98 見慣れぬ故郷から目指す
僕達は異国を巡ってかれこれ一月以上を留守にしていた。
そして今、久々の帰郷。
そう、帰郷だ。北方ではなく、草原の只中にあるこの町が、僕の居場所だ。
異国でもずっと尽力してきたのは、ひとえにふるさとに誇れるものになる為だった。
フダヴァスからシュモット、ダイマスクを通過し、トゥルグへ。
気さくな竜人達とは爽やかに別れ、友との早い再会は笑いに満ちていた。シャロ達は既に帰っていたが、劇で広まったカモミールの特徴から熱烈に迎えられた。
トゥルグの首都を越え、フロンチェカに挨拶し、森へ。
ギャロルはしばらく首都を拠点にするようで、叱咤されつつ書類や伝言を渡された。フロンチェカでは痛快な噂を耳にしたとバントゥスから大いに喝采された。
かつて辿った道を逆回り。
海を渡って、道を歩いて、川を上っていく。道中では愉快な騒動があり、思い出を話の種にし、帰郷が待ち遠しい気持ちから行程を早めていった。
そうして、遂に来た。
気持ち良く晴れた空は祝福のよう。
風の感触が感慨深さを肌に訴えかけてくる。
揺れる草の匂いにも懐かしさがあった。
だがしかし、喜びよりも大きな戸惑いに包まれていた。
「ほお……これは」
「ほんとにここ?」
「おお……!」
「素晴らしい働きです」
街に入るまでもない。
草原に伸びる固められた道には人や馬車が行き来し、恥じることなく街道と呼べるものだ。整備された畑と放牧場には豊かな実りとのんびり昼寝する獣の姿がある。
川にもかなり手が入っていた。岸はしっかり整い、川港には幾つもの船があった。
町の門は多種多様な人々でごった返している。いや、そもそもこの立派な門はいつ造られたのか。
ふと見ればこれまた立派な看板が掲げられていた。
“精霊の足跡”。それが今の街の名前か。
僕が提案した“セイクルブレス”の評判はあまり良いとは言えず、他に幾つも案が出ては却下されてきた、とは道中に届いたマラライアからの手紙で知っていたが、こうなったか。
カモミールやローナ、神獣に仕える豊富な精霊、それらのイメージらしい。
僕個人としては残念な部分もあるが、皆の尽力の成果を実感すれば自然と頬が緩む。この混沌とした場所には一人が決めたものより多くが賛同した名が相応しいだろう。
門番はマラライアの部下である兵士が務めていた。
彼は少し上から列を眺めるカモミールを見つけると、手を掲げて僕達を呼んだ。
「おお! 聖女様が帰られたのですね。どうぞこちらへ!」
声に応じ、列から離れて門へ直行。
特別扱いは反感を招くとも思ったが、杞憂に終わる。
待つ人々も全て承知のようだ。有名な聖女だ、とあちこちから興奮気味な声が聞こえてきたから。
照れるカモミールや誇らしげなローナがにこやかに手を振れば、更に盛り上がっていた。これもまた僕達の足跡だ。
兵士の案内で町の中へ入れば、やはりまるで違う。
急拵えではなく、丁寧に造られた建物。
しかも、陸鮫、ベルノウの故郷、南方の国々。異なる建築方式がバラバラに建っており、結果何処にも似ていない町並みとなっていた。
そしてあちこちにカモミールの絵が飾られている。ワコ以外の作も多く、本人は照れているが人気の高さが窺えた。
面影はあるものの、すっかり発展。少し前まで草原だったとは思えない。
「何不自由なく暮らせています。皆さんのおかげですよ」
兵士が晴れやかに微笑む。
僕達を見つけた住人が笑顔で集まってくるのもその言葉を証明していた。
あまりにも多いのは困りものだが、まあ喜んで受け入れよう。
「まずはどちらへ?」
「レオンルークに報告せねばな」
研究仲間でもある長とも久し振りだ。
話は長くなるし、難しい。
行くのは僕だけでいいと、ソワソワしているカモミールを送り出す。少しの躊躇の後に駆けていく姿は可愛らしく、幸せそうだった。
「はははははは! よくも顔を出せたなこの加減知らずが!」
笑いながら怒っているのは、目の下の隈が深く毛がボサボサの痩せぎすな男。不健康な顔付きのせいでより迫力があった。
レオンルーク。獣人の貴族。
ここビステリアの、名目上の長。
長らく書類仕事に忙殺されていたようだ。順調に進み、次から次へと増える事務仕事を憎みすらしていた。
僕は頭が上がらない。
「済まない。だが、送ったドラゴンの鱗は興味深かっただろう?」
「それがなきゃとっくに逃げてんだよ!」
「重ね重ね済まない。フダヴァスで手に入れた珍しい生物の資料もある」
「寄越せ!」
荷物から取り出せば、目を爛々と輝かせて飛びつかれる。
仕事は後回しで、早速魔法も用いて調査に勤しんでいる。文句は言うまい。僕も気持ちはよく分かるし、かなりの仕事を押し付けた。
とりあえず満足するまで放置。
しばらくの後、資料から目を離さないまま、報告の続きを促す。
「で、交易の繋ぎは?」
「各国とも順調。むしろ注文が多過ぎて品物が足りないくらいだ。材料と人手の都合はつくだろうか」
「ははははは! 知るか。これ以上仕事を増やすな!」
「代わりに希少生物も神秘の遺物も入ってくるはずだ」
「よし。その辺分かってんなら勝手にしやがれ」
扱い易いのか扱い難いのか。ギャロルとはまた違う価値観で動く彼は、それでも優秀だ。
凄まじい発展の立役者の一人である。
感謝しつつ、事件や交渉の結果を詳しく纏めた分厚い報告書を差し出す。苦い顔を隠そうともしなかった。
代わりにこの地の出来事を知りたい。
「留守の間、何か異変は?」
「あー? 異端がまた何人か来たぜ。大人しいのと、暴れて騎士にぶっ飛ばされて牢屋行きになった奴がいたが、まあ平和だ」
マラライアは秩序の維持を成せているらしい。
多少のトラブルはあれど、大事にならずに解決。やはり統治能力が高い。
食料や住所等の面でも特に問題はなく、街は快適な環境であるようだ。
ならば。
「相談がある」
「……嫌な予感がするな」
身を引くレオンルーク。勘の鋭さは研究者の大事な資質だ。
彼を信用し、打ち明ける。
「いよいよ北との交渉をする」
驚きは僅か。
すぐに思案顔で尋ねてくる。
「……どうやって」
「まずは山頂に赴き、衛兵に繋いでもらう」
「問答無用で捕まんじゃねえのか」
「そうさせない為の材料ならある。ついさっき報告した中にも詳しく書いた」
「いや北の事情は知らねえが……」
腕組みし、考え、そして身を乗り出す。
幸いな事に前向きなようだ。
「で? 何が要るってんだ?」
「人手だ。シャロにサルビアにアブレイムにマラライアに、他にも十数人、体力のある人手が欲しい」
「何日かけるつもりだ? 騎士の不在は困るぞ」
「相手の出方にもよるが、一日あれば充分」
「……へえ。詳しく聞かせろよ」
目を細める。興味を持ち、真剣に検討したい顔だ。
損を上回る利があるか、自分とこの街に利があるか、を厳しく見極めるつもりらしい。
望むところだと僕は詳細を語る。
これまでの経験から導き出した作戦を。
語り終えれば、レオンルークはにやついた顔で天井を見上げた。
「……とんでもねえ話だが、端から見る分には面白えな。……いいぜ、なんとかしてやる」
「有り難い」
「その代わり、北の研究資料も提供しろよ」
「ああ! 任せてくれ」
お互い不敵に笑い、固く握手。無事に約束は取り付けた。
僕は本当に恵まれている。
天にも感謝し、祈った。
「ぺっさあーーーん! おっひさー!」
屋敷を出たらシャロが突撃してきた。
前にも同じ事があった気がする。
バシバシと肩を叩いてくるのも慣れたものだ。
「帰ったんならまず親友に挨拶でしょー!」
「ああ、済まない。確かに蔑ろにするべきではなかったな。再会は嬉しいとも」
「ん? ん? 他にも話す事があるんじゃないの?」
「どれだ? フダヴァスの土産話か?」
「恋話だよ! ね、どうなの? オレ、キューピットになろうか?」
ニヤニヤするシャロ。
ワコとの一件が早くも耳に入ったのか。
まあ食いつくだろうとは思っていた。
だから軽く返しておく。
「特にどうもない。先方がはしゃいだだけだ」
「なーんだ。それ、本音っぽいね」
シャロはあっさりと身を離した。
残念そうだが深く追求してこないのは助かる。
「それより皆を集めたい」
「えー真面目な話? そんなの後、後! ほら、皆待ってるからさ!」
背中を押され、強引に連れていかれる。
北との交渉の話が進められないが、悪い気はしない。
引っ張られてきたのは町の他の部分より高い区画。
森のキャンプから運んできた土地だ。僕の住居もこの区画にある。管理は人に頼んでいるが大丈夫だろうか。
目的地は湖の主の骨を使った大型テント。思い出のあるこれは、今も大勢が集まる場として残っている。
広々とした内部には、料理が並び、見知った面々が集まっていた。
「あ、ペルクス!」
カモミールが立ち上がって手を振った。耳や尻尾も嬉しそうに動く。
隣には凛々しく座るマラライア。
ダイマスクやフダヴァスで購入した、お土産の流麗な髪飾りや鮮やかなスカーフを身に着けている。
着飾る彼女は大きく印象が変わっていた。真面目で無骨な騎士から華やかな淑女へと。
「プレゼントは喜んでくれたか」
「うん。マラライアさん、素敵だよね!」
「ああ。僕も似合うと思う」
「それを言うべきは私ではないだろう」
マラライアは首を横に振った。
そして隣のワコに視線を送る。
どうやらこの話は随分広がっているらしい。思わず口を引き結ぶ。
「その手の話には疎いだろうが、あまり他の女性を軽々しく褒めるべきではないよ」
「貴女もか」
「意外か?」
「正直もっと固い印象だった」
「私自身も柔くなったと思うよ」
マラライアは穏やかに微笑む。
出会った当初の頃を思えば、確かに今の方が好ましい。
そんな彼女の心境の変化を喜ばしく思う暇もなく、サルビアも加わってくる。
「そうよ! アンタ女の子をほっとくなんてダメよ!」
「今日はショーはしないのか?」
「ダイマスクで散々歌って疲れたの。今日は楽しむ側。それよりアンタの方よ」
「ワコだって迷惑ではないか?」
追及を避けるべく水を向ければ、当の本人は静かにこくりと頷いた。
「ん。そっとしてほしい」
その途端、僕はポイッと横に追いやられる。
「ごめんね。こっちだけで騒いじゃダメだったよね」
「無粋な真似をしたな、悪かった」
「ん。許す。代わりに描かせて」
サルビアとマラライアが素直に謝罪すれば、ワコはすかさず目をキランと光らせた。それに怯む二人だが、償いのスケッチを見るカモミールは楽しそう。
なんだかんだと楽しそうな集まりに変わりはないようだ。
「失礼。少し相談があるのですが」
他方に目を向けようとすれば、アブレイムに話しかけられた。表情の読みにくい細い目ではあるが真剣な様子は伝わった。
「フロンチェカの子供達は冒険に憧れる傾向にあります。土地柄は理解していますが、なかなか言う事を聞いてくれません」
「危険だと止めたいのか?」
「いいえ。大人になった時の夢、ならば問題はないのです。子供の内に門を抜け出そうとするのが問題で」
「確かにそれは危険だな」
「町中に冒険より魅力的なものがあるといいのでしょうか」
「もしかしてオレの話?」
「ええ、確かに劇は人気がありました。教訓のある話ならば尚更効果的でしょう」
「えー。忙しいのになー」
シャロが割り込んでくれば、困る風を装りつつも満更ではなさそうな表情で話を進めていく。
この分ではアブレイムの悩みもすぐ解決するだろう。
「新しいお酒、美味しいのです」
「そちらはフダヴァス独自の香辛料を混ぜているらしいです。甘いものから刺激的なものまで種類も多いようですよ」
「それは美味しそうなのです。私も今度試してみるのもいいかもしれないのです」
「そうですね。協力しましょう」
ベルノウとクグムスは酒造りの相談。
酒は南方のどの国でも人気のある交易品だった。多分に趣味もあろうが、街全体の利になる。
クグムスの好奇心や経験にもなるし、良い事尽くしだ。
「きひひっ。お姉様、また暴れたみたいだねえ!」
「違えって。前の失態が大き過ぎただけだ」
「おんなじさ。福も災いもお姉様の気まぐれ一つじゃないか」
「まあな。だがアタシとしちゃ福をばらまく方が気分が良い。だろ、グタン?」
「ああ。表面は荒々しくともローナの本質は純粋な情熱。慈愛の大きさも一流だ」
「きひひひひっ。羨ましいねえ」
師匠とグタン、ローナの三人はただただ愉快に盃を交わしており、なんなら既に出来上がっている。迂闊に近寄ると絡まれそうだ。
「聖女様! 追加の食材お持ちしました!」
「おうおうおう! 俺等も混ぜてくれよ」
「あ、皆も来たんだね!」
「静かにしやがれ。行儀の悪い奴は飯抜きだ!」
ダッタレや陸鮫達も乱入すれば、ローナが自分を棚に上げて理不尽な叱責を浴びせた。
更に他にもテントに入りきれない人が顔を出す。
それだけ皆揃うのが待ち望まれていたのだ。
賑やかでバラバラな凱旋の宴。
僕達の紡いだ縁。
不揃いの、奇跡のバランスで組み合わさったこの混沌が、愛おしい。
「この面々なら大丈夫だな」
僕は感動と共に改めて確信。
ごほん、と咳払いを一つ。
目立つように勢いよく立ち上がって、声を張る。
「皆、話がある。北との交渉。その作戦を説明したい」




