26話 『戦の香り』
ジャスパーの専属護衛加入はスムーズに行われ、それから二日経ったが、三人の関係は良好だった。
有紗の心配は無用だったということになる。
それも、ジャスパーの性格があってこそだろう。
ジャスパーの裏表のない純粋な性格は、新田と有紗が配慮する隙もないほど付け入りやすく、すぐさま三人は打ち解けた。
「俺、二年前にここ来た。だからこの世界のことあんま知らん。なんで新田は狙われてる?」
図書室にて至って真面目な顔でそう質問したジャスパーは、腰に手を当てながら首を傾げるという変わったポーズを取っていた。
「なんか悉く幸耀を思い出す要素があるなあこの人......」
初対面の時、幸耀が大量にライズワールドに関する質問をぶつけてきたことを思い出す。
突然の転移に困惑し、異世界に対する疑問が多数浮かぶのは当然の反応なのだが、新田が初めて他人にライズワールドの詳細を説明したのは幸耀だったのだ。
それまでは、ただひたすらに教えられる側であったから。
ただ、三年間この世界で生活しているにも関わらず、アストレアの子の存在すら知らないという事実に新田は困惑した。
新田は政府の人々と関わる事が多く、民衆とはあまり関係を持ったことがない。もしかすると、どうしてライズワールドに転移したかも知らない人々は多いのかもしれない。
「幸......耀......」
橘 幸耀という名を知っている人など、ほんのひと握りなのだろう。目の前の青年も、その名前に困惑を示している。
ちなみに幸耀が転移してからは、新たな転移者は居なくなった。当然だ。これ以上現世から人々を引き抜いた所で、ヘルメスにはメリットが無い。生命エネルギーの補充から、アストレアの子の殺害へと目的を転換しているのだから。
「ええっと......まず、知っておくべき神が二人いて......」
「それはあたしが説明しとくんで、センパイは魔法の勉強続けてて良いっスよ」
「......うん、助かる。ありがとう」
六日前。有紗と大喧嘩の日から、有紗はより新田に自由な時間を与えようと努めているように思える。
あの時有紗は、努力には限界がある、と言っていた。ただその言葉は努力を諦めろ、というニュアンスではなく、限界まで努力し、そこで結果が出ないなら仕方がないと割り切れ、という意図によるものだ。
有紗が新田の代わりにやれることは出来る限り肩代わりし、新田が努力を最大限出来るような環境を用意してくれている。
そんな有紗の意志を、無駄にしてはいけない。
「おーっす、お取り込み中失礼するぞ」
決意にやる気を滾らせていると、図書室の焦茶色の扉がゆるりと開いた。
扉へ視線を向けると、そこにいたのは茶色のロン毛と髭が特徴の放浪者のような男だった。
「気分屋、久しぶり。もう酔いは覚めた?」
「あのな、未成年のお前にゃ分からんかもしれんが、六日も続く酔いがあるかっつの」
そう軽口を叩くのは気分屋だ。
滅多にニュートラルビルに立ち寄らない彼がこの場所にいることに若干の疑念を抱きつつ、とりあえずは何の変哲もない会話を広げる。
「俺、酒の味分かる。仲良く出来そう」
「お? 噂の新入り? おいおいとんだイケメンが現れたモンだな。オレは気分屋。よろしくな」
「......どこまでが苗字でどこからが名前? キブ・ンヤ? いやそれ変か。キ・ブンヤだな、よろしく」
「......なんかこいつ変じゃね?」
ジャスパーを指差して首を傾げる気分屋。
「特徴的ではあるよね。そんなジャスパーが僕は好きだけど」
魔導書をペラペラとめくりながら新田は彼らの会話に耳を傾ける。
「ーーブンヤ。あんた、強いな」
「ブンヤで固定なのな......つか、強いってそれこの前もゲテモノに言われたわ。あん時は新田しかいなかったけど......今はレディがいるし、カッコ付けるの恥ずいからノーコメントで」
気分屋は流し目で有紗を見つつジャスパーに返事を返している。その顔はどこかニヤついていた。
「それ強いって言ってるようなモンじゃないスか。独り言多いんスよ気分屋さんは。つかそもそもあの時芽衣さんいたんじゃないんスか」
「芽衣はレディって感じじゃねえしな」
「怒られるっスよ」
至って平和な会話だ。
気分屋がわざわざここに来るほどだから、何か重要な用事があるように思えるがーー。
「それで、気分屋な気分屋さんは何故わざわざここに? なんか要件あるんスよね?」
新田の意思を受け取ったかのように疑問を投げかける有紗。その言葉を受け取った気分屋は、木製の椅子に音を立てて座りながら言った。
「ああ、そうだった。えーとな、多分そろそろ戦争始まるから、気合い入れろってさ」
至って物騒な会話だった。
飲んでいたオレンジジュースを吹き出す。
「ちょちょちょちょっと待って。サラッと凄いこと言ったね今?」
「こういうことはサラッと言ったほうが気分が楽だろ?」
「内容が内容すぎて......」
魔導書の精読に意識を注ぎたかったが、あまりにも突飛で、尚且つ重大すぎる発言には反応せずにいられなかった。
「戦争? 俺まだアストレアって神がいることしか有紗に教えられてない」
「あーもうジャスパーがまた混乱しちゃったじゃないスか。邪魔しないでください」
「なんで怒られてんのオレ?」
自分に指を差し、不服そうに疑問を述べる気分屋だったが、どこか彼は楽しそうであった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そんなやりとりが続き、気分屋の説明が途切れ途切れになってしまっていたので要約する。
戦争が繰り広げられると予言したのは他でもない、仁 新だ。
根拠は三つ。
一つ目は、三日前の長野県一斉放火事件をきっかけに、ヘルメス軍の襲撃が一切無くなったこと。
二つ目は、ピーズが地上に姿を現したこと。
三つ目は、ヘルメスがエネルギー大量消費による衰弱状態から回復する時期であること。
まず一つ目について。
前提として、ヘルメス軍ーー天使の特徴として、エネルギーの回復量が人間より劣っているということが明らかになっている。
これは気分屋が、捕縛した天使に嘘の力で様々なことを吐かせた際に手に入れた情報である。
恐らくであるが、天使には羽が生えており、それを利用して空を飛んでいるため、彼らはエネルギーを常に消費している状態にある。
つまり、回復した分のうち少量のエネルギーが羽の運動のために持っていかれるので、実質的に回復量が減少しているものと思われる。
つまり、天使が万全の状態で戦争に踏み込むためには、しばらくの休暇が必要なのだ。
加えて、長野県一斉放火事件の主犯である、炎の天使ニルヴァ。彼は新田との戦闘でそのエネルギーのほぼ全てを使い切っていた。
ニルヴァは天使の中では最強格。大きな戦力となる。戦争が仮に起こるならば、最前線に立つような男だ。
その天使から聞き出した情報によると、天使はA、B、C、圏外と、四つのグループに戦力順に分配されるらしい。
こちら側としてはそれらの強さを分配することは難しいのだが、少なくともニルヴァはA級であろう。
というより、Aでなければ困るのだ。
彼より強い天使がそうそういないことを祈るために。
よって、ニルヴァのエネルギーが最大まで回復した時に、戦争が勃発すると思われる。
二つ目の、ピーズの顕現について。
これに関しては特に深い理由はなく、巻き込み事故でピーズやアストレアの子を処理できる可能性があるため、このタイミングで戦争を起こすメリットがヘルメスにはあるというだけである。
ピーズが戦争に参加し、ピーズ自身がアストレアの子と戦えば万々歳というわけだ。
三つ目のヘルメスの話に関しても、捕縛した天使からの情報による推察だ。
そもそも前提として、アストレアとの戦争の敗北、ライズワールドの創設、現世からの人間の引き抜きと、立て続けにヘルメスは大量のエネルギーを消費していた。
それに加え、ヘルメスは現世に住まうアストレアの子をライズワールドに転移させる前に殺す為に、自身の右目を犠牲に、現世とライズワールド、どちらにも干渉できる分身体を作り出したとの証言があった。
右目を犠牲にすることで、実体からのエネルギーの供給によりエネルギーの消費量を最低まで抑えることは出来たが、それでもヘルメスの身体は限界寸前だったという。
分身体を創り出したのはおよそ三十年前であり、その時にヘルメスは天使全員にこう告げたという。
『三十年後、我は衰弱状態からの復帰を成し遂げる。その際には、大規模な戦争を繰り広げようぞ』
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「ーーって感じで、準備しとけよってハナシ。おっけー?」
「俺、全然オーケーじゃない。まず、ヘルメスって誰」
「だからそれはあたしが今から説明しますから。はい、席座って」
非常に長い説明ではあったが、概要は掴む事が出来た。全く騒ぎが起きないここ三日間をちょうど不審に思っていたところなので、納得がいく理由を聞けたことにより、寧ろ新田は安堵していた。
だが、一つ疑問がある。それは一つ目の根拠に関する話だ。
「......ニルヴァっていう天使のエネルギーが満タンになるのは何日後になりそうとかって分かってるの?」
天使、それもニルヴァ単体のエネルギー回復量の目処が立たなければ、準備も何もない。
何なら今すぐにでも戦争が勃発してもおかしくはない状況だ。
「分からねえ。だからお前の力が必要なんだ、新田」
「へ?」
気分屋のいつになく真剣な眼差しに、新田は思わずたじろいでしまった。




