14話 『三つの戦場』
「なあ、オレらが来る必要あったんかこれ? なんかほぼほぼ騒ぎ鎮圧されてね」
茶色の顎髭を弄りながら辺りを見渡す気分屋。珍しく正式に本部から派遣命令が下された彼は、いつにもなく乗り気で現場に駆けつけたのだが、見渡せば焼け落ちた家が点在するだけで、敵襲は見られない。
「......妙ですね。仁さんからの話では、飯田市は松本市に次いで悲惨な状況ということでしたが......」
「気分乗らなくなったし帰っていい?」
「ダメです。本部へ連絡します」
ちぇっ、と不満げに頬を膨らます四十二歳を尻目に、テキパキとスマホを使って本部へ連絡を入れるのは気分屋の専属護衛ーー閑谷 芽衣だ。
黒髪を基盤とし、所々に施された赤のメッシュが彼女の整った顔立ちに個性を授ける。
服装はグレーのニットに緑のスカート。彼女の大人びた雰囲気を更に増幅させる組み合わせ。
どうやら目が良くないらしいが、戦闘中以外は基本裸眼で過ごしている。眼鏡は似合わないし、コンタクトは怖い、だそう。
「......はい。騒ぎの形跡はあるんですけど平和で......はい。了解しました。また何かあれば連絡します。失礼します」
「なんだって?」
「とりあえず今は飯田市から離れて、松本市の援助に向かえ、とのことです」
「松本って......新田のいるとこじゃねえか。大丈夫なのかそれ」
訝しげに見つめてくる気分屋に、芽衣はやれやれと嘆息する。
「お二人は勿論守られる立場にありますが、ライズワールドにおける実力はかなり上です。特に気分屋さんは最強と名高いでしょう。実際問題、嘘の無効化をしてくる赤の少女以外に負ける相手がいるとお思いですか?」
「いや? 赤の少女とやらにも負ける気しねえけど」
「じゃあ新田さんと同じとこいても何にも問題無いじゃないですか......。ーー来ますよ」
いつも通り芽衣が呆れて会話が終わると思いきや、いつの間にか眼鏡をかけていた彼女の締めの言葉は警告。
気分屋は何も感知出来ていないが、芽衣の警告と視線を信頼し、手にした剣を振り向き様に振り下ろす。
タイミングは合致。甲高い金属音と共に、何者かの武具と気分屋の剣が、激しい火花を散らす。
「......私のこと、よく探知出来たわね。それに、その剣は何なのかしら。気分屋は道具系だと聞いていたのだけれど」
「優秀な部下がいるもんでな」
「私は優秀ですが、部下のつもりはないです」
敵からの賛美と、気分屋からの賛美。それらに芽衣は辛口で対応しーー飯田市での戦いの火蓋が切って落とされた。
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飯田市に鋭い金切音が響いた、同刻。
松本市の明神岳ーー標高約三千メートルの山に、本部からの司令を受けて降り立った女性がいた。
「ふー。ヘリの道具系って便利なモンね。私はこんなちっぽけな傘しか使えないっていうのに」
腰まで伸びた麗しい銀髪を揺らしながら、彼女の送迎を終えて東京に蜻蛉返りするヘリコプターを見てそう溢す。
「しかし絶景ね。日が落ちてきてちょっと暗いのが勿体無いけど。今度昼間に観光にでも行こうかしら。......あそこの砲台が有紗ちゃんの言ってたやつかな」
有紗からの連絡で明神岳に降り立った胡桃沢は、まず標的を探す。敵が恐らく大砲を扱う天使だという情報は入っているので、砲台の周辺を探せば標的はすぐに見つかるだろう。
「まあ......この辺に突っ立ってればあっちの方から狙撃してくるか。待ってまーす」
欠伸をしながら適当な方向に手を振り、何処かに身を潜めているであろう狙撃手を煽る。相手の場所さえ掴めば胡桃沢は負けない自信があるので、ならば下手に動いて罠にハマるより、相手の動向を伺った方が賢明だと判断したのだ。
「......来ないな。もしかして新田くんの反撃で死んじゃったんじゃないの?」
わざわざ現地に赴くまでもなかったか、と嘆息する胡桃沢の足元に、拳ほどの小さな物体が転がってきた。目を見張り、この物体が何なのかを考える。
それが手榴弾だと気付いたのは僅か一秒後。しかし、予想外の攻撃に、胡桃沢は判断が遅れーー。
尋常じゃないほどの爆発音が、松本市全体を揺るがした。
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先程狙撃された方角から、またしても爆発音が轟く。音は新田が嘘で撃ち返した大砲より大きく、明神岳に派遣されたであろう胡桃沢の安否が気になる。
「おいおいよそ見してる場合かよぼっちゃん。テメエが死んだら世界は終わるんだぜ?」
しかし胡桃沢の応援に行けない理由は、肩に生えた両翼を大きく広げた、炎魔法を新田に撃ち込み続ける男にある。
緑色の短い髪に、煉瓦色の肌。
浮かべる下卑た笑みは、アストレアの子と対峙したことによる悦びから湧き出るものか。
炎魔法。恐らくこの男が長野全体に一斉放火をした犯人だろう。
魔法系の特性は、属性を決めるものである。
『絶対に当たる魔法』のように、魔法自体に特性が付与されるのではなく、特性として、得意な魔法が一つ選出される仕組みなのだ。それを魔法特性と呼ぶ。
新田の魔法特性は風。炎との相性は最悪だ。風は火の威力をより強めてしまう。
従って、新田はこちらへ向かってくる火の玉の向きをなんとか上に逸らし、攻撃を喰らわないように努めているのであった。
魔法を使用する際には詠唱が必要だ。ただし、その詠唱をスキップする方法が一つだけ存在する。それは魔法陣の展開である。
自身の作成した魔法陣の上に立っている間、詠唱の省略、火力の増幅、敵からの魔法耐性の増強、属性混合魔法を使用出来るようになるといった様々なバフ効果が得られる。ただ、新田にとって魔法陣が厄介な理由はそれだけではない。
魔法陣は、嘘の能力を無効化する効果があるのだ。
そもそも人々に付与される特性は、嘘の能力の延長戦上であるはずだ。武具系も魔法系も道具系も、『本来ないはずのものを現実に顕現させている』のだから。それに加え、特性を付与したのは恐らく嘘の神ヘルメス。嘘の能力を改良して人々に与えた、と考えるのが自然。
そうなった時、魔法陣の効果『敵からの魔法耐性の増強』が適用され、嘘の能力も魔法能力の類いだと判断されることにより、結果的に嘘の無効化が行われる。これは魔法系である仁との検証で判明した事実だ。
「仁さんには感謝しなきゃね......危うくやられる所だった。それにしても......」
魔法陣は術者の力量が高ければ高いほど広範囲、尚且つ瞬時に展開することが出来る。魔法に長けた新田は五秒で半径一メートル。
ーー目の前の男は、三秒で半径二メートルの魔法陣を作りだした。只者ではない。
敵の気配を察知し、事前に魔法陣を展開していたために辛うじて対応は出来ているが、そうでなかったら間違いなく新田は魔法の連撃を叩き込まれて負けていただろう。
「何者なんだ......?」
「テメエに教えたところでテメエのが先にジリ貧で死ぬだけだろうがよ。俺の方がつええんだから。つーかそもそもなんだその貧相な魔法陣。アストレアの子だからと言って特別に魔法能力が優れてる訳でもねえんだな。それに顔立ちは良いから嫁にしてやろうかと思えば、声変わりしたての高校生みてえな声質してやがる。テメエは人をおちょくるのが好きそうだ。ムカつくぜ。まあ何はともあれ魔法は集中力が命だ。無駄話はしねえぜ」
「......めっちゃ喋るじゃん」
少々思考に難がありそうだが、この男の実力は術師の中ではトップレベルだ。ライズワールド界最強の魔法使い、仁 新に引けを取らないレベルである。
エネルギー消耗や、集中力の側面から、前方で有紗と交戦中のもう一人の敵にすら嘘を言うことが出来ないというのに、男は無駄口を叩きながら魔法に全集中をこめた新田と対等、いやそれ以上の力を発揮している。
魔法だけで戦った場合、新田に勝ち目はない。
苛立ちを新田にぶつける男の背後で、もう一人の敵と戦う有紗の決着を待つことしか、今の新田には出来そうになかった。