6-2 互いに支えあう関係
「ようやく、説得することが出来たよ」
社長の口から告げられた知らせ。
マークとユノは互いに顔を見合わせ、どちらからともなく、その瞳を見開いた。
二人とも、その予感は胸にあった――が、改めて社長の口から聞かされれば、驚き半分、喜び半分といったところだ。
「遅くなってしまってすまないね」
社長はメガネの奥の瞳に疲労をにじませながらも、そのまなじりに刻まれたしわは柔らかい。
「頑固な分、一度決めたことは必ずやり通してくれる人だ。力になってくれるよ」
二人が揃って安堵の笑みを見せたところで
「ただし」
と社長が苦い顔をした。
「一つ、条件があるんだそうだ。それを、君たちが飲んでくれるというのなら、引き受けてくれるらしい」
社長はブルーの瞳をゆっくりとユノの方へと向ける。どこからか、突如として押し寄せた緊張に、ユノは瞬間的に笑みを引っ込めた。
ごくん、とユノがつばを飲み込むと、社長が口を開く。
「魔法を、見せてほしいんだと」
渋々といった風に絞り出された言葉に、ユノは「へ」と気の抜けた声をこぼす。
「魔女を、信じていないんだそうだ。まぁ、無理もない話だが……。だから、魔法を見せてもらえれば、全てを信じると言われてしまってね」
社長はユノの方を見て
「頼めるだろうか」
と懇願するように眉を下げた。
魔女が、外を出歩くことがどれほど危険か、社長もそれを知らないほど魔女に疎くはない。むしろ、魔女であった祖母の話を、両親に嫌と言うほど聞かされてきただけに、ユノへ魔法を見せてほしいと頼むことはためらわれた。
だが、息子のように思っているマークが、魔女や、この国のために、一生懸命に書き綴った本を形にしてやりたいという思いを抱いていることも事実。
勝手に了承をするわけにもいかず、かと言って、そのままこの話をなかったことにするわけにもいかず。
向こうには、保留という形で待ってもらっている。
「本当に苦労をかけて」
申し訳ない、と社長が頭を下げようとする動作を
「それって、私が出版社にお邪魔出来るということでしょうか!」
子供がサンタへのプレゼントをねだるようなワクワクとした声が遮った。
社長がパッと顔を上げれば、マークの隣に座っていたユノが、前のめりにキラキラとした瞳を向けている。
まさか、危険を冒すように頼んでいたつもりが――おもちゃ屋か、洋服屋か、ケーキ屋か。そんなところへ行くような表情。
出版出来る見通しが立ったと言った数刻前よりも、彼女はどこか嬉しそうだ。
いや、ようやく、ユノにとってもマークの本が出版されるという夢が現実のことだと認識できたのか。
「そ、そういうことだが……本当に、良いのかい?」
「良いも何も、そんなことで良ければいくらでも出版社へ行って、魔法をお見せします!」
食い気味なユノの反応に、今度は社長が驚きに目を丸めた。
マークの役に立てるということも、ロンドの外へ出られるということもユノにとっては嬉しいことだ。
しばらくの間、魔女協会と新聞社を往復していたこともあって、ずいぶんと外へ出る恐怖も薄れた。ジュリの魔法のおかげで、周りの目を気にすることもない。
人への恐怖、死と隣合わせの外界。それを上回るほどの好奇心と喜びがユノを突き動かしていた。
何より……自分の魔法一つで、マークの本が出版されるのならば、それこそすべてを投げ出してでも、そこへ飛び込む覚悟はもう決めていた。
ユノの並々ならぬ情熱を感じ取ったのか、社長は「わかった」と笑う。
「それじゃぁ、そのように連絡しておくよ。きっと、すぐにコッツウォールへ来るように、と言われるはずだ。準備しておいてくれ」
今度は二人に社長が問いかけ、マークとユノは間髪開けずにうなずいた。
「マークさん!」
喜びに満ちたユノの瞳が、名前の奥に隠れた多くの感情を映し出して、マークは笑う。
「言った通りだったでしょう?」
給湯室で、行けるかもしれない、と言ったのは確信があったわけではないが。
いっときの緊張から解放されたユノが、嬉しそうにマンディアンへと手を伸ばす様子にマークはますます笑みを深め――それと同時に、強く決意する。
(何があっても、僕がユノさんを守ろう)
コッツウォールへの道のりは長い。到着してからも、しばらくはあの小さな田舎町で滞在することになるだろう。
小さな村は、ほんの些細な火種でも大きな火事になる。魔女という存在が受け入れられるかどうか定かでない以上、用心することに越したことはない。
そして、その時、彼女を守れるのは、マークただ一人なのだ。
軍人であるエリックのように戦うことも、聖職者であるトーマスのように皆を諭すことも出来ないが……精一杯、彼女を守るすべを考えることくらいなら出来る。
そのための、準備をすることだって。
よし、とマークが小さく拳を握ったところで、
「良い仲間が出来たな」
と社長の声がマークにかかった。マークが顔を上げると、社長はまるで父親のように穏やかな瞳でマークを見つめていた。
「少し心配だったんだ。マークは、いつも独りだったから。でも、いつの間にかたくさんの仲間が出来ていたんだな」
本当に、父親みたいなセリフで、マークは照れてしまう。
マークがもつ父親の記憶は十年ほど。二十五になった今では、社長との記憶の方が多いように思う。
もちろん、血が繋がっている父親と社長を同じ土俵に並べるわけではないが、それでも、社長のことを父親に重ねてしまうのも無理はない。
社長が少しだけ寂しそうに目を細めた。
「私がしてあげられることは、ほとんどなくなってしまったな」
その表情こそ笑ってはいるが、声色もいつもの堅さを失っている。
「本が出版される日を、楽しみにしているよ」
社長の言葉は、門出とも、祝福とも聞こえた。
マークと社長の間に流れる雰囲気を、ユノはほほえまし気に見つめる。
ユノもやはり、両親を早くに亡くしてしまい、家族と呼べるような存在は、魔女協会の魔女たちだけ。父親なんて、もってのほか。
互いに支えあう関係を少しだけ羨ましくも思う。
社長の思いも受け取って、ユノは心の内で誓う。
(社長さんの分まで、私がマークさんを助けよう)
社長の口ぶりから、きっとここに残るのだろう。新聞社の社長が長い間、会社を留守にするというのがそもそも珍しいことなのだ。
「私は、ここ数日の情勢を調べなくてはならないから、あとは二人で頑張るんだよ」
労われた言葉に、マークとユノはしっかりと首を縦に振る。
互いに、相手のために。その一心で。
「それにしても……」
社長はふぅと長いため息を吐き出して、ちらりと新聞の束に目をやった。
「一体、何があったのか。私にも教えてくれないかい。二人は、おそらく……当事者、あるいはそれに非常に近いだろう」
社長のブルーが鋭く光る。それは、いつもの新聞社の社長としての顔。厳格で、生真面目で、保守的で、この国の伝統と歴史にどこまでも忠実であろうとする姿だ。
社長の言う通り、二人は当事者でこそないものの、その全貌を知る唯一の人物と言っても過言ではなかった。
社長はメガネを外すと、指で眉間を抑える。疲れ目に効くらしいその動作が、社長の疲労を物語っている。
「コッツウォールに届くのは噂ばかりだ。テレビやラジオは、どれが正しいか分からない。もちろん、新聞も。一体、何が真実なのか、まったく見えてこない」
ここ数日のロンドで起きている騒動は、まぎれもなく国民たちを分裂させている。一転二転する状況と、噂ばかりが飛び交う。その中に、嘘もどれほど混ざっていることだろうか。
そして、その嘘を見抜くすべを持っている人々は今、この国にどれほどいるだろう。
「今、この国は、変わろうとしている。魔女裁判が始まったあの日のように」
社長のポツリと落とされた声が、やけに部屋いっぱいに広がった。
その変化は、果たして夜明けへの革命か。それとも――
マークとユノは顔を見合わせて、社長にここ何日かの出来事を、出来るだけ詳しく、そして、出来るだけ客観的に伝えることを決める。
それが、二人に出来る精一杯の恩返しだ。
本の出版の約束を取り付けてくれた社長への、等価交換。
この国に起きている真実が、彼の求めるものならば。




