15話 『小野寺 有紗』
ーー強い。何だこの人は。動きが俊敏すぎて、防御で精一杯だ。
額に垂れる汗を拭う暇もないまま、防戦一方の有紗は敵との実力差を痛感する。
「......もう限界? 専属護衛とやらも、大したことないのか」
対して、汗一つかかず、黒いマスクで顔の半分を覆った小さな少年は、苦しい表情を浮かべる有紗に落胆の声をあげる。
長野県松本市。
水魔法の術者の到着を待っていた新田と有紗の目の前に、二人の天使が突如空から現れた。
まず、最初に感じたのは、凄まじい熱気と闘気であった。
それらは緑髪の天使から溢れ出るものだったように思える。現に、有紗はもう一人の天使と戦闘を繰り広げているが、彼からは熱気も闘気も感じられない。
ーーそう、闘気すら感じることはないのだ。
それなのに今、有紗は自分の身を守ることしか出来ない。
有紗の武具はヌンチャクだ。武具特性は『重さを自由に操ることが出来るヌンチャク』。有紗の意思によって重さは自由にコントロールが効くが、ヌンチャクが有紗の手元から離れてしまうと従来の重さに戻る。
相対する敵の扱う武具は、なんと盾だった。天使の紋様が大きくデザインされたそれの大きさは縦横どちらも七十センチメートルほど。彼はそれを片手で華麗に操り、機動力のあるヌンチャクに引けを取らない俊敏さで有紗を圧倒していた。
ヌンチャクの重さを変えたり、リズムを変えて隙を作りにいったりと試行錯誤を繰り返すが、どんな攻撃も跳ね返され、その隙にカウンターを貰いそうになる。自分に隙が生まれたらすぐさまヌンチャクを軽くし、敵をも上回るスピードで自衛に回ることで対処は出来ているが、結局敵への決定打には繋がらない。
「......君、これからどうするつもりなの? このままやり合っても、僕には一生勝てなそうだけど」
「絶対にッ......アンタを殺すっスよ......!」
「......ふーん」
相手の顔は、顔の半分を覆うマスクによって目元しか視認することが出来ない。
その唯一のパーツである双眼が、有紗の心意気を受けてこう告げていた。
ーー諦めろ、と。
いやだ、諦めたくない。
ここで諦めてしまったら、私はどうしてこの場所に。
どうして新田の専属護衛に。
どうして、ヌンチャクを振り続けたのか、分からなくなってしまう。
諦めたくはない。
でも、勝利への道筋は見えない。
ふと脳裏によぎる敗北の二文字。
例え勝負に負けたとしても、ヌンチャクだけは手放してはならない。
それは有紗が両親と、新田と交わした約束だから。
そして、それは有紗が有紗であり続けるための、頑丈な鎖でなければならないのだから。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ーー十六年前、ライズワールドの東京にて生まれた有紗は、三歳の頃から両親に武具の特訓をさせられていた。ライズワールドの東京はいつでも危険と隣り合わせ。いつ家族が蹂躙されるかは分からない。
両親はどちらとも道具系、かつ固有の特性は授けられなかったため、武具系の有紗は家族の盾として育てられたのだ。
「有紗はヌンチャク使うの、好き?」
「うん、大好き!」
それでも、不思議と嫌な感じはしなかった。
両親は、現世とは変わった生活様式を強いられながらも、居心地の良い家庭を築くために試行錯誤していたように思える。
そんな朗らかな空間が、有紗を育てていた。
いつまでも穏やかな生活が続くように。この幸せを逃さないように、有紗はヌンチャクを振り続けた。
「あたし、おかーさんとおとーさん、絶対に守るから! だから、ずっと一緒にいようね!」
絶対に守る。その言葉が、有紗の口癖であった。
そんな彼女は十歳のある日、両親を亡くす。死因はヘルメス軍による射殺。特性で生み出した商品を市場に届けるまでの道のりで、不幸にもヘルメス軍と遭遇してしまったらしい。有紗はその時も家でヌンチャクを振り続けていた。
有紗は家族の盾として厳しく育てられていたが、それでも家族は有紗自身を愛していたように思う。家族が無事でいて、平穏に暮らしたいからこそ、有紗には強くいて欲しかったのだ。有紗もそんな両親の教育に全く不満も疑念も持ち合わせていない。
だが、両親は死んだ。有紗は心の拠り所を無くす。家族のために振るってきたヌンチャクが、家族を守ることは一度たりともなかった。
「じゃあ......あたしって......なに......?」
十歳の少女には、あまりに酷な運命であった。
十年。十年もの間、有紗は家族からの愛情だけを生き甲斐にヌンチャクを振り続けた。
学校などというものはライズワールドに存在しない。周囲には大人しかいなかった。
有紗が心を許せていたのは、たった二人だった。
「このヌンチャクって......なんだったの......?」
全てを、世界に否定された気分だった。
その日、途方に暮れ、豪雨の中、街を一人で歩く有紗に傘をさした銀髪の女性が話かけてきた。
「ねえキミ。政府で働くつもりはない? そのヌンチャク、相当使ってるでしょ。そのまま腐らせるのは勿体ないよ」
無神経な人だと思った。十歳の子供が一人で豪雨の中歩いているというのに、傘も渡さず、一人でいる事情も聞かず、政府で利用するための口実を聞かすとは。
「じゃあ......あなたを殺すためにヌンチャクを使ってもいい?」
「あはは。大分やさぐれてる。......キミは何のためにそのヌンチャクを振り続けたの?」
子供の殺意を軽く避けた女は、自分が何度も結論を出した質問を投げかける。
「......家族を、守るため。でも、でも......二人ともしんじゃった」
雨と涙の両方でずぶ濡れになった有紗を胡桃沢が見つめる。その瞳は、有紗自身ではなく、有紗に他の誰かを投影しているかのように思えた。
「そっか。ねえ、守るのは、家族じゃなきゃダメ?」
「ダメ......あたし、家族以外に守りたい人なんていない......」
「じゃあ、これからどうするの?」
「........................わかんない」
ーー分からない。
分かるわけがない。
守りたいモノが消え、生きる意味を失った。
これから、とは何なのだろうか。
小野寺 有紗の人生は、もう既に終わりを迎えたのではないだろうか。
意味のない人生を垂れ流すだけならば、それはもう死人と何ら変わりはない。
「この世界にはね、みんなが守るべき人が三人もいるんだよ。その内の一人はまだここに来てないんだけど。三人守れたら、両親より多い数守れる。生きるモチベーション、これでどう?」
「............」
滅茶苦茶な理論だった。有紗が守りたかったのは家族の二人だけで、数多くの人を守ることに興味などない。それに加え、見知らぬ三人を守るために人生を捧げるなんて、馬鹿らしいと思った。
しかし、十歳の子供にとって、自分で歩むべき道を見つけ、自立していくことは難解だ。
死人同然だと自覚しておきながら、自死する気概もない。
その時の有紗には、この女性に全てを委ねて生きる道を選ぶしか方法が無かった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
なすがままに政府の戦闘員として就任した有紗は、両親の死から四年間、胡桃沢に稽古をつけてもらっていた。
自分の心の中には、未だに疑問が渦巻いている。
お前は何がしたいのだ。小野寺 有紗。
ある日、胡桃沢が稽古中にスマホを見て呟いた。
「神殿近くに転移か......今回は楽に済みそうだね。アストレアの子じゃなきゃいいなあ」
「転移者が? そう言えば、胡桃沢さんはここらの転移者の案内人でしたね」
「そうそう、じゃ、そういうことで稽古一旦やめ! お留守だね。良い子にしてるんだよー」
「もう十四歳っスよあたし。子供扱いやめてほしいっス......ってもういない」
四年もの間、胡桃沢と共に時を過ごすことの多かった有紗は、性格も若干ではあるが胡桃沢に似てきていた。
自然に似たというより、トラウマを忘れるために意図して身近な人間に性格を寄せた、という方が正しいのかもしれないが。
それから数時間後、
「アストレアの子、揃っちゃった」
と言う胡桃沢の苦い表情は記憶に新しい。
そしてその僅か三日後、ニュートラルビル襲撃事件が起きた。
最小規模、かつ最悪の事態に終わった、あの事件だ。
当時、有紗はニュートラルビルから少し離れたジムで筋トレをしていた。走って五分ほどの距離である。
汗を流し、水分補給をしていた所、仁からの召集命令がかかった。仁の声色は、いつも通りの、穏やかなものだった。
だが、ニュートラルビルに敵襲が来るというのは異常事態であった。有紗はすぐさま支度をし、全速力でニュートラルビルに駆けつけた。
長い長い階段を駆け上り、屋上に着いた有紗が見たのは、泣きじゃくる男の背中だった。
その男の前には、左胸が裂け、血と涙に濡れた遺体が転がっていた。
「絶対に守るって......言ったのに......!」
えずき、もがき喘ぎながら男が零した言葉に、有紗は胸が締め付けられる感覚がした。
四年ぶりの、感覚だった。
「あたしと、同じだ......」
守るべきもの、守りたいものを守れなかった有紗。泣きじゃくる彼にとって、亡くなってしまったアストレアの子がどんな存在だったのかは分からない。それでも、後悔に苛まれる彼の後ろ姿を、そのままにしておくことは有紗には出来そうになかった。
そうして小野寺 有紗は新田 春の専属護衛に立候補し、今に至るーー。
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『んーとね、武具系との戦いで、これ勝てない! って思ったら、まずは相手の武具特性を見極めることに専念した方が良いよ』
盾の猛攻を必死に弾き返しながら、師匠の胡桃沢の言葉を思い出す。
どんな攻撃を繰り出しても俊敏な盾の扱いで対処され、こちらの攻撃は相手に届きそうにない。
そして隙が生じ、カウンターを貰いそうになれば、ヌンチャクの軽量化により弾き返す。その膠着状態が、五分も続いていた。
相手の表情を見る限り、このままでは先に体力が切れるのはこちらの方だ。後ろで劣勢に追い込まれている新田の為にも、早めに目の前の少年とはケリをつけなくては。
「......もう、汗かいちゃってるじゃん、君。人間は脳みそが天使より柔らかいって聞いてたけど、諦める選択肢が浮かばない辺り......そういうことなのかな」
手汗が滲み、ヌンチャクの扱いにもブレが現れ始める。重さを何度も細かく変動させてるため、手首の負担も限界だ。集中力が切れ始め、思考がぼんやりと霞み始める。
ーーそしてその異常は、遂に勝敗を決する事故へと繋がる。
「あっ......」
軽量化したヌンチャクを振ったその時、右手に持つヌンチャクを手放してしまった。手汗で滑ったのだ。
その瞬間、感じる死の予感。武具を手放した武具系に、戦う術は残されていない。
武具を、取りに行かなくては。さもなければ、死ぬ。だが、ここまで俊敏な相手が、地面に転がったヌンチャクを取りにいく余裕を与えるはずがーー、
「......え?」
静寂。
静寂が続く。
その間に、有紗は地面に転がったヌンチャクを手に取っていた。
相手は盾をこちらに向けたまま、静止している。
ーー何故、トドメを刺さない。
『武具特性って基本的に戦闘に有利になるものばっかなんだけど、それが欠点になるってこともしばしばあるのよね。それでもって、相手の武具特性は、その欠点から見極めるのが楽なパターンもある』
胡桃沢はこう言っていた。
今の相手の静止が、盾の武具特性の欠点なのだろうか。
「今のは僕の心の中にあった遠慮だよ。あまりに圧倒的すぎて、君をすぐさま殺すのは可哀想に思えた。それだけ」
「そうっスか......そりゃ、どうも」
仮に本当に遠慮心からきた慈悲だとしても、それはそれで好都合だ。いずれにせよ、有紗はチャンスを掴んだのだから。
第二ラウンドが始まろうとしている。息を整え、臨戦体制に入るため、ヌンチャクを回す。
「......?」
僅かな沈黙。しかし、そこには確かな違和感があった。
相手の右手に持つ盾が、小刻みに震えていたのだ。しかし、あれほどの実力を持ち、尚且つトドメを刺さなかった心の余裕を考えると、恐怖や不安からくる震えとは考えにくい。
それにあの震え方。まるでヌンチャクの動きに合わせて震えているかのようなーー。
「......なるほどっスね。やっぱ胡桃沢さんは凄い人だ」
不敵な笑みを浮かべてそう呟いた有紗は、すぐさま敵の後方へ回り込む。
「遅いよ。もしかして不意打ちのつもり? 後ろから攻めたところで、僕の盾が全て弾き返す。お前の行動の全ては、僕より遅いんだよねえ」
「僕の盾が全て弾き返す......っスか」
ーー相手の不自然な点は二つだ。
一つ。ヌンチャクを手放した有紗にトドメを刺さなかったこと。
二つ。攻防の中、敵から反撃をされたことがないこと。
先程の五分に及ぶ攻防の中、有紗の行動に隙が生じたことは何度もあった。しかしカウンターを予知した有紗はヌンチャクの軽量化で何とか敵の反撃を凌いでいた。
ーーように錯覚していただけだ。
相手の武具特性は間違いなく『全ての攻撃に対応する盾』だ。そう仮定すれば、今までの敵の行動の全てに合点がいく。
トドメを刺さないのは盾自体、もしくは持ち手自身に殺傷能力がないから。盾が震えていたのはヌンチャクに反応していたから。どんなに攻撃のテンポを変えても傷一つ付けられないのは、全ての攻撃に対応されてしまう特性だから。
恐らく目の前の男の役目は、有紗の新田との分離。近距離が得意な有紗は、魔法を用いて新田を殺すには邪魔な存在だ。有紗の意識を盾に向かわせ、その隙に相方が新田を力でねじ伏せる。そういう作戦だったのだろう。
相手の思惑が読み取れれば、後は簡単だ。
「じゃあこの一撃も、しっかり受け止めて貰うっスよ!!」
限界まで重くしたヌンチャクを両手で持ち、腰から渾身のフルスイング。
「んな......!?」
予想の何倍も重い一撃に、相手の体が吹き飛ぶ。貧相な体は宙に浮き、三十メートルほど前方へ飛んでいくだろう。
無論、どんなに重い一撃を与えたところで、攻撃は盾に受け止められ、敵に直接的なダメージは入っていない。
だが、何も問題はない。
ーー飛ばされたその先には、新田ともう一人の敵の魔法が飛び交っているのだから。
「胡桃沢さんの言う通り......どんなに強い武具特性も、欠点になる可能性があったっス......ね」
盾の武具特性は『攻撃に全て対応する』だ。
正面と背後、双方からの魔法が吸い込まれるように盾に向かう。
「センパイの......援助に行かなきゃ......あ、でも、なんか、フラつく......」
どちらか一方しか対応出来ず、高レベルの魔法に蹂躙される盾の男を視界に映し、有紗は疲労からその場に倒れ込んだ。