幕間 『輝く幸せと、新たな春の気分』
ーーふわふわと、浮いている感覚だけがあった。
自分が何者だとか、何故この場所にいるのかだとか、ここは何処なのかだとか、そんな疑問は浮かばなかった。
ーーふわふわと、浮いている感覚だけがあったのだ。
まるで神にでもなったような気分だった。
全てを忘却し、全てを肌で感じて、世界を俯瞰している。
丸裸の自分に、透き通る空気が染み渡る。
両手を目一杯広げて、微々たる風を全身で受け止める。
とても、心地が良かった。
浮いている、とだけ認識していた感覚が、徐々に認識の範囲を広げていた。
風の感覚、呼吸をする感覚、手足に神経が行き届く感覚。
だが、耳は機能していないような気がした。
音がないのだ。音という概念が消えて無くなってしまったかのように、それだけがこの世界から失われていた。
そんな感慨を浮かべつつ、更に脳が回転する。
そして、自分が何者であるかを認識するまでに迫った。
「ーーーー」
思い出した。
自分が何者で、以前まで何をしていたのか。
だが、分からないことがある。
この場所と、ここに至るまでの経緯だ。
依然として、体は宙に浮いた感覚のままだ。
実際に浮かんでいるのか、そう錯覚しているのかは分からない。
ーー辺りには、青い光景がただ漠然と広がっているだけなのだから。
「ーーーー」
ただただ、青かった。
終末のないその青は、何処までいってもその色を失っていなかった。
大の字でその浮遊感を楽しんでいたため、真下の光景は見れていない。
けれど、なぜか、真下にも同じように青が広がっているのだろうと確信を持てていた。
まるで、以前にもこの場所に来たことがあるかのような、記憶の隅にあるソレが、確信へと導いていた。
「ぁ............」
声が、掠れた。
何かに反応してその声が漏れたわけではない。
静かすぎる空間に、少しでも自分の存在を見出したくて、声を発したのだ。
その声が、やけに掠れていた。
それでも、自分の声であることに、疑いはなかった。
自分が自分であることに、確証を持てた。
どうして、ここまで自分の存在に不安を持っていたのかと疑問に思う人もいるだろう。
それは、つい先程までの記憶が、存在しているからに他ならない。
そこまで思考が広がった時、脳裏を埋め尽くすのは疑問だ。
なぜ。なぜなぜなぜナゼナゼナゼ。
なぜ、此処にいるのだ、と。
「ーーーー」
だって、だって、だって。
もう、全ては終わったはずだったのだ。
直前までの記憶で、もう、自分の世界は、終わっていたはずだったのに。
ーーなぜ、此処にいるのだ。
「............あ?」
その疑問に視界すらも朧気になる中、視界に捉えた異変に声が漏れる。
ーー青の背景に、一つの色が生まれていた。
正確には一つではないが、一つと形容した方が、それには似つかわしい。
それは、危険を表す色である。
信号? パトライト? 血?
なんでもいい。
それが危険であることは、自分が一番理解している。
逃げなければ。
本能が鳴らす赤色の警報。
だが、体は動かない。
赤、紅、朱ーーーー。
「また会いましたね」
「ーーーー」
その赤は、声を発した。
声色は姿形とは打って変わって、青色だった。
「ーー不思議と、怖い感じ、しなくないですか?」
ーー赤色は、女だった。
理解し切れないが、一番理解に近いところに存在する女だった。
女は、微笑みを浮かべている。
その双眸は、自分を真っ直ぐに捉えていた。
その全てを見透かすような目が、心底気持ち悪い。
女の言う通り、恐怖は何故か消えていた。
あれほどまでに恐怖した相手なはずなのに。
あれほどまでに手足が震えたはずなのに。
ーー自分を殺した、張本人だというのに。
「それって、何でだと思いますか?」
「......分かんねえよ」
「ーー残念」
微笑みを崩さぬまま、肩をすくめる女。
その動作に、偽りは感じれない。
貼り付けた表情は、嘘で固められている。
ーーけれど、女は心底残念そうで。
「それも、嘘吐きだから分かるってか」
「ーーはは、面白いですね」
「......何がだよ」
「だから僕は嘘をつくことに抵抗はない、からですよ」
「は?」
何も、会話として成立していない。
それでも、女は嬉しそうだった。
言葉のキャッチボールどころか、彼女は相手の反対方向に球を投げたというのに。
何故か、女は嬉しそうだったのだ。
「じゃあ、ゆっくりと話でもしましょうか?」
「......何話すってんだよ」
「ーー星の降らないこの世界で、貴方と私の今後を。それはもう、じっくりと」
そこまで言い、何も言えなくなっている自分をチラッと上目遣いで見た後に、続けた。
「春の気分で、嘘でもいかが? ーー橘 幸耀」




