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万年筆と宝石  作者: 安井優
六つ目の扉 出版社
92/139

6-14 伝言

 コッツウォールには図書館もなく、たった一軒の本屋でさえも、言論統制によってその棚をほとんど持て余していた。

 ロンドでは、何かしらの本が並べられていたから、ここまで露骨な状態を見るのは、マークも初めてだ。


 奥から出てきた本屋の主人もまた、宿屋の主人やチョコレート屋の女性、そして、テニスンと知り合いらしい。マークとユノを見止めると気さくな笑みを浮かべる。

「やぁ、いらっしゃい」

 何もないところだけど、とチャーミングに肩をすくめる。


「印刷が終わるまで、休みをもらったんだろう? 発売されたら、うちにも置いてくれよ」

 昨日の今日で、一体いつ、だれから聞いたというのだろう。ここまで情報の回りが早いと、さすがにマークとユノも驚くしかない。

 いくら昼を回ってからのこととはいえ、半日ほどしかたっていないのだから。


「あぁ! そうだ! サインをもらってもいいかな」

 チョコレート屋の女性から聞いたのだろうか。差し出されたのは長方形の紙とペン。栞のように見えるのは、本屋ならではか。

 マークがためらいがちにペンを走らせれば、本屋の主人は目を輝かせた。


 書いている物語が、魔女と人とのものだとしても、この主人は同じように目を輝かせてくれるだろうか。

 マークは悲しいかな、万に一つもそれはあり得ないだろうと嘆息(たんそく)し、本来聞きたかったことだけを口にする。

「あの、実は調べものをしておりまして」


 コッツウォールの歴史を、と口にすれば、主人は快くその棚へと案内してくれた。最も、案内されるほどの書籍量ではなく、それはマークにも、ユノにもすぐに見つけられるものであったが。


 目の前に並んだコッツウォールの歴史書は、どれも比較的最近のものばかり。歴史というよりも、観光名所を書き記した、個人的な趣味の雑誌という方が近かった。

「これより前のものはありますか」

 そうマークが尋ねただけなのに、主人は顔を曇らせて首を横に振った。声に出すのも恐ろしい、という風に。


 ブラックカース、と口にしなかったのはマークなりに色々と考えた結果だが、それはやはり正解だったかもしれない。

 どうやら、魔女裁判のきっかけとなった流行り病も、言論統制の対象らしい。これでは、学校へ通って歴史の授業を受けていた人も知っているか怪しいものだ。


「では、医学書は」

 マークの言葉に、主人はますます怪しげな視線をマークへ送る。

「あるにはあるが……お前さん、一体何を調べとるんだね」

 主人の声色は、初めて聞いた穏やかなものからは程遠い。


 おそらく、主人の脳裏にもマークが知りたいことについては浮かんでいるのだろう。だが、その病が引き起こされた原因は、この町にいた魔女だと考えているに違いない。それを騒ぎ立てられでもして、再び町ごと葬り去られてはたまらない、そんなところか。


 もちろん、この状況は、マークにとっても芳しくない。町の人々の噂は早く、あいつは危険な人物だ、と誰かひとりにでも思われてしまえば、マークも、最悪の場合はユノも、そうして司法裁判官に通報されてしまう危険性もある。


 だが、ここで引くわけにもいかなかった。いずれ――本が出来た(あかつき)には、全てわかってしまうことだ。

 マークの覚悟は当の昔に決まっている。

「この町の、真実を知りたいのです」


 主人は目を見開き、やがて、その言葉の意味するところを知ったのか、あたりを伺うように見渡した。少し迷った後、

「こっちへ来なさい」

 声を潜めて二人を奥へと招く。

 二人は主人に導かれるまま、その場所へと足を踏み入れた。



・・・・ ・・ -・・ -・・ ・ -・  ・・ -



 本屋の奥へ入ると、主人は空の本棚に手をついた。マークはその動作に見覚えがあり、

「まさか」

 と思わず声を上げる。ユノもまた、大聖堂の告解室を思い出す。

 主人は、そんな二人を不思議そうに見つめた後、「他言無用で頼むよ」と本棚を横へとスライドさせた。


「これは……」

 隠し扉。告解室で見たものと同じ造りのそれは、古典的でシンプルながら、見つかることのない秘密。

「この国の建物には、ある時期を境にこういうものが大抵つけられてるもんさ。宿屋にも、あるんじゃないだろうかね」


 ある時期がいつを指すのか、答えは明白だった。国から、秘密を守るために取り付けられたものは、まことしやかに国中へと広がったのだろう。物言わぬ宝を、目の届くところへしまっておきたいという要望は、皆等しく抱えている。


 扉の先には、小さな部屋。三人が入るといっぱいになってしまうほどの空間に、これでもかという蔵書が詰め込まれていた。空になっていた表の棚以上に、その数は多そうだ。

「こんなに!」

 マークはもちろん、元々本好きなユノも思わず声を上げてしまうほどの貯蔵ぶり。


「言論統制がしかれた時、うちの親父がここへ全部隠したのさ。この町は、過去にも色々とあったから」

 主人は懐かしそうに目を細めて、その本一冊一冊を愛おしそうに撫でていく。


「両親は、流行り病の生き残りでね。若くして、多くの友人を失った」

 ポツリとこぼされたその歴史は、この町の真実、そのうちの一つだった。

「失った友人のうち、一人、特別な者がいた。口には、出せないが……そう、その人は特別な人だった」


 マークとユノに、椅子がなくてすまないね、と断りを入れて、主人は話を続ける。

「その人は、流行り病の原因として処罰された。あの流行り病の中、病ではなく、死刑を言い渡されて死んだのさ。両親は、友人を弔うことも許されなかった」

 主人の語り口は、その人が病の原因ではないと知っているようだった。


「どうして、何も言わなかったんですか」

 ユノの声は震えていて、怒りを抑えているようにも、悲しみをこらえているようにも聞こえた。

 主人は、ユノがその質問をぶつけたようにいささか驚いたようだったが、ユノの表情を見るなり、申し訳なさそうな顔をした。


「それどころじゃなかった、と両親は言っていたよ。流行り病は深刻だった。たった一人の死罪を取り消しにすることよりも、他にやるべきことが多くあった」

「たった一人の死罪って……」

「病で、大勢がなくなってるんだ。優劣などないさ、死は平等だ」


 そうしているうちに、死罪は決行され、王や貴族によって見せしめのように利用されることとなる。その者が死罪となった後、図ったように病が収束したのもよくなかった。国民たちの中に、「魔女の呪い」という言葉を信じる者が出ても仕方がない。

 最終的には、魔女裁判を止めることすら出来なかった。


「実際は、瘴気(しょうき)や呪いなんかの類でないことは、わかってるんだ。だが、それを書いた海外の医学書は、先の言論統制でほとんど焚書(ふんしょ)となった」

 ここにあるのは、そこから逃れた唯一のもの。命がけで、本屋の主人が守ってきたものだ。


 コッツウォールは、今でこそロンドの片田舎だが、王族や貴族からすれば()まわしき土地。いまだに年に一度の検閲が入り、この場所のことがばれたら町の人々全員が危険だ、と主人は続ける。

「だからこそ、我々は伝言するんだ。言葉なら、形に残ることはない」


 噂話がどうしてこれほどまでに早く伝搬するのか。その訳を知って、マークはようやく強張っていた体をほぐす。噂話こそ、外界から自分たちを守るための武器だったのだ。

「ようやく、理解しました……」

 ユノも、それ以上は何も言わずに目を伏せた。


「ま、最近ここへ越してきた人なんかは知らないことだからね。話の内容によっては、相手を選んだほうがいい。今回は、君たちの運が良かった」

 主人は肩をすくめると、念を押すように二人を見つめる。

「とにかく、あまり長居はしないことさ。この町は、君たちが思っている以上に色々と複雑なんだ」


 話を終えた主人に「あの」とマークが声をかける。まだ、聞けていない質問があった。先ほどは聞けなかったけれど、今なら聞くことのできる質問が。


「僕の本は、特別な本です。それでも、完成したら置いてもらえますか」


 特別な本。それだけで、主人には伝わったらしかった。

「まったく、お前さんも見かけによらずすごいことをするもんだ。テニスンが認めただけのことはあるね」

 ほっほと朗らかに笑う声は、肯定の意を示しているらしかった。


「サイン付きで頼むよ。その方が、よく売れる」

 チャーミングなウィンクに、マークもつられて笑みを浮かべた。

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[良い点] 92/92 ・登場人物がみんなすごい。生命力に溢れてます [気になる点] 海外の医学者モッタイナイ [一言] 怖い顔からの隠し扉の流れ好き
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