41話『虚空に向かうは青色の決意』
「なんか......凄いこと聞いちゃいましたね」
「んーん。そうだねえ......衝撃的だよ」
ペディルとの対談から一時間。一向は窓ガラスの割れた会議室で顔を見合わせていた。
ちなみにペディルは「仕事がある」との事ですぐにこの場を去った。全員が無事に、そして穏便に終わったようで何よりである。
「ピーズ軍のほとんどは元人間......っスよね。ーー気分屋さん」
先程ペディルが語った内容を反芻した有紗は、流し目で気分屋に視線を送る。その眼には憂慮と焦燥が入り混じっていた。
「チッ。......ああ、分かってるさ。ーー芽衣が危なすぎる」
「ーーッ」
その気分屋の呟きを聞いた新田の胸が締め付けられる。
そう、先のペディルの話が本当だとするならば、芽衣がピーズ軍へと。異形へとその姿を変えられてしまっている可能性があるのだ。
本当なら今すぐにでも芽衣の安否を確かめたいが、ピーズ率いる強者が多数いると思われる虚空への突入には流石に充分な準備が必要だ。現在、仁と胡桃沢が虚空突入メンバーを募っており、その他の人物は具体的な作戦などを話し合っている。
「仁さん。今のとこ調子はどうですか......?」
「ーー残念だけど。良い調子とは言えないねえ。一人しか協力姿勢を示してくれた者はいない」
「そんな......」
新田の質問に渋い顔をして答えた仁。
彼は傍らに置いたブラックコーヒーを啜りながら、パタンとパソコンを閉じた。彼と胡桃沢はパソコンを使って突入者の募集を進めている。
そんな仁に声を荒げるのは有紗だ。彼女はその可愛らしい双眼に涙を湛えながら、
「どうして......? 芽衣さんは大事な仲間じゃないっスか! これまで芽衣さんと共に任務をこなした人だって多いはずっス。なんで、そんなに皆は非協力的なんスか......?」
「ーーでも。それは仕方ないことだと思うよ有紗ちゃん。私も、ホントに悔しいけど」
感情的になった有紗を止めた胡桃沢。
彼女は協力者募集のためにパソコンをいじりながら有紗をなだめる。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて。
「ど、どうして......?」
「彼らにメリットが少ないから、だね。芽衣ちゃんと本当に仲が良くて尚且つ戦闘面に長けてる人なんて、そうそういないのよ」
「で、でも! 人助けの一環じゃないっスか! 皆だって、アストレアの子の皆さんを助けるためにはある程度協力姿勢を示してくれてるのに......!」
「もう、そのレベルじゃないの。何せ、相手はあのピーズなのだから。それにね、本人たちがいる前でこんなこと言っちゃ悪いけど、彼らにとってアストレアの子を助けることは大きなメリットになるのよ」
「メリット......?」
「ーーアストレアの子を守ることによって、彼らの安全が守られるからね」
ーーこれは紛れもない事実だ。
新田も、気分屋も、幸耀も。誰一人として自分の価値を見誤ってなどいない。全員、理解しているのだ。自分達が守られている理由は基本的には人情などではないことを。
「アストレアの子が全員死んでしまったら、恐らく現世は崩壊して、この世界が確立されてしまう。それもヘルメス軍の手中にある世界が、ね」
それ即ち絶望に他ならない。
この世界を気に入り、生涯をここで終えたいと思っている人などごく少数だ。正常な思考ならば、家族や平和が待っている現世の日本に帰りたいに決まっている。
「............くやしい、っス。もっと、あたしが強ければ......!」
「ううん。有紗ちゃんのせいじゃないよ。誰もがみんな、自身の弱さに打ちのめされてる。ーーそこで貧乏ゆすりが止まらない最強の男だって例外じゃないわ」
「ーーーー」
そう、誰しも弱い部分を持っているものだ。
そのことに何度も絶望して、そして乗り越えた先にあるのが強さなのだろう。ライズワールドに来て、二度の絶望を経験した新田は、弱さには誰よりも敏感である。だからこそ、強さを理解しているつもりだ。
気分屋の弱さは、心だ。
彼の戦闘における強さは名実ともに最強クラスである。彼が最初のアストレアの子でなければ、この世界に住む人たちは絶望しただろう。彼の強さは人々に安心感をもたらすほどのものだったという。
だが、芽衣がいなくなってからというもの、彼の様子がおかしい。取り乱すのは訳もないが、それにしても、である。特に、仲間に手をかけそうになったことは気分屋の脆さを象徴している出来事であった。
虚空に向かう最中で、彼の心の平穏が少しでも保たれれば良いのだが。
「......そういえ、ば」
ふと、ひょうきんな赤髪の男が頭によぎった。
誰しも弱い部分があるとは言ったものの、考えてみれば彼には弱点が無さそうに思える。
そうして、赴くままに視線を彼へと向けると。
「......胡桃沢さん。アンタ、やっぱいいこと言うね」
赤に染まった彼は目を輝かせて胡桃沢を見つめていた。
その言葉を受けた胡桃沢は依然としてパソコンに目を落としながら、
「んー? ジャスパーくんも、何か弱みがあったりするのかな? 例えば、脇の下とか」
「何言ってるんですか。それは、全然別の話......だよ」
「ーーーー?」
何の変哲もない両者の会話。
だが、その中に新田はとてつもない気持ち悪さを感じていた。
ーーこれは、違和感だ。なんなのだ、今の違和感は。
胡桃沢に対して、何言ってんねんとツッコミたくなる気持ちはある。だが、違和感の正体は胡桃沢ではない。
「......なんかジャスパーおかしくないっスか? センパイ」
コソコソと新田に耳打ちする有紗。彼女もまたジャスパーを訝しんでいるようだ。
「僕も思った。なんだろうね、この変なカンジ」
「なんというか......まず口調が変っスよね。そもそもジャスパーって誰かに敬称つけたりしないっス......」
「確かに。なんなら敬語出てたしね」
ライズワールドのトップである仁にすらタメ口を使うジャスパーだ。胡桃沢に敬語を使うような人柄ではない。というか、これまで彼が敬語を用いている場面を見たことがない。
「ジャスパーにも、なんかあったりするのかな。心境の変化が」
「ーー何コソコソ話してるの、新田。秘め事、許さないからね」
「わぁ!? ビックリさせないでよジャスパー」
ヌッと真横から顔を覗かせたジャスパーの蒼い双眼と目が合う。見惚れるほど綺麗だという感慨より、新田の心境は驚きで満たされる。
「ジャスパー。なんかあったらちゃんと私たちに話して欲しいっス......ジャスパーの様子が変だと、より一層不安になるっスもん」
「あー、いや。本当に何でもないから。気にしないで」
「ジャスパーが言うならそうなんだろうね。いつも通りのジャスパーが好きだよ、僕は」
そう言ってジャスパーに新田は笑いかける。
彼が新田を支えてくれるように、新田もまた、ジャスパーを支えてやりたい。
それは、有紗に心を救われてから常に考えていることだ。自分への思い遣りを、それ以上にして返してやりたいという気概である。
会話がひと段落つき、喉の渇きを覚えた新田はオレンジジュースを手に取り口に運んだ。
その瞬間。
「ーー入っていいよ」
コンコン、と会議室のドアをノックする音が耳に届いた。
それを聞いた仁は一息置いて入室の許可を出す。
「ーー失礼します。虚空突入メンバーを募っているとのことで、参加の要請を出しにきました」
現れたのは、少しいとけなさが残った女性だった。
年齢は有紗よりは少し上、新田と同じくらいだろうか。十八歳前後と見受けられる。
長く伸ばした黒髪と、微かに施された青色のメッシュが特徴的だった。そして、その特徴はまるで『彼女』を想起させるかのようなものだった。
彼女の姿を見た気分屋は目を大きく見開く。普段は細目だからこそ、より一層彼の驚きが見て取れた。
「お前、本気......なのか?」
気分屋が震える声で彼女に語りかける。
気分屋の語り口から、二人は知り合いなのだろうと悟った。そして、そんな気分屋の様子を見た彼女はフッと薄い笑みを溢したのち、こう言った。
「うん。モチロンだよ、おじさん。ーーわたし、閑谷 由依は、虚空突入を希望します」




