所の24時便利なお店で紅茶のティーパックを買い、帰宅してから、しまった、牛乳も買っとくべきだったか、と思いつつも、まあいいか、と諦めた。
緊張して掛けた電話に出たのは、明るい声だが矢鱈と事務的な口調の女性で、不思議と落ち着いた気分になった。後は待つだけである。
期待と不安、緊張とやっぱり期待の中、ウロウロと熊のように部屋の中を行ったり来たりしていると、インターホンも付いていないオンボロ玄関のドアをノックする音が聞こえた。
来た・・・!
「…さん…田勝さんのお宅でよろしいでしょうか」
うん、小さくて聞き取りにくいけど、ハスキーで大人しそうな印象の声だ。
「はーい、いま開けま〜す」
ガチャ!
そこにいたのは勝の期待とはまったく違う、どう見ても演劇の扮装にしか見えない『天使』の衣装に身を包んだ細身の男性が、無闇矢鱈に爽やかな笑顔で立っていた。
「…チェンジ…」
そう言い放ち、勝は即座にドアを閉めた。
「え?勝さん!勝さん?開けてください!困りますよ!」
勝は、
やかましい困るのはこっちだ何だそのふざけた格好は大体誰なんだお前はふざけんな、という悪態を叫びたかったが、グッと我慢してドアを見つめる。
何かの手違いがあったのかも知れない。どちらにしてもこのままでは目的が達成出来ないような気がする。
ひょっとしたら自分の見間違えかも知れないし、話だけでも聞いてみるか、と思い直した。
恐る恐るドアを開けると、やはり天使の扮装をした爽やかな男性が立っていた。
「…あんた誰?」
「天使です!こんばんわ!」
再びドアを全力で閉めようとしたが、なんと相手はドアの隙間に靴を挟み、両手でドアの縁を掴んできた。しかもその力が尋常では無い。工事現場の肉体労働を平気でこなす勝が全力なのにもかかわらず、ジリジリとドアは開かれていった。
しかも爽やかな笑顔は一切崩さず、「待ってください、怪しいものではありません。まずお話だけでも聞いて頂けませんか?」などと話しかけてくる。はっきり言って不気味だ。
ところが
「あなたの人生に関する重要な事なんです」
そう言われて、何故か手の力を緩めてしまった。急に力から解放されたドアは、爽やか男の怪力によって一気に開かれ、ついでに蝶番も外れたようで、オンボロアパートの廊下を吹っ飛んで行った。
飛んで行ったドアを玄関に立て掛け、ドアの修理って幾らくらいかかるんだろう、などと心配しながら、いや、そんな事はこの男を何とかしてからだな、と部屋の真ん中のちゃぶ台に座っている男に声を掛ける。
「とりあえずだな」
「なんでしょう?」爽やか男は笑顔で答える。
「ちゃぶ台の上に座るんじゃねぇ。それは机だ」
「これは失礼しました。地べたに座る習慣には慣れないもので」
なんだか地味に腹立たしい答えが返ってきた。
あらためて、爽やか男と向かい合う形で、ちゃぶ台を挟んで座る。
「お茶くらい出ないのですか?」
なんだこの図々しい男は。
思いながらも、つい紅茶を入れてしまった。こんな奴と飲むために用意したわけでは無かったのに。何をやっているんだ俺は。
「ミルクは無いのですか?」
「ねえよ馬鹿野郎」
どこまでも図々しい奴だ。
「で?あんた一体何なんだ?」
「申し遅れました。ワタクシこういうものです」
そう言って男はちゃぶ台の影から、先程吹っ飛んだドアくらいの大きさの厚紙のような物を取り出すと、両手を添えて丁寧に渡してきた。何処から出した!?
驚きながらも就活時代の癖で、つい丁寧に受け取ってしまう。
「あ、これはご丁寧にどうも。。って、でかいわ!名刺でかいわっ!!普通の無いんかい!」と突っ込み口調に言うと、
「あ、普通のサイズが良いですか?ではこちらをどうぞ」と言って、またしてもちゃぶ台の影から今度は普通サイズの名刺を取り出してきた。
名刺にはこんな事が書かれていた。
天界人生回収科
回収天使
沙羅華恵流
「回収天使?さらはな…
「サラカエルです。サラカとお呼び下さい」
慣れた様子で食い気味に訂正された。こんなん読めんわ。ルビふっておけ。
「聞いたことありませんかねぇ。一応書籍にも出ていますし、結構有名な筈なんですが」
「はあ。すみません」
思わず謝ってしまった。いかん。相手のペースに飲まれている。新手の詐欺か変な宗教の勧誘かも知れないし、唯の気の毒な人かも知れない。一旦落ち着こう。
「知らん。で?その天使様が俺に何の用だ?そもそも本物の天使だって証明できるのか?」
「やだなぁ。頭の上を見れば判るじゃないですか」
そういって天使(?)は自分の頭の上を指さした。
そこには確かに天使の輪っかがあったが、どう見ても幼稚園児の手作りにしか見えず、おまけに背中から出ている針金に固定されているようだった。背中にも羽があったが、生えていると言うよりは、そういう小道具を背負っているようにしか見えない。これを突っ込んだら相手の思惑に嵌るような気がして、勝は気にしない事にした。
「あ〜そ〜ですね〜」と、棒読みで返事を返す。
兎に角話だけ聞いて、とっととお帰り願おう。
「信じていただいていないようですね。ああ、失礼。偽装したままでしたね」
そう言った天使が、両手で自分の体から何かを剥がすような動作をした。
その瞬間勝の目に飛び込んできたのは、何処からどう見ても完璧な天使の神々しい姿だった。
頭上には光り輝きながら浮遊する光輪、背中には美しい光沢を放つ純白の羽根。口元には全てを享受したような微笑を湛えている。
簡素な白い貫頭衣ですら、この世のものとは思えない清純さを感じさせた。目にした時点で疑う事すら忘れてしまう、そんな確実な存在がそこには居た。
「ほ、本物の天すぃ…」いかん。驚きのあまり舌が回らない。
「はい」笑顔で答える天使。その声を聴いただけで、畏怖と敬愛が湧き出してくる。そんな響きを持っていた。
「そ、その輪、触ってみても?」慄きながらも興味と渇望を抑えきれず、ふらふらと右手を伸ばす。
「ダメに決まっています。愚かな迷える子羊よ」そうピシャリと言い放つと、天使は両手で何かを被る動作をした。瞬間、元の扮装じみた爽やか男に戻っていた。
途端に勝の気分も元に戻り、
戻るのかよそのままでよかったじゃんむしろそこで戻られるとこっちがちょっと恥ずかしいんだけどというか一周回って腹立たしいんだけどどうしようぐーで殴りたい、
と非常に不敬な事を考えたが、グッと堪え
「わかりました。確かに本物の天使様のようですね。大変失礼致しました。それでどういったご用件なのでしょうか?」と丁寧に問いかけた。
「ご納得いただけて何よりです。それで用件なのですが、この度、勝さんはお亡くなりになる事になりましたので、それにあたりまして」
「ストップ!スト〜ップ!」
聞き捨てならない物騒な単語が飛び出したぞ。お亡くなりになる?誰が?
「お亡くなりって、死ぬって事?」
「そうです」
「誰が」
「もちろん貴方ですよ、勝さん」
「何で?」
「寿命ですねぇ」
「…」
「ショックなのは解りますよ。皆さんそうですから。でもコレばっかりは仕方ありません。生きとし生けるものは皆いつか死ぬのですから」
こいつ天使なのか死神なのか判らなくなってきたぞ。「なるほど」
「おや、落ち着いていますね」
「問題あるか?」
「いえ、助かります。ご説明を続けてもよろしいでしょうか?」
勝は無言で先を促す。
「この度、勝さんはお亡くなりになる事になりましたので、それにあたりまして、個人絶対保有幸運度の一括使用が可能となりました。本日はそのご説明と行使のために訪問させていただいた次第です」
「…何だって?」
「絶対保有個人幸運度の行使です」
「さっきと微妙に違うような…」
「細かい事は気にしなくて良いんです。とにかく、わかりやすく説明すると、人間がそれぞれ持っている幸運を死んでしまう前に使う事ができるという制度でして、勝さんは未使用の幸運がかなりの量ございますので、どんな願いでも一つだけ、叶えて差し上げる事が出来るのです」
「未使用の幸運?」
「そうです。自動的に消化されるものなのですが、幸運というだけあって無作為なため、貴方の様に運が無い人生を送ってしまう場合があるのです」
何だか酷い言われようだが、確かに何となく運は無かった気がする。
「そこで救済措置として、残っている幸運は死亡する前に使い切る事が出来る、という制度が作られたのです。さあ、どんな願いでも叶えて差し上げますよ。遠慮は要りません、欲望のままにどうぞ!」
どっちかって言うと悪魔みたいじゃないか?
しかし人生最後にどんな願いごとでも、なんていきなり言われてもなあ…
「えーっと、質問いいですか?」
「どうぞどうぞ」
「本当にどんな願い事でも良いんですね?」
「はい」天使は笑顔で答える。
「少し考えても良いですか?」
「ええ。まだ若干の時間がありますから」
う〜ん…あ、これイケるんじゃないか?
「死にたくないって願い事はアリなんですか?」
「ええ。可能ですよ。割とそれを言われる方は多いですね」
出来るんかい!じゃあそれで解決じゃんよ。
「じゃあそれ」
「しかし、あまりお勧め出来ませんね」
「どういうことですか?」
「今回の願い事というのは、残っている幸運を全て使い切る事で行使されます。死なないという願いを叶えても、その後の人生において勝さんは幸運を全く持たない事になるのです」
「いや、でも今までの人生でも運がなかったわけでしょう?」
「いいえ、厳密に言えば、幸運は日常の様々な厄災から貴方を守ってくれているのです。運が良かった、と思えるのはかなりの量の幸運が一気に使用された場合ですので、大抵の場合は運が良かった、とすら思わないのですよ」
「という事は、幸運が全く無いと結局どうなるんですか?」
「そうですね。わかりやすく例を申し上げると、この後玄関で転んで頭をぶつけた時に、打ちどころが悪くてお亡くなりになる、という感じですかね」
「駄目じゃん!」
「ですから、あまりお勧めできないと申しました」
あまり、どころか全否定じゃん!その願い意味ないじゃん!
「う〜ん、じゃあ、願い事を100個に増やすとか?」
「それもよく言われますが、あまりお勧め出来ませんね」
またかよ。
「どういうことですか?」
「実際に願いごとを100個も考えつく方は皆無です。そもそも100の願いを考える間に予定の時間を迎えてしまうので、叶えきることも出来ず、徒労に終わります」
確かに。人生最後が徒労とか、嫌すぎる。
「ん?そういえば、予定の時間って言いましたけど、後どれくらいあるんですか?」
「ああ、失礼しました。ええと…」天使は腕時計を見た。そんな物していたか?
「後5分ですね」
「ごっ!?」
「5分です」
「もっと早く言えよ!」
「そう言われましても、聞かれなかったものですから」
「いやいやいや!下手すると願い事決まらずに死ぬところだったじゃん!」
「確かにその通りですが、そもそも自身の確実な寿命を知ることなど、何人たりとも出来ないでしょう?そう考えれば随分と恵まれていると思いますよ。さ、こうしている間にも時間は過ぎていきます。急いだ方が良いのではないですか?」
くそ!確かにその通りだ。
「参考までに、統計では死期を悟った人間は、1年程度の時間があれば仕事やライフワークに全力を注ぎます。数ヶ月ですと旅行などの非日常を楽しむそうですし、数日ですと普通の日常をしっかりと楽しむ様ですよ」
「ちょっと黙っててくれ!考えがまとまらない!」
「了解いたしました」
「大金持ちになる!」
「使う時間がありませんが」
「もの凄い才能を手に入れる!」
「同じく発揮する時間が」
「ま、満漢全席とか?」
「5分、いや、残り4分ですよ?食べ切れます?」
ああ、俺はなんでロクな願いを思いつけないんだろう。俺の人生は一体なんだったんだ。この歳になるまで彼女もろくに出来ず、大体今日だって…あ…
「あの〜」
「はい」
「 を たいん けど」
「すみません、聞き取れませんので、もっとハッキリ仰って頂いていいですか?」
「…ど」
「ど?」
「童貞を捨てたいんですけど!そういうのでもいいんですか!」
勝は羞恥を捨てて叫んだ。願って何が悪い!?
すると天使は腕時計を見ながら呟いた。
「残り3分か…早いな…」
「…」
「では、」
「やっぱり無し!今の無し!」
「そうですか」
くそう!結局時間が無ければ何もできないじゃあないか!もう、せめて心安らかに死んでいきたい。映画の最後みたいに。…あ…
「俺、海外に行きたい。綺麗な地中海を観ながら死にたい!」
「それでよろしいですか?本当に?」
「はい!お願いします!」
「承りました。それでは!」
天使が右手を掲げると、辺りは一瞬にして小汚い6畳一間から美しい浜辺に変わっていた。
「すごい…本当に願いを叶えたんだ…」柔らかな風が身体を通り抜けていく。まさしく心が洗われるようだった。
「ご満足いただけたようで何よりです」
「太陽がいっぱいだ…映画の中そのものだ…」
「あれはイタリアのイスキア島で、ここはフランスのコルシカ島ですが」
うるさいな。最後くらい黙って堪能させろや。…でもいいんだ。俺は満足だ。
天使が優しく語りかけてくる。
「それではお時間となります。最後に言い残すことなどあれば、私で良ければ伺いますよ」
「いや…大丈夫です。大した人生では無かったけど、最後にこんな場所に来れて幸せだったと思います。ありがとうございました」
「お安い御用です。それでは吉田勝さん、これにて御臨終となります」
俺「え?」
天使「はい?」
俺「いや、俺の名前は古田勝で、吉田勝は隣の部屋なんだけど…」
「「……」」
天使「うそぉ…」
完
誰か読んで笑ってくれたら嬉しいなぁ。