18話 『快楽殺人鬼』
瞬間移動により、芽衣と共に松本市に駆けつけた気分屋が最初に目にしたのは、まさに異形の存在だった。
簡単に言えば、人の頭の部分が蛇になっており、そこに人の胴体を乱雑に繋げたような化け物だ。
蛇の形をした部分には七つの目が規則性もなく散らばっており、そこに目以外の部位は存在しない。瞳孔の色は眩しい金色。
目以外の部位が存在しないソレを蛇と形容するのは、頭がクネクネと動き続けているからだ。形も蛇と類似している。細長い何かが、胴体とは別に命を持っているかのように動き続けているのだ。
三メートルほどの胴体の七割を占めるのがギザ歯の口だ。胴体に口がついている。それは生き物を産み出した者を侮辱しているかのような構造だった。
手は六本、足は二本生えている。耳は生えていない。人間の胴体、とはいったものの、その構造はまさしく人間離れしている。
白目、金色の瞳孔。そして赤い唇と舌。加えて白い歯。それ以外の部位は全て漆黒に包まれている。
「オマエ......いいナ」
「あ?」
異形と呼ぶのが最も似つかわしい化物の第一声は、称賛だった。
「オマエ、強いだロ」
「まあ......強いかもな」
「ボクより強いと思うカ?」
「その見た目で一人称ボクなんかい......んーまあ、オレの強さって気分によるしな。なんともいえんけど、調子良い時なら勝てんじゃねってくらい」
「......まだライズワールドも捨てたモンじゃなさそうだナ。今殺すのは勿体無イ。ーーボクに次いで、二人目の武魔合成術者になれる資格もありそうダ」
「なんだかわからんが......見逃してくれるのか?」
「アア、見逃すサ。ーーいつかの戦争を楽しむためにナ」
そう言ってケラケラと耳障りな笑い声を轟かせた化物は液状化し、すぐさま地面に溶けて消えた。
「なんだったの......今の......」
「大丈夫か? 新田」
恐怖に震える新田の顔は真っ青だ。無理もない。あの化物の手で新田は殺されようとしていたのだから。
「間に合って良かったぜホント......」
「新田さん! それとついでに気分屋さん!」
心から安堵し胸を撫で下ろす気分屋の背後から、芽衣の叫ぶ声が聞こえてきた。滅多に取り乱すことのない芽衣が、焦りを顔に浮かべている。
「無事でしたか......」
「無事には無事だけど......アレなんなん? 気持ち悪すぎるんだけど」
異形の存在。
生物を馬鹿にしたような構造の異形が放つ異彩。
気分屋は平常心こそ保っていたが、それにしても、ライズワールドで出会った何よりも威圧感を感じていた。
「恐らくですが、異形の正体はピーズです」
芽衣もまた、新田同様に顔が青ざめている。
ここ二年間で、最も動揺していると言ってもいいかもしれない。
「ピーズ......?」
聞き馴染みのない単語に首を傾げる気分屋。その背後で震える新田が、合点のいったように口を開いた。
「ピーズ......! 聞いたことある......屠殺と悦楽の神......」
「そうです。又の名を――快楽殺人鬼」
恐怖を共有し合う二人の横で、何も分からず不貞腐れる気分屋は、居心地悪そうに勝利の一服を味わっていた。
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「ピーズと出くわしたァァ!?」
「声がデカいんじゃアホみざわ」
驚愕に声を荒げる胡桃沢と、不機嫌そうに彼女を注意する気分屋。
ここはニュートラルビル二階の宴会場である。
異形の存在との邂逅の後、特にヘルメス軍の姿は見当たらなかった。
水魔法で街の鎮火を行い、ひとまずヘルメス軍の脅威は去ったとの判断が下されたため、街の修復担当の道具系の方々とバトンタッチし、長野県大規模放火事件の解決を祝い、功労者を集った食事会を催している最中なのだ。
そんな祝勝会なんてやっていて大丈夫なのか、と問われそうだが、この場には実力者が集まっている。仮に襲撃が来たとして、それに対応できない程度の実力であれば、とっくのとうにアストレアの子は全滅しているだろう。
出席者は、新田、有紗、気分屋、芽衣、胡桃沢、仁の六名。仁は現場には赴いていないものの、司令塔として彼らの手配を素早く済ませた影の暗躍者なのである。
ちなみに、胡桃沢は負傷こそしたが、その後は難なく敵軍を撃退することに成功し、無事帰宅した。
「胡桃沢さんはピーズのこと知ってるんスか?」
「そりゃ知ってるよ! だって水晶玉が置いてある神殿、アレ『ピーズ神殿』って名前なんだよ?」
「......言われてみればそんな名前だった気がする」
「有紗ちゃんが知らないのは仕方ないとして、新田くんと気分屋は知らんとマズいっしょ! 笑っちゃいまっせ」
「マジでこいつ酒入るとダルいんだな」
「違うのよ! 不意打ちで足怪我させられたことにムカついんてんの!」
明神岳にて手榴弾により負傷した胡桃沢は、包帯に巻かれた右足をバタバタと荒げさせながら思いっきり飲み干したジョッキを机に叩きつけた。特に異常なく足が機能しているのを見て、新田は人知れず安堵する。
「それにしても芽衣ちゃんは物知りだねー。どこで知ったのピーズのことなんて」
「それは......実は仁さんから教えていただいたんですよ」
グイグイと距離を詰める胡桃沢に若干の距離を保ちながらも、芽衣はスムーズな受け答えをする。
「んーん。そうだねえ。ピーズは僕のひいお爺さんに当たる人が封印したって逸話があるんだよ。だから仁家の僕は知ってて当然ってワケ」
芽衣の視線を受け取った仁は、柳色の長い襟足を親指と人差し指で捻りながらそう話した。
「んーん。ピーズは恐ろしい怪物だよ。自分が楽しむ為にこの世界が存在していると思いこんでいるんだ。自分が楽しければ人なんて躊躇なく殺す。快楽殺人鬼なんて二つ名が付くくらいだから、その有り様は想像に容易いけどねえ」
「実際僕は殺されかけましたからね......その時は楽しいから殺すってよりかは、単純に気に食わなかったから殺そうとしてた感じでしたけど」
「そんな時にオレが駆けつけて新田を救ったってわけよ。どう? 惚れ直した?」
「そもそも一度も惚れたことないです」
ウインクする気分屋を芽衣が一蹴する形で場が盛り上がる。
曲者揃いの宴会だ。恐怖も憎悪もない、幸せに包まれた空間。
新田だけが長野では誰も倒しておらず、ただ守られただけ存在という事実に誰よりも早く気がついたのは、自分自身だった。