12話 『過去と未来へ』
「初っ端からこんな事言うのは気分が乗らねえんだけどよ......その、悪かったな」
こう切り出したのは、もう一人のアストレアの子ーー気分屋だ。彼は、茶色の顎髭に触れつつ、その視線を眼下のテーブルに落としている。
薄暗い部屋にて二人が細長いテーブルを挟んで対面する。今は昼間なので、黒いカーテンの隙間から少量の陽の光が入りはするが、ほとんどの光明は天井に吊るされたランタンと机に並べられた蝋燭で為されている。
「......二年前のこと?」
謝罪から切り出された話題に、新田は訝しげに眉を寄せる。
「ああ。ーーオレがあの現場に居合わせていたら、何か変わってたんじゃねえかなって」
首筋を掻きながらそう言う気分屋の視線は天井に向いている。
「申し訳ないと、思ってるの?」
「オレなら例の赤の少女にも勝てたはずだ。だから、後悔している。申し訳ないとも、思っている」
「でも、気分屋だってニュートラルビルに行こうとしてたんだよね?」
「そりゃそうだ。だがオレはあの日気分で長崎に行っていた。オレの嘘は自他ともに通用するが......エネルギー量が極端に少ない。ニュートラルビルまで瞬間移動なんて出来なかった」
「じゃあ何を謝る必要があるの。それも含めて不慮の事故だったんだと思うよ。そもそもニュートラルビルに襲撃が来るだなんて誰も思っていなかったんだし」
両者に流れる沈黙。
気分屋が言いたいことも理解出来る。気分屋は嘘の能力に頼らずともライズワールドの中では屈指の実力者だ。赤の少女は言わば嘘の能力キラーというだけ。両者が一対一で戦えば、勝利するのは気分屋であるはず。気分屋があの場に居れば幸耀は死ななかったのではないか。その世界線を考えたことは何度もあった。
しかし、仮に気分屋が現場にいたとしても、防御力の高い幸耀が偵察に出されていたため、いずれにせよ幸耀の死は免れなかったのではないかと思う。幸耀の死因は言わば初見殺しだ。突然の嘘の無効化に対応出来ないのは仕方のないことだと思う。
だが、新田が気分屋を責めない理由は諦観心からくるものだけではない。
ーー新田は寧ろ感謝しているのだ。
神々に対する復讐心を、憎悪を。今でも心の奥底で煮えたぎる黒い感情を。
あの少女が駆り立ててくれたことに。
そんな私欲的な感情、幸耀には勿論、気分屋にも到底伝えられないが。
「そうか。......やっぱお前、変わったな」
この日初めて煙草を吸った気分屋の表情は、煙に覆われて見えなかった。
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「それにしても、よく二年ぶりに会おうと思ったね」
「......オレも嫌だったんだよ。気まずいし。でも芽衣が何度も説得してきてな」
「芽衣......気分屋の専属護衛の子だね。あの子しっかりしてるもんね」
「あの子とか言ってるけどお前より年上だぞ」
「ぼく、じゅうななさい。芽衣ちゃんは?」
「二十六」
「エベレストすら余裕で飛び越えれそうなくらい予想外した」
ホットコーヒーを啜りながらの雑談。窓から吹き抜ける春風が心地良い。談合室の雰囲気こそ暗いが、新田の心情はぬるい温もりを感じていた。
「そっちの専属護衛の子は......なんつったっけ」
「有紗だね」
「呼びましたかー!?」
バン、と大きな音を立てて談合室に入室する女性の気配。気分屋は腕を頭の後ろで組みつつも目を丸くしている。対して、新田はいつも通りの慣れた光景に嘆息する。
「......よんでない」
新田が呆れたように目を細めて視線を向けた先には、彼の専属護衛ーー小野寺 有紗が満面の笑みを浮かべて立っていた。
服装は黄色と黒を織り交ぜたジャージ。ラフな格好にピッタリな立ち振る舞い。
ショートカットの黒髪は風にふわりと浮かび、額の汗を手の甲で拭って白い歯を見せる様子は、さながら部活終わりの女子中学生。年齢的には新田のニ個下なので、あながち間違いではないのだが。
「なんすかなんすか態度悪いっスね! ......あ、お客様がいらっしゃったんですか。これは失礼。あたし、小野寺 有紗って言います! よろしくっス!」
「お、おう。よろしくな。オレは名は名乗ってない。気分屋とでも呼んでくれ」
「微分屋さんですね、承知しました!」
「オレは数学出来ねえよ......ってもう居ねえし」
嵐のような少女。このフレーズが有紗を形容する際に最も似つかしいだろう。
危なっかしい印象を受けるが、彼女はやる時はやる人である。それは、二年間の付き合いで分かっているころだ。十分、信用を置ける人物である。
「多分、気分屋とは相性いいんじゃない? 有紗も気分で色々決めるとこあるし」
「オレはああいうんじゃなくて、緩く気分屋なの。似ているようで相反する存在だぜ、アレは」
「......やっぱり気分屋のことはよくわからないや」
謎の対抗意識により両者に歪みが生じる。恐らく、有紗はそんな歪みなど余裕で飛び越えて寄り添ってしまうのだろうが。
「まあ、バランスは良いかもな。お前自身は堅実なタイプで、専属護衛は天真爛漫。オレ自身は適当なタイプで、専属護衛は厳しめなタイプ」
「確かに。仁さんそこまで考えているのかなあ」
仁は普段少々抜けた印象のある人物だが、あれでいて他人のことをよく見ている。だからこそ各々に適切な役割を与えられるし、慕われる。
「そんじゃま、専属護衛様との挨拶も済んだし、オレはそろそろ上がらせてもらうわ」
「うん、今日はありがとね。......この後は何処行くの?」
「んー、胡桃沢のとこにでも遊びに行くとするかな。あの人ダーツ上手いんよ」
「また芽衣ちゃ......芽衣さんに怒られるよ。ほどほどにね」
「はは、オレもその辺は上手くやるつもりだ。......死ぬなよ」
「そっちこそ」
定型文的な会話で談合の締めに入る。ふと伝えたい事を思い出して気分屋に顔を向けたが、もう既に気分屋は嘘で瞬間移動をしていた。
この会話の僅か三日後に、またしても顔を合わせることになるとは、両者とも想像すらしていなかった。