30話 『第三陣営』
「ジャスパー......!」
「ケガない? ないなら良い」
砂埃が晴れ、その先には悠然とした面立ちでこちらを心配する赤髪の青年がいた。
その手には、黒板消しのようなものが握られていた。
「......無傷、か」
異形が呟く。その声音には、困惑と、衝撃と、そして微かな思慮が感じ取れた。
「なるほど......お前、戦闘型道具系か。胡桃沢とかいう女も、確かそうだったな。政府とやらには珍しい輩が多い」
「......黒板消しのフォルム、すぐ特性バレちゃうから嫌い」
不満げに黒板消しについた砂埃を手で払うジャスパーを尻目に、新田は小声で呟く。
「気分屋はここにいる」
瞬間、気分屋がすぐ隣に転移。気分屋は嘘を嘘だと理解出来るので、特に困惑することはない。
「うおおお!? なんだこの怪物!? キッショ! この前のツインテールの嬢ちゃんが如何にマシだったか分かるぜ!」
......のだが、異形の姿のインパクトに気分屋は声を荒げる。そんな気分屋の発言に、訝しむような視線を向けたのは異形だった。
「......それ、ペディルのことか? ツインテールの嬢ちゃんってのは」
「ん? あー、名前は覚えてねえけど、まあ多分お前ら知り合いだろ。立派なツノが生えてたぜ」
ジェスチャーで二本のツノをアピールする気分屋。能天気な男の様子をしばらく眺めた後、異形は声色を変えずに言った。
「......そうか。まあいい。流石にこの人数を相手にするのは骨が折れる。ここから去るとしよう」
「お前は動けない」
退散の意思。それを表明した敵を、逃すわけにはいかない。間違いなく目の前の異形は敵意を持ってこちらへ近づいていた。殺すか利用するか、どちらでも構わないが、逃す理由は存在しない。
「ぐ、ぐおお......」
「......待て、新田」
嘘が機能し、身動きが取れていない異形を見つめながら、気分屋が手を広げて新田を静止させる。
「なんで? こいつ、敵だよ」
「そりゃ分かってる。が、おかしいと思わないか? ヘルメス軍が攻めてくる訳がないだろ、今の時期に」
「......ピーズの手下かなんかなんじゃないの?」
「それ分かってんのかい。良いか? ここでコイツ殺したりしたら、多分オレら明日には死んでるぜ?」
「......なんで」
「ピーズが怒り狂うからだ」
気分屋の真剣な眼差し。彼が真面目な表情を見せるのは、余程その行動に問題があるという意思表示だ。
「ちょっと待ってください、気分屋さん。ピーズは殺戮を娯楽として生きているんですよ? わざわざ手下を従えて、その彼らに私たちを殺しにいかせるわけないじゃないですか」
異形が現れてから、じっとなりを潜め、黙って敵を観察していた芽衣が気分屋の意見に異議を申し立てる。
「じゃあコイツがヘルメス軍だって言うのか?」
「それは......」
「......オレさ、昨日ピーズ神殿行ったんだよ。気分でな。そしたら、そこそこ強そうなヤツに襲われた。んでもって、そいつはピーズと主従関係があるようなこと匂わせてたぜ。理由は分からないにしろ、間違いなくピーズに従える者は存在する」
「じゃあ、どうするつもり?」
「逃がす」
「......は?」
「逃がす。それが最善の選択だ」
理解不能だった。
間違いなく、新田らを襲った異形は実力者だ。僅かコンマ五秒での魔法陣展開。そして光魔法による広範囲の大爆発。ジャスパーがいなければ、ニュートラルビルごと持っていかれていた可能性があったほど高威力の魔法であった。
それを逃がすというのか。ピーズが怒り狂うなどという確証もない仮定を立てて、命を狙う者を野放しにするというのか。
「ーーーー」
分からない。分からないが、気分屋の目は至って真剣だ。何か狙いがあるのかもしれない。
不満は残るが、新田は黙ってコクりと頷いた。
「ってことだ。さ、帰った帰った」
「......人間は、よく分からない生き物だな」
敵に救われたことによる気まずさからか、異形は捨て台詞を吐いた。
その後、徐々に目玉は塵と化し、数秒後にはその場から姿を消していた。
「......気分屋さん。私も、正直今のが正しい判断だとは思えませんでした。理由を、聞かせてください」
脅威が去ったことを確認した芽衣は、気分屋に詰め寄る。
訝しむ芽衣を見下ろしながら、気分屋はこめかみを掻く。
「んーとな。アイツを殺すことによってピーズが怒るかどうかは正直分からん。適当に嘘ついた」
「......へ?」
「ただ、あの目玉野郎は今から死ぬからな。ピーズが動き出すリスクを取ってまで、オレらから手を下す必要は無いって話よ」
「死ぬって......何で?」
「......それこそ、ピーズが怒り狂うから、だな」
ニヤけた顔でそう言い放つ気分屋は、どこか楽しそうであった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ピーズ様。最近雇われた政府の新入りの能力を探ってきました」
ピーズ神殿地下一階。光明などほぼ存在しない暗闇の中に、巨大な目玉が顕現する。
その気配を察したもう一つの異形は、七つの目の内、一つだけを開眼して問うた。
「ご苦労さマ。どんな能力だっタ?」
「戦闘型道具系です。恐らく、敵の魔法などを打ち消せる特性かと」
「へェ。戦闘型道具系はおもしろくて好きだナ。どんくらいの威力まで消せそうなノ?」
「私の全力。殺す気で発した魔法が掻き消されたので......ほぼ全てに対応してるんじゃないですかね」
「ア?」
目玉からの報告に、ピーズの七つの目が同時にピクッと反応する。
閉じられていた六つの目も、次第に相対する目玉に向けて視線を向けた。
「殺す気、と言ったカ......?」
冷たい地下神殿の空気が、更に凍りつく。
目玉は、ピーズから放たれる殺気に、気圧される。
目の前に佇むのは、絶対的強者。
逆らってはならない、真の帝王。
彼に殺気を向けられたのなら、誰も生きては帰れないーー。
「ーー! い、いえ、言ってません」
「下手くそな嘘をつくナ。ボクの前で嘘をつくことが許されるのハ、アストレアだけだゾ」
「で、でも。実際に殺してはないじゃないですか!」
「それは優秀な護衛がいたからだロ......殺そうとした時点でオマエはボクに逆らっていル」
迫り来る死の気配。
これまで、幾度も人間たちを脅かしてきた異形も、絶対的王者には逆らうことは叶わない。
着々と、その時が迫ってくるのを感じる。
冷たい、死という名の制裁。
何度も命を奪った。
何度も命を弄んだ。
何度も、自分の強さに酔いしれた。
過去が一斉にフラッシュバックしーー。
「や、やめ......」
ーーそれらを塗りつぶすかのように、赤黒い旋律が迸った。
ピシャ、と静かに水音が鳴る。
ものの数秒前まで声を発していた巨大な目玉は、装飾品と共に、既に八つに斬り裂かれていた。
じゃらんと装飾品が崩れる音を為し、その音をも憎たらしげに感じる異形。
「ペディルの方ガ、コイツより全然頭の出来は良かったようダ」
嫌悪感を全面に押し出した視線を目玉に向けたピーズは、その後不満げに地面へと溶けていった。




