19話 『むかしばなし』
宴会開始から三時間ほど。
すっかり太陽は沈み、アカモズの地続きの鳴き声が会場を包む。六人で居座るにしては広く豪華な場所で、功労者たちは至福の一時を過ごしていた。
成年組の胡桃沢と気分屋は既に酒に飲まれて撃沈している。仁と芽衣は節度を持った人間なので、仁はいざという時のために飲酒はせず、芽衣は少々顔が赤くなっている程度で済んでいる。未成年組の新田と有紗はオレンジジュースをちびちびと嗜んでいた。
「仁さん。少し良いですか」
騒がしい二人が寝静まり、静けさが漂う雰囲気の中、神妙な面持ちで新田が切り出した。
「んーん? なんだい?」
「......ピーズのことを、詳しくお聞きしたくて」
蘇る記憶。
炎天使との戦闘で疲労してたとはいえ、新田は件の異形相手に、何も出来ずに殺されそうになった。
ピーズと呼ばれる化物の力量が圧倒的である、という以前に、放たれる威圧感に怖気付いてしまっていたのだ。戦うまでもなく敗北していた事実に、新田は唇を噛み締める。
だからこそ、次会う時にはそうはならないよう、ピーズのことを知らなくては。
「あたしも気になるっス。恥ずかしながら当時は気絶してしまって実物を見られなかったっスから」
「んーん。そうだねえ。私も直接見たわけではないから事細かに描写出来るかは不安だが......ひいお爺さんから聞いた話をするとしよう」
仁は双眸をおもむろに閉じ、穏やかな口調で語り始める。
ーーおよそ百年前。ライズワールド転移後の仁家の四代目にあたる、仁 彼方が政府のトップを務めていた。
当時、彼方は二十三歳であった。仁家は魔法系の子供しか産まれず、人知れず『魔才に恵まれし一家』などとも呼ばれるようになっていた。
百年前といえば、アストレアの子がまだ誰一人として転移していない時期であり、ヘルメス軍による殺戮など滅多に行われることはなかった。あったとしても、それは天使の身勝手な行動によるもので、ヘルメスの指示ではなかったように思われる。生命エネルギーの補充を目的としていたヘルメスが、わざわざ転移させた人間を殺す意味がないからだ。
「仁さん。今日もお疲れ様です」
「んーん。別に疲れるようなことはしていないさ。アストレアの子とやらがいない以上、この世界は基本的に平和だからねえ。道具系の人々が頑張っているから、特に問題もなく我々は生活出来ている。私なんて、何の役にも立っていないよ」
「も、申し訳? ございません?」
「はは、謝ることじゃない。私は君に救われている。もっと自信を持って良いんだよ、七奈海」
「......! は、はいっ! 有難きお言葉です」
扉をノックし、丁寧な口調で事務室に入室した補佐役の少女ーー星川 七奈海を優しい言葉で労う。彼女は十二歳だ。
十二歳にして突然ライズワールドに転移してしまった不幸な少女に、彼方が役職を提供し、実質的な養父として彼女を育てている。十二歳にしては立ち振る舞いがしっかりしており、その早熟さが彼方の目を惹いた。
ちなみに現世に国会議事堂が設立されたのは当時の十六年後であるため、政府の中心は特に特徴の無いただのビルだった。
「んーん。それでどうしたのかな? 何か用事かねえ?」
「えっと、何やら神殿の方で騒ぎが起きているみたいで......仁さん直々に鎮圧してほしいな、と」
「......水晶玉のある神殿か。分かった、すぐに向かおうか」
水晶玉に来る転移者を狙ったヘルメス軍の襲撃だろう。転移者がアストレアの子だと判明した瞬間に襲えば、ヘルメスの思惑に逆らうこともない。
騒ぎが起きた、ということはアストレアの子が転移してきたのか、それともただ単に殺しに飢えたヘルメス軍の行動なのか、実際に実力者である彼方自身が確かめる必要がある。
白く輝く神殿に着いた彼方が最初に目にした物は、入り口に転がる何者かの千切れた右腕だった。切り口からは血が微かに流れ出ており、大きさや色白さから、女性の手だと判断することが出来た。
「マズいねえ、既に犠牲者が出てるとは」
鼻をつんざく腐臭と、目の前の惨状に、想像以上に深刻な状況であることを察した彼方は、急ぎ足で神殿の内部へと進む。
そして、その後すぐに、彼方は明らかな違和感を目の当たりにする。
「羽......?」
白い天使の羽が落ちていたのだ。羽の根元には微かに血が付着しているのが視認出来た。
「まさか本当にアストレアの子が転移してきたのか......?」
神殿に来たばかりの転移者が、天使を殺傷できるほど戦闘に慣れているとは考えにくい。
ともなれば、天使を即座に殺戮できるほどの特殊能力を手にしている、アストレアの子の仕業である可能性が高い。
「慎重に動いた方が良さそうだねえ」
いずれにせよ、異常事態が起きていることを彼方は感覚で理解する。
無惨に転がった腕しかり、何者かに千切られたと思われる天使の羽しかりーー神殿の最奥部から溢れ出る禍々しいオーラしかり。この場所は、普通ではなかった。
「二十三年生きてきたけど......今までで一番、イヤな感じがするねえ」
絶え間なく漂い続ける腐臭に顔をしかめながら悪態を口にする。コツ、コツと彼方の靴音が神殿内に木霊するだけで、物音は一切ない。
そんな中、靴音に混じる音が一つ。
「雨音......? いや、雨じゃない」
ピチャ、ピチャ、と一定のリズムでなる水音だった。雨が降り始めたのかと勘ぐったが、雨にしては音が反響しすぎている上、テンポが遅すぎる。
「まあ......何かがいるのは間違いないねえ」
警戒心を強めながら、遂に彼方は神殿最奥部......水晶玉のある場所へと到達していた。
ーー辺りには、二十名ほどの天使の死骸と、小学生ほどの小さな女児の頭部が転がっていた。それは、白眼を剥いていた。
七奈海と同い年くらいの無惨な亡骸に、彼方は吐き気を催す。
「う、ぷっ......」
最悪な気分に包まれながらも、彼方は水晶玉の無事を確認する。この水晶玉が破壊されてしまえば、アストレアの子の判別が難しくなる。それは絶対にあってはならない事態である。
不幸中の幸いに安堵する彼方は、その視界に捉えた。
ーー水晶玉に反射し、彼方の背後で蠢く黒い何かを。
「冷凍魔法・タルジュ」
即座に反応した彼方は、自身の特性である氷魔法を詠唱。巨大な氷柱がその何かを押しつぶさんとばかりに、超速で地面に突き刺さる。
「ハァ......ハァ......何だ、今の......」
「なァ、オマエ、強いだロ?」
神殿に反響する、小気味悪い声。
違和感のある語尾のイントネーションは、まるで悦びを表現しているかのようにうわずっていた。
「オマエ、楽しめそうダ。ーーさァ、始めようカ」
目の前に姿を現したそれは、まさしく異形であった。




