22話 『弱者』
逃げるように宴会場を後にし、ニュートラルビルの屋上へと急ぎ足で歩みを進める。
薄暗い階段を靴音を鳴らしながら登り、扉の前に着くなり、一息深呼吸。この場所へ来るのは二年ぶりだった。
おもむろにドアノブを捻り、外に出ると、無数の星々が散りばむ夜空が新田を歓迎していた。
「......あの日と、あんま変わってないね。でも、綺麗だ。というか、星って現世と同じなのかな。今度仁さんに聞いてみよう」
夜空を見上げて、誰にも届かぬ言葉を溢す。
「あの時は昼間だったけど......冷気が立ち込めてて寒かった。今と同じくらいの寒さだったかな」
これまでの二年間、ニュートラルビル襲撃事件のことを思い出さない日はなかった。
それほどまでにあの出来事は新田にとって衝撃な事件であったし、新田の在り方を大きく変える要因にもなった。
新田は六歳の時にライズワールドに転移された。
幸耀と同じようにピーズ神殿付近での転移だったため、胡桃沢がすぐさま新田の元へ駆けつけ、神殿への案内をしてもらい、そこで自身がアストレアの子だと判明した。
新田は何も分からない子供だった。
一人きりになってしまった新田は、まるで我が子のように彼を可愛がる仁と胡桃沢に支えられて生きていた。父親の記憶はあるが、それでも六年間。産まれてから三年ほどはそもそもの記憶が欠如しているため、新田の中では、仁が本当の父親以上に父親であると認識するようになっていた。
そんな仁がある日こう言った。
「んーん。新田くんは恵まれているんだよ。確かに命を狙われる立場ではあるが......君の持つ力は、誰よりも人を救える可能性を秘めている。何せ、他人にのみ関与出来る嘘だからねえ」
当時九歳だった新田は、その言葉をモチベーションに二年前まで生きていた。
誰かを救うために、生きる。
それはそれは、立派な目標であった。
十二歳になると、直々に現場に送り出されることもあった。流石に一人では危険なので、胡桃沢が護衛として着いていっていた。
魔法や嘘で次々と人々を救う新田を見て、胡桃沢が言った。
「新田くんは凄いよ。気分屋にはこんなこと出来ない。ホントに凄い。気分屋じゃ絶対むり」
褒められているのか絶妙なラインではあったが、少なくとも人々の役に立てていることは事実だった。それもまた、新田の生きるモチベーションへと繋がっていった。
そして三年後。最後のアストレアの子、橘 幸耀が転移してきた。
新田は、自ら仁の元へ稽古を頼み込む幸耀の姿を見て、ひどく感心した。
幸耀は、戦闘が怖いと言っていた。にも関わらず、自分の長所を理解して、率先して偵察や囮になる決意を固めていた。実際、あの日一番最初に動いたのは、他の誰でもない、橘 幸耀であった。心からの尊敬の念が、新田には芽生えていた。
「それに比べて僕は......守られてばっかだ」
自らを嘲笑う。
あの日は、幸耀に守られて、仁に守られて。
今回の事件では、有紗と気分屋に守られた。
加えてピーズがいなければ、新田は炎魔法を使う天使に負けていた。
「僕には人を救える能力がある......それなのに......それなのに......」
ーーまァいいカ。コイツ、死んでも生きてても変わらねェ。
あの時、ピーズが何気なく吐き捨てた言葉が、新田の心を鋭い刃で抉っていた。
「僕は......僕は、守られてばっかだ......!」
視界が揺らぐ。溢れ出る涙。
二年ぶりに流した涙は、二年前と同じ場所へ溢れていく。
二年間、赤の少女と、ヘルメスへの憎悪を糧に、沢山の修行をしてきた。魔法陣の洗練、構築陣の研究、嘘の能力と魔法のエネルギー消費量の把握。
嘘の能力がなくとも、赤の少女に勝てるように。
また、何か守りたいものができたときに、守れるように。必死に努力してきたはずだった。
「誰かの役に立ちたい......誰かに守られたら、その何倍も守りたい......だって、僕にはそれだけの力が与えられていたはずで、それで、それで......」
ーーセンパイはあたしたちに守られてるし、センパイも皆を守る。それが当然だと思うんスけど。
有紗の言葉だ。
新田は皆に守られている。
だが、冷静に今までを振り返った時、新田は本当に誰かを救えていたと言えるのだろうか。
胡桃沢が言っていたように、新田は嘘の力でさまざまな人々の手助けをしてきたつもりだ。
瓦礫の下に埋もれる人の救出。
手足に傷を負った人の治癒。
餅が喉につっかえたお年寄りを救ったこともある。
だが、救われた人々の中に、新田の記憶はない。
嘘によって記憶の改変が行われるので、それは当然だ。新田が嘘を使ったと明言しない限り、そのまま世界は進んでいく。
そもそもの話、この能力を付与したのはアストレアかヘルメスだ。新田の努力によって培われた力ではない。
誰にも認識されない上に、新田自身の力でもない。
それなのに、どうして新田が人々を救ったなどと豪語できるのだろうか。
「僕は皆より恵まれた力を持っている......戦闘において、明らかに僕は有利な能力を授かっている......なのに......」
相手に対して嘘が通用するというのは、非常に強力だ。魔法陣さえ展開されなければ、基本的に勝ちと言ってもいい。相手の動きを封じ込めたりする嘘は、外傷を伴わないため、エネルギー消費量も少ない。
つまり、基本的に新田は誰かを守るべき立場にいなければならない。
現に、気分屋は最強の男として誰よりも頼られている。守られるべき存在でありながら、その振る舞いは英雄のようで。
橘 幸耀もまた、ある意味で新田を守った存在と言えて。
「僕には......守られる資格がない......!」
「ーーセンパイは、何にも分かってないです」
大粒の涙が地面に弾けた瞬間、駆け抜ける風のような声が耳に届く。
声の方へ向き直ると、そこには腰に手を当て、憤慨した様子の有紗が立っていた。
「ど、して......ここに......」
その疑問への返事はなく、少女は徐々に新田との距離を詰める。
「あのですね、センパイ。そもそもの話、センパイが特別だなんて考えが間違ってるんですよ」
「............間違って、なんか」
「いいえ。間違ってます。確かにセンパイはライズワールドの皆が守り抜かなくてはいけない存在ですし、凄い力も持っています」
分かっている。だからこそ、新田の心はこれほどまでに締め付けられているというのに。
強力な能力を所持しているのにも関わらず、誰にも頼りにされない。守られるべき対象としか見られていない。
そんな現状が、新田の心を蝕んでいるというのに。
「でも......それがセンパイじゃないですか」
「............?」
「それがセンパイの、ありのままの姿なわけじゃないですか。救えない人がいる。確かにそうかもしれません。でも、そんな現状が、センパイの限界なわけじゃないですか。だったら......それで良くないですか?」
何を言っているんだ。
最初に目の前の少女に対して浮かび上がったのは、単純な疑念だった。
救えない人がいる現状が良い?
良いのだとしたら、新田はここまで苦しんでいない。
良いのだとしたら、誰一人として新田を守ることはない。
浮かび上がった疑問は、徐々に怒りへと変化していた。
「良いわけ......ないでしょ。僕の実力不足のせいで皆が死んで! 僕も死んで! 僕が死んだら、皆の死に繋がる! 皆が死んでも、僕の死に繋がる! それは、僕の実力が無いからーー」
パァン、と新田の頬を叩く音が、夜の東京に響いた。
目が点になった。現状への理解が追いつかなかった。何が起きて、誰がそれをして、どんな意図があってーー。
「だから......! センパイは何にも分かってないって言ってんスよ......!!」
顔を真っ赤にし、涙を滲ませながら激昂する有紗と、初めて目が合った。
「努力一つで何もかも成し遂げられる世界が何処にあるって言うんですか!? 人々には限界がある。それって当たり前のことでしょう!?」
二年間、有紗とは、ほぼ一緒に時を過ごしていた。
時には笑い合い、時には相談をし合い、時には共に現場に赴き、時には些細な喧嘩をしたこともあった。
初めてだった。
初めて、新田は怒られた。
二年間などという話ではない。
ーー新田は、産まれて初めて他人に怒られた。
「じゃあセンパイは今までの努力が間違ってたとでも言うんですか!? 夜な夜な魔術書を読み漁って、魔法陣を何度も展開して、真冬の冷たい気温の中、庭に出て魔法の練習をして。そんな血の滲むような努力が、全部無駄だったとでも言うんですか!?」
「ーーーー」
「違いますよね? センパイは誰よりも努力していた! それは専属護衛であるあたしが誰よりも知っています! 精一杯努力したものの結果に繋がらなかったのなら、それは仕方ないと割り切るしかないじゃないですか!!」
実力不足は、努力不足ではない。
人々には限界があり、それを超えることが出来ないのは個性であると、彼女はそう言っているのか。
「新田さんは多くの人を救っています。今回の放火事件、新田さんがいなければ何人の人が逃げ遅れて亡くなっていたと思ってるんですか」
何人もの人々を救っている、なんて慰めの言葉は、自問自答で聞き飽きている。
救えたのは自分の実力ではない。
それに、新田の中ではもう一つ、それらの行動を自分の手柄だとして捉えるのを阻害する懸念があった。
「それは僕じゃなくても出来たことじゃん......! 気分屋は勿論、有紗だって俊敏だからさっと駆けつけて救助出来たはず......誰でも、出来ることなんだよ」
ーー他の人々が出来たことを、ただ横取りしただけではないのか。
瓦礫の下に埋もれる人の救助。
確かに、嘘を使うことで速やかに問題を解決することは出来る。
だが、それは他の人々が協力すれば出来たことで。
嘘はすぐさま適用されるから、時間の問題で新田が救ったことになっていただけで。
そんな新田の思考を、有紗の怒声が真っ向から否定する。
「はあ!? じゃあ他人が出来ないことしか『人の役に立っている』とは言えないってことですか? バカなんですか? 夢見すぎなんですよ! それこそ自分が特別であるっていう呪いに縛られてるだけなんですよ! 自分ならもっと色んなことが出来る、なんてただの思い上がりでしかないんですよ!」
「ーーぁ」
吐き出される罵倒の数々。
ただ、それは紛れもなく正論であった。
新田は、自らの力に驕ってなどいないと思っていた。
寧ろ、自己肯定感の低さが今の新田を形成している。新田はそう考えていた。
しかし、新田は様々な人に守られて生活している。
守られた分だけ、守ってやりたい。
それが出来るはずなのだ。何せ新田は、人を救うことに特化した嘘をつくことが出来るのだから。
他人が出来ないことを、自分なら出来る。
それはもう、驕っているとしか言えない考え方ではないのか。
「僕には人を救える能力があって......」
「......人を救うことは、誰でも出来ます。誰もが、誰かを救っています」
「誰かに守られてばっかで、申し訳なくて、悔しくて」
「多くの人が、劣等感や申し訳なさを抱えています」
「僕は、アストレアの子なのに」
「センパイ」
有紗は、涙で濡れた顔に優しい微笑みを張り付けて新田に言った。
「もう、自分に嘘吐くの、やめましょうよ」
「ーーーー」
「センパイはアストレアの子である前に、新田 春なんですから」
春の夜にしては暖かな風が新田を包み込んだ。




