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○おすすめ短編

コイン

作者: 黒十二色

 もう一週間にもなる。


 くすんだ茶色だった。十円玉だ。今朝も道の端に落ちていた。白っぽいコンクリートの上、光ってもいないそれに気付いたのは、私が下ばかりを見て歩いていたからだろうか。


 進み始めた電車から、それがあった場所を見ようとした。景色は流れ、そもそも遠く、建物にも遮られて、小さな硬貨など全く視認できなかった。


 あの場所は住宅街。駅前から少し離れた場所。公園へと続く道。コンビニ型のスーパーが近くにあるので、人通りはそこそこに多い。


 なぜそんなところに十円玉が落ちているのだろうか。


 公衆電話も近くにない。自動販売機も見当たらない。十円玉を使って遊ぶジャンケンマシーンもなければ、そういうのが置いてある駄菓子屋などもない。


 もちろん、十円玉が道に落ちていること自体は珍しくない。


 しかし、少なくとも一週間以上、同じ顔を向けて、誰にも拾われずに、毎日そこにあり続けているのだ。寸分たがわぬ同じ場所にだ。これには、いかに大雑把な私であっても深い疑問を抱かずにはいられない。


 家の前を掃除する人だっているだろう。数日前には大雨が降ったりもした。


 私のように通勤通学路に横たわる十円玉の存在に気付いた者も少なくないはずだ。


 にもかかわらず、何にも動かされず、誰にもすくわれず、取り残され続けている。


 偶然だとはとても思えない。偶然でないとしたら、いつ、誰が、何のためにそれを置いたのだろう。


 列車が乗り換えの駅に着いた時、私は決めた。


 もしも帰りも同じ場所に落ちていたら、拾い上げることにしよう。

 

  ★


 駅から歩いてくる道で、同じように十円玉が落ちていないか確認してきたが、一つもなかった。


 そして私は、あの十円玉の前で立ち止まる。やはりまだ取り残されていた。


 当然ながら、十円が欲しいわけではない。


 それでも私は拾いたい。


 拾ったところで持ち主に届けるつもりもない。警察に届けたって十円程度では相手にされないことは経験上知っている。


 それでも、なぜか拾いたいのだ。


 理由をあれこれ考えてみて、色々考えられることはあったものの、結局のところ、この欲望はひどく単純で、人間らしいものなのだと結論付けた。


 謎を解きたい。


 秘密、真実、未知。それらを明らかにして安心する過程は、とても刺激的なものだ。十円玉をこの手で拾いあげ、観察することで、謎の手掛かりが掴めるのではないかと思う。


 私は周囲を見回してからしゃがみ込み、十円玉に手を伸ばした。


 そこに銅貨はなかった。


 絵だった。おそろしく精巧で、本物にしか見えない絵だ。


 見事だ。


 トリックアートというやつだろうか。


 触れようと伸ばした手は、コンクリートを撫でるに終わった。


 私は頬が持ち上がっていることに気付き、そしてポケットから自分の財布を取り出した。


  ★


 あのとき、私は何を思ったのだろう。


 どうして十円玉の絵に十円玉を重ね置くなどという、まったく褒められない行為に及んだのだろう。


 報酬を払いたかったわけではない。騙された腹いせがしたいわけではない。本物を上に乗せて隠してしまいたいわけではない。逆に目立たせて誰かに気付いてほしいわけでもない。


 そもそも道に勝手に絵を描くのは許されないことだ。共有の価値に傷をつける行為だ。道端に硬貨を置き去りにするのも同等の悪行だ。


 それでも私は、十円を置いた。


 何故か。


 きっと私は、私なりのやり方で、悪戯なのか何らかのメッセージなのかも分からないこのイベントに参加したかったのだ。


 もはや謎を解き明かすことなど、どうでもいい。


 いつ誰が何のために十円の絵を残したのか。そんなもの、いつでもいい、誰でもいい、何のためでもいい。


 そんなことよりも、あの十円がプライスレスの作品であると気付いた時、触れられないそれに触れた時、思わず笑みがこぼれたことに私は驚き、そして本当に嬉しく思ったのだった。


  ★


 犯人は現場に戻ると言うけれど、私もまた、翌朝にその場所に戻った。


 私たちの十円玉はどうなっただろう。


 一時の昂揚感に熱烈に押されて本物の十円玉を置いてしまったけれど、その選択によって世界がどうなってしまったのか不安があった。


 知らない誰かの手によって二枚目の十円玉が置かれただろうか。それとも顔も知らない制作者が絵を消してしまっただろうか。近所の住人に十円を置かないでくださいという紙でも貼られてしまっただろうか。


 なぜこんなにも落ち着かないのだろう。


 考えてみるに、おそらく、確かめたいのだと思う。


 私の選択の結末を。


 閑静な住宅街。駅前から少し離れた道。駅に向かう足取りは慎重で、しかし軽やかな急ぎ足になっていた。



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