8話 『開演の狼煙』
兄弟たちとの初対面から三日。幸耀は特別保護対象として、ニュートラルビルに身柄を置くことになった。
ニュートラルビルはライズワールドの中心であり、仕える兵士も、資源も、政治のリーダーとなる頭も大勢揃っているため、最も安全だとされているのだ。
嘘の能力を手にしている以上、何者かに殺されることなど滅多にないように思えるが、それが政府の意向だった。
新田によると、この世界の土地は日本列島と同じ形をしているらしい。ただし海は存在せず、土地の外には虚空が存在すると言う。
「虚空......? なんすか虚空って」
「なんかね......僕も怖いからみたことないんだけど......とにかく真っ暗なんだって」
説明を求めたが何も分からなかったため、ひとまず虚空の話は置いておくことにした。
幸耀ーーアストレアの三人目の子供がライズワールドに現れたというニュースは、瞬く間にライズワールド全土に広がった。
ちなみにこの世界にもスマートフォンは存在しており、電波も繋がる。道具系の人間にスマホ専門の人がいたため、流通には何の不便もないそうだ。
しかし、現世へのアクセスは不可能である。
「色々不都合あるし、ちょいちょい面倒くさい世界だけど......一番不気味なのは、平和すぎるってとこだな」
幸耀が現れたことにより、ヘルメス軍や被害を被ることを恐れた人々による反乱が予想されていたが、転移から八十六時間。特に事件は起きていない。
寝込みを襲われたらどうするんだ、と兄弟たちに疑問を投げかけたのだが、『ヘルメス軍には、夜中に襲撃出来ない事情がある』とのことだった。
半信半疑でその話を聞き、死んだら恨む、とだけ告げ口しておいたのだが、実際、この三日間、死の気配は一度も感じることがなかった。
「まあ......僕達がニュートラルビルに集まってることも知られてるし......適当に反乱起こしても無駄だって知ってるんでしょ......ふわあ」
「お、新田、おはよ」
現在時刻は朝七時。鶯の鳴く声を聞きながら、ニュートラルビル付属の庭に寝そべっていた幸耀は、目を擦りながら現れた兄弟と挨拶を交わす。
新田 春。幸耀より三つ年下の兄弟だ。つまり十五歳。見た目と声では性別の判断が難しかったのだが、勇気を振り絞って尋ねたところ、新田が何の躊躇いもなくズボンを下ろして自身の性別を証明したという事件は、彼の硬いイメージを変える衝撃的な出来事だった。
新田はちょこんと隣に体育座りすると、口を小さく開けて欠伸をした。
「新田は夜型なの?」
「うーん......朝とか夜とか関係なく......だいたい眠い......」
「そうなん。......気分屋は?」
「あの人は......気分でどっか行くから分かんない......この前沖縄いたし......まあ......あの人めっちゃ強いから一人で出歩いてても......多分大丈夫」」
「見た目からして強そうだもんな」
茶髪を肩まで伸ばした顎髭男が脳裏に浮かぶ。。彼がもう一人の兄弟、気分屋だ。訳があるのかないのか分からないが、本名を名乗ることを拒絶している。
しかし、特に気難しい人ではなく、寧ろフランクに幸耀と接しているので、現状、兄弟には信頼を置けている。
「というか幸耀......こんな広い庭に一人でいたら普通に危ない......何のためにニュートラルビルにいると思ってるの......」
「悪い悪い。でもさ、俺もコイツの扱い、そこそこ上手くなったんだよ」
そう言って手を伸ばすと、突然手元に鋭利な包丁が顕現する。ーー幸耀の特性だ。
「なんかもうちょいさあ、ライフル銃とか、伝説の剣みたいなの期待してたんだけどなあ」
「伝説の剣はただの剣だけど......」
「現実的すぎる凶器で最初は使うの躊躇ったけどさ。この包丁自体の特性が割と面白くて、意外と使ってみたくなったかも」
幸耀の包丁の武具特性は、『伸縮自在の包丁』である。刃先を最大十メートル先まで伸ばすことが出来る上に、自分の意思で長さはコントロールが可能だ。
「......実際に敵を目の前にしてこの凶器を振るえるかって言われると......自信ねえけど」
ヘルメス軍。その正体は天からの使い。いわば天使である。だが、見た目は人間と類似、あるいは人間そのものの天使も存在する。
包丁という、現世の日本でも凶器として扱われることの多い武具を、生身の人間に振るう勇気は、未だに幸耀には根付いていない。
「多分......ヘルメス軍との衝突は避けられないからね......僕は何度か戦ったことあるから慣れてるけど......初めてってのは怖いだろうし......事故が起きやすい......充分気をつけて......」
ーー新田は戦闘に対する警戒心が人一倍強い。無論、命懸けの戦いであるから恐れることは当然だ。幸耀だって、二度も殺されかけた経験がある。特に最初ーー赤の少女に迫られた時は、思考が真っ白になるほど恐怖した。
しかし、幸耀に多少なり安心感をもたらしているのはこの包丁ではなく、幸耀含む三人にしか与えられていない特殊能力。
「嘘の能力があるから大丈夫じゃねってのは浅はかな考えなのか?」
「うん......僕たちはヘルメスの下位互換的能力を手にしてる......つまり......ヘルメスが嘘の能力への対応を理解して......対策を練ってる可能性がある......油断は禁物だよ......」
「了解」
何度か戦闘を経験してる新田が言うことだ。基本的に、経験者の言葉はアテになる。特に新田が信用できる人物であることはここ三日間の付き合いで分かっている。油断は禁物。胸に刻むことにしよう。
何はともあれ、平穏な日々が続くことは良いことだ。何よりこの世界には学校が存在しない。幸耀にとって学校はストレスの中に占めるウェイトが大きかった。
ーーそれと同時に、現世の自分を取り巻いていた環境が、今現在どうなっているのかが気になる。
幸耀がライズワールドに転移するまで、現世では失踪事件など暫く報道されてなかったように思われる。だからこそ幸耀も突然の転移にひどく困惑した。
ライズワールドにもネット環境は整っているが、現世との繋がりは絶たれている。いくらSOSを発信したところで何の意味もない。ーーそもそも、助けを求めて何になるのか、という話でもあるが。
幸耀の見立てでは、恐らく、『母』としての存在を消したアストレアと同様に、転移者に関する記憶の改変が行われている。
現世における『橘 幸耀』の記憶は別のものにすり替えられているか、はたまた消滅しているか。それを為しているのは嘘の神、ヘルメスであろう。
「どうにかしてヘルメスを倒さなきゃなんねえ。それで現世に戻らねえと......父親があまりにも可哀想だ」
父の記憶がどのように改変されているのかは知らない。結婚して子供を産んだという事実ごと消されているかもしれないし、子供は産んだが何らかの理由で失踪したことになっているかもしれない。
いずれにせよ、独りで取り残された父親のことを考えると、胸が締め付けられる。
「僕もそう思う......自衛のためでもあるし......父親のためにも僕は戦う......」
「っとなると、ここで適当に時間を潰すのは勿体ねえな。ヘルメスが神様ってなると直接戦えるかも怪しいけど......とりあえず俺は仁さんの所に行って修行してくる。新田は?」
「僕は......魔法陣の再構築を一人でやってるよ......」
眼下の芝生を呆然と見つめながら新田が呟く。
「頑張ってね......幸耀......なんかあったら......絶対に守るから......」
「頼もしい兄弟を持ったもんだな」
そんな会話をして、幸耀は尻を払いながら立ち上がる。そしてニュートラルビルの塔屋最上部を見つめながら、
「今日も仁さんにシゴかれるぞ......がんばろ」
覚悟と決意を口にした瞬間。
「ーー!!」
臓腑を震わす爆音。思わず耳を塞ぎ、何があったのかと辺りを見渡す。
ニュートラルビルから、白い煙が雲一つない晴天に向かって立ち上っていった。