40話 『虚空』
二百年。
膨大すぎる年月を提示され、新田は口を噤むことしか出来なくなる。
この小柄な少女は、二百年もの間、政府本部をヘルメス軍の襲撃から守るために、ずっと警備していたというのか。
何故、そんなことを二百年にも渡って続けていたのか。その理由は明白だ。
ーーピーズという異形の欲望を満たすためである。
一体、その行いが、どれほど苦痛で、途方もない作業であったのか。
十七年しかこの世に生を受けていない新田には、想像することが出来ない。
そして、そんな苦痛を命じたピーズが、分からない。
自分にとって一番好ましい時期に殺す相手を、手下に守らせる。
ペディルの感情など度外視の、ただただ私欲に塗れた命令。
ーーやはり、ピーズは人間とは相容れない存在である。
「新田と言ったな。貴様は優しい人間のようだ。貴様が、一番最初に我の発言の真意を汲み取った」
「ーーーー」
「我が好きでやったことだ。礼を望んでいるわけでも、同情されたい訳でもない。そこだけは勘違いするな」
そこで、ペディルは一呼吸置いて、
「ーーだが、誰にも相手されないというのは、確かに寂しいものではあったな」
と、そう溢した。
その言葉に、嘘はなさそうであった。
彼女が、どのような手段を使って『護衛』をしていたのかは知らないし、知る気もない。
だが、ペディルという小柄な少女が、今まで何を見て何を思ったのか。人間という生き物をどう評価しているのか。
それは、非常に気になる事柄であった。
間違いなく、彼女は人間の色々な側面を見ているはずなのだから。
だからこそ、寂しいという感情が生まれたのだろう。
彼女がピーズに尽くした二百年という時間をどう思っているのかは分からないが、それでも、ネガティブな感情が心に芽生えていることには違いない。
「......センチになってるとこ悪いんだけどさ。だったらなんでアンタのお仲間さんは芽衣ちゃんを誘拐したわけ?」
紅色のソファの端に肘をつき、重たい空気を掻き切って疑問をぶつけたのは胡桃沢だ。
そうだ。
そもそも、芽衣を救うため目的でペディルをこの場に呼び出したのだ。目的を見失いかけていたことに気付き、新田は頬を両手で叩く。
「......全員が全員、ピーズ様に忠実な訳ではない。寧ろ、我のような存在の方が異例なのだ」
「それはピーズへの反逆とは見做されないの?」
「問題ない。ーー殺すな、それだけがピーズ様の命令だ」
「......なるほどな」
煙草を吹かしながら呟く気分屋の声で、会話の一幕が降りる。
殺さないならば、何をしても良い。
その結果が、芽衣の誘拐に繋がった。そういうことなのだろう。
だが、不可解な点は二点ある。
人間の誘拐が、彼らにどんなメリットがあるのか。
そして、対象者が芽衣である必要はなんなのか。
気分屋曰く、初めは気分屋に戦闘意欲を立たせるために芽衣を誘拐したのではないかと推察したが、それはピーズの口から否定されたという。少なくともピーズ自身の指示ではないようだ。
もしかすると、ピーズ想いの配下が自分の判断で芽衣を誘拐し、ピーズへの戦闘意欲を引き立たせようとしたのかもしれないが、だとすれば未だに芽衣の身柄が返却されないのが気掛かりだ。
既に、気分屋は芽衣がいないと実力が発揮されないことが、他でもないピーズの手によって証明されている。
にも関わらず、芽衣の身柄を解放しないのは、寧ろピーズへの反逆に繋がる行為だ。
殺さないなら良いとは言ってはいるが、それで好き勝手動いてピーズの目的が潰れては本末転倒である。
ピーズが好む者の殺害が禁じられている理由は、対象者との戦闘が不可能になるからだ。
殺すな、とは言っているものの、ピーズが真に願うことは対象者の成長だ。
気分屋の成長が阻害されている今、それはあってはならない事態である。
つまり、何らか別の理由が存在する。
何をしても許される手下がいるだとか、芽衣の存在がよほど大事だとか、そもそも新田の考えが間違っているだとか、様々な考えがよぎる。
ただ、それに結論を出すのは不可能だ。
だからこそ、彼女ーーペディルを呼んだのである。
「何か知ってるなら話せ、ペディル」
吹かし終えた煙草を捨てながら命じる気分屋。
彼の声色には焦燥が戻っていた。
「知ってる範囲の情報なら開示出来るが......我の手で何とかなる問題ではない。把握しておけ」
「ああ、了解した。......まず、単刀直入に聞く。芽衣はどこにいる?」
疑念はある。
だが、それらは後回しで問題はない。
今、最優先すべきは芽衣の奪還。
それだけなのだから。
「虚空の奥底......鬱路と呼ばれる場所に、閑谷 芽衣はいるだろう」
「虚空の......奥底......?」
ーー虚空。
それは、一般的には、何もない空間を指す際に使用される言葉だ。
だが、ライズワールドにおいては別の意味を孕む。
日本の領域外は、全て暗闇ーー虚空で覆われている。それが、ライズワールドの特徴だ。
海も、陸も、例外なく。
いわば、ライズワールドの日本は、虚空という名の海に囲われている状態にある。
壁に囲われているというイメージではなく、ただただ、陸地や海が黒に染まっているのだ。
だから、飛行機などを使用して日本の領域外へ出ることは可能である。
ただ、地球と同じように丸い構造をしているこの世界では、一周して日本に戻ってくるだけではある。
日本以外に、この世界には何もないのだから。
「虚空って......入ったら誰も帰ってこれないってヤツっスよね」
「んーん。そうだねえ。勇気ある者や、好奇心旺盛な者が何名か虚空へ飛び込んだと書物に記載があったが......生還者はいないという」
「ほう。貴様らの中では、虚空はそのような認識なのだな。興味深い」
仁の説明を聞き、顎に手を添えながら興味深そうな態度を示すペディル。
今更ではあるが、容姿と態度が全く噛み合わないので、彼女の行動の節々に違和感が残る。
ロリババア。そんなジャンルがあると幸耀が言っていた気がするが、でもそれは少し違うような気も。
「......つまり、虚空というモノの認識が間違っていると?」
「ああ......ライズワールドの遥か上空。天界と呼ばれる場所に、ヘルメス軍がいるのは知っているな?」
「あ、それ、有紗から教えてもらったやつ」
ジャスパーの反応に、有紗が安堵している姿がある。
ジャスパーはかなりの曲者である。
恐らく、ライズワールドの諸々の事情を教えるのにも相当な体力を消費したことだろう。
そんなジャスパーが天界という言葉を覚えていたことに対する安堵だと思われる。
ーーそして、彼らの言動を気にも留めないペディルは平然と続けた。
「対して、虚空が我々の居場所だ」
「............え!?」
「虚空が居場所......虚空と称しているのにも関わらず、空間があるってか?」
「そも、虚空という名称は貴様らが勝手に付けた名称だ。入口は確かに暗闇だが、中身は普遍的な空間が広がっている」
ここにきて、ライズワールドの謎が急激に解明される。
この世界には謎が沢山ある。
その中でも、解明の難易度からすれば、虚空の存在はかなりのものだった。
虚空に入ってしまうと生きて帰れる確証が無いから入ることは出来ないし、かといって外側から何かヒントが得られる訳でもない。
ただひたすらに、立ち入ってはいけない場所。
そういった認識でしかなかったのだ。
「だったら何故生還者がいない?」
「見込みのない弱者は抹殺され、強者はピーズ様に気に入られ、我々と行動を共にしているから。そう言えば、分かるな?」
その問いかけに、新田の全身を悪寒が包む。
ペディルの言葉の意味。
それを汲み取るのはあまりにも容易で。
「まさか......」
「ああ。ピーズ様に従える者。そのほとんどが、元人間だ。我は、例外だがな」




