103 純白の御旗、混色の御旗
「罪人に騙されてはいけません……っ!」
纏まりかけた交渉を遮り、激昂する“純白の聖人”。
強風にローブがなびく。日光も聖人を称えるように照らす。未だ幼い少女に見合わぬ貫禄でもって強烈に非難する。
僕としては予想通りの反応。むしろそうではなくては困るというものだった。
むしろ司教アーノルフの方が慌てて諌める。
「リュリイ! ……矛を収めなさい」
「何故ですか。罪人の言葉等、断じて信用出来ません。司教様のお言葉と言えど従えません」
「聞いていたでしょう。彼らは誠実な人物です」
「罪人に誠実さがあると、本気でそうお考えですか。許せば無辜の人々に災いが降りかかります」
「だから新たな聖人に管理させるのでしょう。彼女も信用出来ませんか」
「彼女を失ってからでは遅いのです!」
説得に応じず、むしろ説き伏せようとする聖人。アーノルフを押し気味の勢いだ。
マラライアが迫力に負けじと加わる。
「私の身を心配してくださるのですか」
「はい。当然」
「しかし不要です。安心して任せてもらえませんか」
「寝込みを襲う、人質をとる、罪人はどんな悪辣な手を使ってくるか。そして貴女が失われたら、次に襲われるのは善良な人々です」
聖人は断言した。危険を排した安全策を優先する思考。
あくまで強引、独善的なだけで、そこに私利私欲や私怨はない。善良な人々の幸せを願っているのだ。
ただ、やはり僕達とは相容れない。
僕達も善良な人々の一員なのだから。
事前の練習通り、マラライアは相手にも並ぶ、厳しい声音で問いかける。
「ではどうすべきだと考えますか? 流刑地は既にありません。代わりの罰に相応しいのは何だと?」
「仕方がありません。教義には反しますが、新しく牢獄を作るしかないでしょう」
元々流刑に至らない罪人は牢獄に収監されている。
だから新しく、重罪人用の牢獄を造って収監する。
落とし所としては妥当。死刑を認めるべきと言い出さない辺り、最悪の予想より温厚ですらある。
勿論僕達が大人しく受け入れる訳もないが。
「それは、困ります」
ワコが静かに口を挟んだ。
交渉役として、感情を乗せずに抗議する。
「こちらからしたら、あなた達の方が信用出来ません。彼らを通さないのなら、交易も白紙にするしかありません」
「交易の必要はありません。罪人と手を組む悪を犯すのならば」
「リュリイ。飢えへの対策を侮ってはいけません。多くの人々が苦しみます」
「贅沢は堕落を促す悪徳です。人は皆、質素な生活をすれば良いのです」
アーノルフは苦々しく押し黙った。
慎ましい生活こそが望ましい。確かに教団はそう教えている。
例え実践しているのが特に熱心な者だけだとしても、その一人であろう聖人にとっては常識だった。譲らないはずだ。
理想を追い求めるのは美徳。僕自身も追い求めている。
しかし、どんな美徳も過ぎれば害となり得る。
僕が予想した通り、聖人の正義はやや過剰だ。
そこを起点に、マラライアが攻める。
「流石は“断罪の奇跡”を与えられた聖人。罪人の裁きが優先ですか。しかしそれでは本末転倒ではありませんか?」
真っ当な指摘だと思うが、聖人は聞く耳を持たずにジロリと睨んだ。
「いい加減、罪人の肩を持つのは止めなさい」
「それは貴女自身にも言えるのではないかな? “純白の聖人”」
「……何故?」
反撃は想像もしていなかったか、より顔の険が深くなる。嫌悪と、警戒。友好的な笑みの代わりに、鋭く睨んだ。
マラライアは平然と受け流して、続ける。
「貴女は教団の裁きが常に正当であると断言するのでしょう?」
「当然です」
「それでは司教様にも同じ質問をお尋ねします。断言出来ますか?」
「…………」
複雑な顔で黙り込むアーノルフ。
やはり長い経験があるだけに、痛い現実を思い知っている。ままならない現状の重み、悔いが皺を深くさせているよう。
それが許せないらしく、怒りを乗せて、理想の高い聖人は詰め寄る。
「司教。教団の裁定を疑うのですか」
「主と違い、我々は全能ではありません。裁定を行うにも、様々な面で限界はあります」
「それに、時間は有限。限界から溢れた訴えは見過ごされ、罪は放置され、人々は苦しんでいます。……全てを救う事は出来ません。見殺しの罪を、教団は抱えています」
アーノルフの苦渋に満ちた声に、マラライアも淡々と続く。
聖人は反論しなかった。
僕達の考えた台詞だが、酷い屁理屈だ。
理想と現実。全能ならざる人は、どうしても何処かで妥協せざるを得ないのだ。
だとしても厳しい聖人は、真っ向から受け止めるのだろう。
聖人は沈黙の末、首肯する。
「……はい。確かに」
「認めるのですね?」
「はい。我々の手は足りていません。見殺しの罪は甘んじて受け止めましょう。しかし、不当な裁きを与えている、等と言う虚言はまた別の話です」
「それでも己の不備を認めたのですね? 教団にも罪はあると。それでは他の件も訂正すべきだと主張しましょう」
マラライアは、これまでに一番の熱意ある声で、立ち向かう。
「カモミール。彼女は罪のない、善良な少女です」
その言葉に、カモミールが顔を上げた。堂々と、己は正しいと主張するように。
しかし彼女を一瞥もせず、聖人は冷たく答えた。
「……教団の裁きに間違いはありません」
「いいえ。罪とは行動に起因するものです。命の創造が罪だとするならば、両親と研究者だけ。娘自身は何もしていません。罪なき者は赤子だけと、聖典にもあります」
聖典のエピソードを引用。
だから聖人も軽々しく否定は出来ない。渋い顔で少し悩む素振りをした後、それでも強い口調で反論した。
「……私は主より“断罪の奇跡”を賜りました。故に罪人への罰は神命。奇跡が捕えるという事が、なによりの証明です」
「道理ではあるでしょう。しかしそれならば、カモミールが生きている事も神が存在を認めている証明となるはずです。それとも、彼女の存在が罪であると、神からの啓示があったのですか? あくまで貴女の解釈なのでしょう?」
「……否定はしません」
「ならば神の言葉を騙っているも同然ではありませんか」
「黙りなさい!」
聖人は顔を真っ赤にして駄々をこねるように叫んだ。
アーノルフが止めようとしても、ぞんざいに振り払う。
「主の威光を汚す戯言。幾ら聖人だとしても目に余ります」
「まるで子供の癇癪だ」
聖人からは貫禄が薄れ、ただ敵意と威圧感が発されていた。
マラライアはあくまで静かに、しかし更に苛烈に攻め込む。
「神のお言葉に従うとは言うが、貴女が遵守するのはあくまで人の定めた法でしょう」
「どちらにせよ同じ事です」
「いいえ違います。神の真理は不変でしょうが、人の法は時代と権力者によって変わるものです。罪は議論によって変えられます」
「ですから、教団の裁定に間違いは──」
「あると認めたでしょう。そもそも娘の存在だけでなく、誕生すらも神は認めているのではありませんか」
迫力ある視線で凄む聖人。しかしそこには焦りや年相応の幼さが見えた。
だから涼しい顔でマラライアは受けとめられる。
「いいえ。確かに生命の創造は人の手に余る、主の領域です」
「それが何故罪となるのです? 神は人に成長と繁栄を願い、怠惰ではなく勤勉を推奨したはずでしょう。神の領域に近付く程の繁栄を、何故罪だと断じるのですか?」
「詭弁です。主の願いを曲解しています!」
やはり、どうあっても譲らないか。
それよりも、二人が熱く論戦している内に、周囲の魔力に変化が生じてきた。
そろそろ時間だ。それにここは、黙って見ていられない場面。
僕が意気揚々と割り込む。
「は。もっともらしくも聞こえないな。そちらこそ詭弁だ」
「詭弁ではなく事実。認めなさい」
「だが、神のご意思に反している。聖典にも書かれていない、何者かの虚言だ」
言い終えた瞬間、憤怒の表情。
マラライア相手にはまだ抑えていた敵意が、激流となって僕に向いた。
「罪人は立場を弁えなさい」
「それは断じて頷けないな! 神の意思と己の意思と混同する者の言に、大人しく従う理由はない!」
人は、成長を続けていつか神の領域へと辿り着く。
神もそれを期待している。
自らの域に近付いたから罰する、等と、神はそんな矮小な存在ではないはずなのだ。
しかし、この主張は、議論にすらしてもらえない。
「黙りなさい」
光の輪が生まれ、僕達に向けて飛んできた。
“断罪の奇跡”。
僕と、見守っていたカモミール達も縛られた。胴、手足、口。身動きも、魔法も、言葉すら封じられる。
問答無用の制圧。
聖人は悲しげに首を横に振った。
「罪人の戯言は苦痛。言葉を交わす事自体が間違いでした」
逃れたのはマラライアと彼女の部下、ワコ。罪人ではないと判断された者。
それから、シャロとサルビアもだった。
「え、オレ達はいいの?」
「讃美歌は続けなさい。主に対する敬意を失してはいけません」
「あ、はい」
場違いな返事は、しかし重い貫禄に呑み込まれる。
演奏は続く。讃美歌を大切に扱うのも厳しさの一面だろう。
美しい音楽が響く中、聖人は落ち着きを取り戻して、告げる。
「罪人の勝手な主張は検討に値しません。主の御言葉に従うのみです。さあ、罪人を引き連れて去りなさい」
「確かに。私達だけの議論では水掛け論にしかなりませんね」
やはり議論だけでは成立しなかった。
だから、計画通りに進めよう。
もう頃合いだ。見上げれば太陽の位置は頂点。真昼、天の力が最も高まる時間帯。
視線を向けるマラライアに、僕は合図代わりに頷いた。
「ですから、何が神の御意思であるか、直接確かめてみましょうか?」
マラライアがすかさず、挑戦的に言った。そして、部下の一人にラッパを吹かせた。
勇ましい音色に応えて、更に雄叫びが轟く。
「うおおおおおおっ!」
「キョワアアアアッ!」
陸鮫とゴブリン。別働隊の合流だ。
精霊魔法で風に乗り、山肌を飛ぶように駆け上がってきた彼らは、聖人へと突撃していく。
「止まりなさい」
が、断罪の光輪の前には無力。
全員が縛られ、転がった。
聖人は冷たい目付きで吐き捨てる。
「暴力を用いて主の威光を偽ろう等と、恥を知りなさい」
「勘違いしないでもらおうか。彼らはただ、祈りに来ただけだ」
祈り。彼らには不似合いな言葉。聖人は眉をひそめる。
だが、事実だ。
大いなる祈りの為に、散っていた彼らは山頂にまで来たのだ。
そして、次の一手は既に。
「準備はできたぜ!」
ローナが明るく報告してくれた。
山頂の神殿、神々しい柱の中心で舞う。
議論の間にずっと整えていたのだ。魔力が活性化している。
聖人は取り乱して、全身を震わせ吼える。
「何を企んでいるのです!?」
「言った通りだ。神の御意思を直接確かめる」
マラライアが再び、挑発するように言った。
そして僕は笑う。本当は僕自身で言いたかったが、仕方なく妥協。
大役を託したマラライアの言葉が、朗々と響く。
「“展開”、“天啓拝謁”」
変化は劇的、しかし緩やかだ。
魔力が、山全体を厚く覆い、天から光が差す。徐々に徐々に、世界を満たしていく。
果たして苦心して組み上げた魔術が通りに発動するか、発動したとして推論通りかどうか。
僕達は文字通りに、神の審判を待つ。




