9話 『二度目と二度目』
「仁さん! 仁さんいますか!」
ニュートラルビルに襲撃があったことを察知した幸耀は、すぐさま嘘を使い、仁 新がいるはずの事務室へ移動していた。
「んーん。いるよ。そんな慌てなくて良い。お前さんは経験浅いから焦るのも分かるけど、戦闘は落ち着きが大事だ」
柳色の髭の調子を確かめるように撫でながら、宥めるようにライズワールドのトップーー仁 新は幸耀にそう告げた。
仁 新は、このライズワールドの政治のトップを務めている。政治のトップ、といってもライズワールドの人口の少なさを考えれば大した仕事量ではない。
しかし、仁家は二百年前創造されたライズワールドにて、困惑する人々をまとめ上げ、ライズワールドが安定する基盤を作った一任者である。
仁 新自身がやってのけた功績ではないものの、今もなお先代からの教えを引き継ぎライズワールドをまとめあげている彼の手腕は折り紙付きだ。生徒会長の経験がある幸耀だからこそ、仁のリーダーシップは素晴らしいものだと感覚で分かる。幸耀もまたこの男に惹かれた民衆の一人で、ここ二日間は稽古の相手になってもらっていた。
仁は長く伸びた襟足を弄りながら、
「んーん、全武具系、魔法系の市民に告ぐ。ニュートラルビルに敵襲。ニュートラルビルに敵襲。近くにいる者はただちに加勢せよ。遠い人たちはしょうがないから寝てて良いよ」
どこか気の抜けた招集命令を机上のマイクに向かって発した。
「幸耀。お前さんは自分自身に嘘をつける体質である以上、基本死ぬことはない。だから、屋上へ偵察に行ってきてほしいかな。恐らく敵は上空から攻めてきているからねえ」
現世の本家国会議事堂には屋上など存在しないが、警備の面から屋上があった方が索敵に有利との見解があり、特徴的なピラミッド状の天辺の部分を改良し、そこをニュートラルビル屋上としている。
「了解。では」
仁の指示通りを受けて幸耀は小さく息を吸い込み、
「俺は屋上にいる」
言葉がライズワールドに放たれる。
刹那、瞬間移動。
目の前の景色が一変し、空を見上げれば晴天が広がっている。
辺りを見渡し、最初に幸耀の目に入ったのは、
「氷柱......?」
屋上に散らばる無数の氷柱であった。床に突き刺さっているものもあれば、砕けて床に散乱しているものまで。床に突き刺さるということは、かなりの硬度がある。間違いなく敵の魔法だ。
瞬間、緊張が体を包み込む。一度神殿で敵と相対したことはあるものの、あの時は胡桃沢が同行していた。
幸耀は一人で敵と対峙することに不安を感じている。
「......! 俺はそこのコンテナの側にいる」
不安が募る中、幸耀目掛けて数十本もの氷柱が降り注ぐ。それにいち早く気づいた幸耀は素早く嘘をつき、屋上の端へ避難。
「敵は見えない......けど確かに上空に敵は存在する」
屋上に氷柱が散らばっている以上、上空からの襲撃であるのは間違いない。しかし、肝心の敵自身が目視出来ない。
「......まあいい、とりあえず仁さんに報告だ」
緊張しながらも、冷静に優先順位を決め、本部への報告を最優先とする。嘘を使って事務室へ戻ろうと、息を吸い込んだその時、
「冷凍魔法・フーラム」
どこからか詠唱が聞こえた。新田も魔法を使う際、技名のようなものを口にしていたことを思い出す。恐らく詠唱がこの世界で魔法を使用する際のルールなのだろう。
冷凍、という単語から察するに、氷柱を降らせた術師と同一人物。嘘で身体を守りつつ、敵の正体を見破る。
俺の身体は氷より硬い、といったニュアンスの嘘を吐くだけでいい。小さく息を吸い込んでーー
「ーーーー!?」
息が、吸えない。否、空気が唐突に冷え切った結果、上唇と下唇が連結。口が開かなくなっている。
嘘の能力の弱点はまず間違いなく口に出さなければいけない所にある。口を封じれば嘘吐き三人は劣勢になる。それは新田とも話し合っていたことだ。
しかし、フリーズドライによる物理的な口の封印。予想外にして一瞬の出来事だったため、適切な対応をすることが出来なかった。
武具一本でやるしかない。ニュートラルビルの屋上は標高が高く、援軍は見込めない。異常に仁が気づいたとて、事務室から屋上までは二分ほどの道のりがある。
包丁を取り出して、グッと握りしめる。
「なるほど。それが貴方の武具か」
上空から声が届く。
「口は封じた、私は空を飛んで上空にいる。武具の射程は短い。......貴方の負けだ」
女性の、声だった。声の方へ顔を向けると、逆光で見えにくいが、大きな両翼を振るって空を舞う天使がいた。以前、神殿にて襲ってきた天使とは違い、今回は一目でヘルメス軍だと判断できる容姿をしていた。
「援軍なら来ない。そこら中に氷の壁を使って仕切りを作った。熱魔法の術師がいれば話は別だが......どちらにせよ貴方が死ぬ方が早い」
死の宣告を告げた青い天使は、幸耀を嘲笑してパタパタと空を飛び回る。暫くして満足したのか、冷酷な表情を浮かべて横幅二メートルほどの巨大な氷柱を作り出した。
「さよなら」
鋭利な先端がこちらの脳天目掛けて向かってくる。あれほど巨大で硬い氷を砕けるほど、幸耀の包丁は強くない。小さな氷柱が床に突き刺さっていることからそれは明白だ。しかし、逃げることも難しい。国会議事堂から飛び降りれば氷柱は避けることが出来るが、いずれにせよ落下死は免れない。
ふと、自分の唇に触って気付いたことがある。
ーーおかしい。身体は全く冷えていないのに、唇だけがマイナス三十℃ほどのフリーズドライによって乾燥している。仮に敵が辺り一面をマイナス三十℃に出来るのであれば、とっくのとうに幸耀の始末は完了しているはずだ。
『魔法はね......武具や道具と違って......まさにライズワールド特有のもの......だから研究もそこまで進んでないし......分からないことが沢山ある......』
以前、新田が話していたことだ。
『これは僕の自論なんだけど......多分......この世界における魔法って......そこまで強くない......そうじゃなきゃ武具と魔法の差は歴然だから......武具系を産み出す理由が無くなる......だからね......』
ーーどんな人でも魔法に対応出来る術がある。
「センキュー新田。......俺の身体は目の前の氷柱より硬い」
「な......!?」
破裂音。本来なら幸耀が氷柱に押し潰されて鳴るはずの音は、幸耀の身体に粉砕した氷柱自体が奏でていた。
「マジで痛い。初めての経験だわ」
驚愕に目を丸くする天使に、幸耀は服についた氷塊を振り払いながら包丁を向ける。
「貴方......なるほど......肝は据わっている。ーーまさか自分の鼻下を切って、血液で連結を溶かすとは」
「なんで死と鼻の下の傷を天秤にかけて鼻の下が重くなると思ったんだよ。あとぶっちゃけた話、無理やり唇切れば済んだだけの話だし。飯食うのつらくなるからやめたけど」
口に溜まった血液をぺっと吐き出し、袖でそれを拭い取る。
正常に頭が回ったことが自信へと繋がり、いつの間にか幸耀の緊張は解け始めていた。
「にっが。......つーかあんたさ」
「......?」
「もう魔法出せるエネルギー残ってないでしょ」
「......その心は」
訝しむ視線を幸耀にぶつける天使。
その声音は至って冷静なように感じ取れた。
「そもそもの話、俺の身体をカチンコチンにするだけで絶対に勝てる勝負なのに、氷柱という物理的に殺傷能力のあるものを利用するのが不可解だ。それが出来ないのは、新田の言っていた『武具系と魔法系との平等性』にある」
幸耀の発言に、またもや天使は目を丸くする。
「もう既に武魔間の平等に気付いている人間がいるとは......若干、武魔間の平等とは、趣旨が違っているが」
「魔法陣? だっけ? アレを展開しない限り、魔法の威力ってそこまで高くならない。そして魔法陣を展開する際には隙が生じるから......それが結果的に武具系と魔法系の実力差を埋めることになってるって解釈でいいのかな」
「......部分的に正解ってところだな」
幸耀の問いに、天使は幸耀に届かないほどの声で呟く。
「俺の見立てだと......魔法陣無しでのあんたの限界は俺の体の一部を凍結させるくらいだ。ーー唇くらいの大きさの部位をな。もっと頑張れば顔の半分くらいは凍らせられたのかもしれないが......それをしなかったのは『トドメ』に使うエネルギーが足りなくなるから」
「......良い洞察力だ。アストレアの子であることとは......無関係だな。気分屋と名乗ったヤツはそこまで賢くなかった」
フッと微笑みながら幸耀を見つめる天使。その瞳には、どこか哀愁が漂っているような気がした。
「ってことであんたの負け。......殺しはしないよ、捕縛する」
ヘルメス軍は基本的に捕縛し、ニュートラルビル地下一階の牢獄に閉じ込める。事情聴衆や解剖に活用し、今後の戦の糧とするのだ。
諦めたかのように空を見上げる天使。抵抗する素振りもないので、援軍が来るまで屋上で待機することにしよう。
「......殺さないのか。この後はどうするつもりだ?」
「ここで待つさ。封印魔法持ってる人が来るまで」
「そうか。ーー先程の発言、撤回する必要がありそうだ」
「は?」
「貴方は馬鹿だ」
ニヤリと笑って天使がそう言い放った言葉が引き金となったかのように、瞬間、目の前にボトッと音を立て、何かが落下してきた。
それは、背丈の小さな少女だった。
「全く......サリナは運搬が下手くそですね。私は仮にも右眼だと云うのに」
何者かに愚痴を溢す幼い声に、幸耀は聞き覚えがあった。
ーー蘇る、赤い記憶。
「三日振りですね、橘 幸耀。今日こそ......ころす」
赤のベレー帽に、赤のワンピース。特徴的な右目が赤、左目が黒のオッドアイ。
竦む足元。震える手先。
先程戦った天使とは、格も、実力も段違い。
三日振りの再会だが、三日経ったところで何も状況は変わっていない。
ニュートラルビルに立ち込める、黒い殺気。
幸耀が握る包丁の持ち手は、いやに湿っていた。