6-8 共に苦悩を抱えて
本を作ると決めてからのテニスンの仕事は早かった。日ごろ、新聞社で社長の働きぶりを目にしているマークにとっても、それは異様なほどに。
ユノが時間をかけて行った推敲を、あっという間にこなしていく。ユノが読み飛ばしてしまったスペルミスを何度も見つけては、二人に「甘い」と小言を漏らす。
それだけでなく、言い回しについても彼は驚くほど詩的だった。
ユノには出来ない芸当であることは間違いないが、作家を志しているマーク以上に美しい言葉を紡ぐこともあった。
作家の物語に、編集者が口を出し過ぎるのもいかがなものか、とテニスンは独り言をブツブツと繰り返すが、マークとユノが自身の言葉に瞳を輝かせる様は悪くないと感じているようだった。
ユノが「休憩を」とお茶を入れてくれる時には、時折、詩を披露してくれたりもした。
マークは、最後の物語に取り掛かっていて、テニスンは次から次へと推敲をしていく。
そんな中、ユノに与えられた仕事は、本に収録する物語の順番を決めることと、表紙の案を考えることだった。
ユノは一人、真っ白な紙の前で唸る。
「何も、思い浮かびません……」
いくらユノが景色を自在に変化させる魔女だとしても、想像力や絵心とは別物だ。
だが、人手が足りないのも事実。ユノにお茶くみをさせるだけではもったいない。今度いつ、司法裁判官が再び動き出すとも限らないのだから。
ユノは、マークの――作家の気持ちが、ほんの少しだけ分かるような気がした。互いに向かい合っている紙の種類は違えど、白紙を染め上げるという意味では同じだ。
ゼロから始めて、百にも、二百にもする途方もない作業は、まだ見ぬ夢を追いかけて冒険をするような、期待と不安が常に付きまとう。
物語に登場するモチーフをちりばめようか、と最初は思ったが、それはあまりにも安易だったし……本の雰囲気にも似合わないような気がした。
モチーフが多くなれば、必然的に表紙も雑多で騒がしい様子になるだろう。けれど、マークの物語はもっと繊細で、美しい。常に寄り添ってくれるような優しさがある。
ユノが原稿用紙を書き写すほどに大切に、宝物のように扱っている物語。
どんな表紙ならば、それを表せるというのだろうか。
「うぅ……」
苦悩を漏らせば、推敲作業をしていたテニスンが鋭い眼光をユノに向けた。
「まだ白紙じゃないか」
白紙なのに何を悩んでいるのか、とテニスンは呆れ顔を見せる。
「何でもいいから手を動かしなさい。頭の中で考えてばかりいても、意味がない。どれほど醜くとも、形のないものより、形になっているものの方が数倍優れている」
テニスンの言うことは最もで、ユノも「すみません」と頭を下げるばかり。
とはいえ、やはり荷が重い。
ユノはせめて、と思いついた案を文字で書き出していく。文字として並んだアイデアはどれも凡庸なものに思えたが、自らの思考を整理するには幾分か役立った。
しかし、それも最初のうちだけで、数時間もすればやはり行き詰まってしまった。
ユノは、休憩にしましょう、と二人に声をかける。一生懸命にやっているつもりだが、やはり二人にはかなわない。共に苦悩を抱えているはずなのに。それが悔しかった。
すっかり出版社でのお茶くみにも慣れてしまった、とユノはお湯を沸かす。ティーカップと茶葉を出すのはマークの仕事だ。テニスンは年のせいか、仕事以外の時はほとんどうたたねをしているような状況で、今までどのように生活してきたのだろう、と二人を不安にさせた。
「ユノさんはどうですか?」
マークの素朴な笑みが、ユノにとっては最近の癒し。時には頼りになるのに、常時はほんわかとした雰囲気を纏う彼が、見知らぬ土地で心を支えてくれる。
「良い案が浮かばなくて」
ユノが申し訳なさそうに苦笑すれば、マークもうんうんとうなずいた。
マークもマークで、ここに来てからテニスンの厳しい指導と素晴らしい言葉の数々に触れて、刺激を受けたのか、文章の表現や構成にも気を配っている。
最後の物語は自らの過去をなぞった話だからこそ、なおさら気合が入る。
「派手すぎるのは似合いませんし……地味すぎても手にとってもらえませんし」
言論統制がすっかり板についたイングレスの本屋では、とにかく目立たないように、とどれもこれも地味な装丁ばかりだ。
無地の単色に、せいぜい金か銀の箔押しでタイトル書くだけ。それが主流。
多くの人に読んでもらうはずの本が、どうして影に隠れるような装丁なのか。
今まで疑問にすら思ってこなかったが、ユノも自ら表紙を考えることとなり、不思議でしょうがない。
それもこれも、言論統制のせいだというのだろうか。
だが、派手にすれば良いというものでもない。マークの物語の内容は、明らかに言論統制に引っかかるものであり――司法裁判官にばれてしまえば一巻の終わり。
手に取ってもらうために、多少なりとも目につくような美しい装丁にしたいが、惹きつけすぎてもいけない。
そんな表紙が本当に作れるのか、ユノは甚だ疑問だった。
「出来ることをやるしかありませんね」
お湯の沸いた音に、ユノも現実へと引き戻されてかぶりを振る。強がり、というよりは、本当に、そうするしかない、という状況だった。
マークは、そんなユノの姿にチクリと胸が痛む。
「すみません。僕のせいで、ユノさんに負担をかけてしまって」
自分の本だというのに、一人では満足に物語を書くことすら出来ていない。テニスンにも迷惑をかけているが……ユノにはそれ以上だ。
専門外の仕事、慣れない土地、息を潜めて生きる日々。
それでも、一生懸命に前向きに取り組む彼女に、どれほど助けられているだろう。
本を作ったくらいで、恩返しになどなるはずがないとマークは目を伏せる。
だが、ユノはやはり陽だまりのような笑みで「いいえ」と呟いた。
お湯を丁寧にカップへと注いでいく姿が様になっているその少女は、茶葉からにじむ橙を見つめて、柔らかな表情を浮かべる。
「確かに、大変なことはたくさんありますが……大好きなお話と、大好きな魔女と、そして、この国でみんなと生きていけるなら、なんだって頑張れます」
人数分の紅茶を入れ終わったユノが、瞳にいくつもの星を浮かべて笑う。
「マークさんなら、こういう気持ちに、なんと名前をつけますか?」
それは、なんとも魅力的な質問で――マークの胸はドキリと高鳴った。
・-・ ・ ・・・ -
紅茶を飲み終えて、テニスンが複雑な表情を見せた。
「……今日は、ここまでにしよう」
「「え?」」
マークとユノの声が重なる。
それもそのはず。テニスンは、集中していると声も届かないほど仕事熱心な人間で、彼から休憩を申し出たことは今まで一度たりともなかったのだ。
だからこそ、二人は顔を見合わせた後、ゆっくりとテニスンの方へと向き直って、やはり信じられないと、数度まばたきを繰り返した。
テニスンはぶっきらぼうに
「ここまでだ」
ともう一度口を開く。しわがれた低い声は、頑として譲るつもりもなさそうだ。
「どこか具合でも?」
ユノがやんわりと尋ねると、テニスンは「いや」と小さく首を振り、ユノとマークを交互に見比べた。
「気分転換が必要だろう。ずっと閉じこもっていたんじゃ、書けるもんも書けなくなる」
気分転換。
テニスンの口からついて出たその言葉の真意を、二人は分かっていた。分かっていたが、やはりテニスンの仕事ぶりとは結びつかず、どうしたって呆けた顔になる。
「困ることでもあるのか」
テニスンは、まさか自らの態度が原因だとは思ってもみないようで、眉をしかめる。
「い、いえ! そういうわけでは。ですが……」
マークが否定すると、テニスンは「なら、ここまでだ」ときっぱり言い切った。
「ほら、今日はもう帰れ」
半ば強引に二人を出版社から追い払うと
「うまいチョコレート屋がある。明日は、そこのチョコレートを持ってきてくれ」
テニスンはそう言い残して、さっさと扉を閉めてしまった。
二人が挨拶をする間もなく、内側からガチャンと鍵を閉めた音が響く。
まだ日の高いコッツウォールの町に放り出された二人は、困ったように顔を見合わせた。