2-3 等価交換
マークは、木箱を店内へおろして息を吐いた。
運動不足がたたっているのか、それとも、海に投げ出されてから体力が回復していないのか……。できれば後者であってほしいものだ、とマークは願ってしまう。
ユノはその木箱に触れると、魔法の呪文を呟いた。
「オープンセサミ」
どうやら扉以外にも有効らしい。
カチャン、と木箱に不釣り合いな音がしたかと思えば、ユノはその木箱を開ける。
「あら? ちょうどいいものが」
ユノは木箱の中にまるめられていた紙の束を取り出すと、マークの方へそれを開いて見せた。
「原稿用紙……」
マークは息を飲む。ユノから手渡されたその紙質は、原稿用紙の中でも上質なもの。いつもマークが使っていたものより、少しだけ厚く、万年筆のインクも滲みにくそうだ。
「どうして、こんなものが」
ユノに届いた一週間分の生活必需品が入っているという箱。
確かに、今までのマークにとっては、原稿用紙は生活必需品と言っても差し支えないが、ユノにとっては不要なもののはず。
現に、荷物を受け取った当人であるユノも不思議そうに首をかしげている。
「さぁ……こんなことは初めてです」
原稿用紙以外はとりわけ変わったものも入っていなかったのか、ユノはそのまま木箱からフルーツや野菜、肉、牛乳……その他もろもろの食材を取り出していく。
「原稿用紙以外は頼んだ通りの荷物ですね」
全ての荷物を出し終えて、ユノは少し思案した。
「私には必要のないものですし、良ければ使ってください」
「いいんですか?」
「はい。この木箱は、必需品を届けるもの。そこに入っていたということは、必要なものだ、と魔女協会の方が判断して送ってくださったものなんだと思います」
魔法の前では、変な理屈や遠慮は必要ない。
魔法とは、えてしてそういうものらしい。
マークも、ここしばらく何度も物語を書きたいと思い、そして諦めてきたせいか、今更この原稿用紙を手放すのは惜しかった。
「それじゃぁ……遠慮なく」
世話になってばかりだ、と頭を下げれば、
「お礼なら、魔女協会の方に」
とユノは苦笑した。
マークは、ユノから借りた万年筆とインク、それに魔女協会から送られてきた原稿用紙を胸に抱える。それらを抱きしめる腕には、思わず力が入った。
「一生大切にします」
物語を書き続けられる喜びが、マークの心のうちに自然と湧き上がる。それは、ここしばらく忘れていた感情であった。
そうだ、とマークは顔を上げる。
「あの……もしよかったら、なんですが」
ユノは食材を木箱に戻す手を止めて、声を発したマークの方へ視線を向けた。
「僕の物語を、受け取ってはもらえませんか」
マーク自身も、うぬぼれに近いような申し出であることは十分承知している。だが、今のマークがユノへ返せるものは、これ以外になかった。
「大した物語ではありませんが……僕の書いたもので良ければ、ユノさんにプレゼントしたいんです」
「いいんですか!?」
ユノの声色は、先ほどマークが原稿用紙を受け取った時のよう。
驚いたのはマークである。
まさか、そんなにも喜んでもらえるとは。
「いや、その……僕のお話なんかで良ければ、ですけど……」
「もちろんです!」
フルーツを両手に、ユノは食い気味でマークの方へつめ寄る。
「ずっと、ずっと大切にします!」
「自分なんかの話で」そうマークは謙遜したが、ユノにとっては喉から手が出るくらい欲していたものだ。
彼女が暮らしているのは孤島。当然娯楽は少なく、海を眺めて一日を過ごす日だってある。
読書とラジオが唯一の気晴らしだが、それも多くは言論統制がしかれており、似たようなつまらない……いや、退屈なものであった。
だが、目の前の青年、マークが書いた物語はどうだ。
島の砂浜に書かれたあの文字たちからは、色があふれ、見慣れた楽園をあっという間に素晴らしい景色に変えてしまった。
彼を助けたあの日から、ユノは、マークの物語に恋をしている。
マークは、といえば、初めてのファンに喜びを噛みしめていた。
それと同時に、心地の良いプレッシャーを感じる。
――今までのような物語ではなく、もっと素晴らしいものを書かなければ。
都合の良いことに、ここは孤島。息苦しいイングレスではなく、魔女が一人住んでいるだけの、いわば無法地帯。
捨てられる心配も、燃やされる心配もない。自由に物語を生み出せるのだ。
「僕! ユノさんのために、絶対面白いものを書いてみせます!」
気づけば、マークはそんなことを口走っていた。今までの彼なら、絶対に言えなかったセリフだろう。
ユノは、まるで花が開いたように美しく表情をほころばせた。
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ユノの代わりに木箱を持ち上げ、再び昇降機にのって二階へと上がる。その間にも、マークの頭の中では新たな物語が幕を開け、ユノの胸は期待で弾んでいた。
昇降機が二階へと到着したことを告げる振動と共に、ユノが口を開いた。
「マークさん、こういうのはどうでしょう?」
ひらりとローブをひるがえして、ユノは笑う。マークは冷蔵庫のそばに木箱を下ろし、そんな彼女を見上げた。
「等価交換にしませんか?」
「等価交換?」
マークがユノの言葉をそっくりそのまま返すと、ユノはうなずいた。
「本来、魔女同士のルールなんですが……」
魔女は、一人では生きられない。だからこそ、互いに手を取り合い、協力して生きている。だが、自らも苦しい立場でありながら、無償で他人に手を差し伸べられるほど、甘い世界でもない。
そこで、魔女たちは、あるルールを作った。
『等価交換』
いわば、物の売り買い、貸し借りの基本となるもの。
リンゴを一つ手に入れるのに、マークがイングレスで定められた金を支払うように、魔女たちは誰かの助けを得る時、自らも相手に敬意を払うのだという。
「等価交換には、品物のように決まった金額や物があるわけではありません」
マークが首を傾げれば、ユノは説明を続けた。
「魔法、物、お金、時間……お互いが納得すれば、なんだっていいんです」
つまるところ、マークから物語をもらう代わりに、何かお礼をしたい、というのがユノの言い分であった。
マークからすれば、自らの物語は、ユノに助けてもらったお礼のほんの一部にもならないのだが。
「マークさんを助けたのは、ただ本当にそうしたかったからです。強いて言うなら、砂浜に書かれたお話で十分でした」
「そういう訳には! 命と物語では、あまりに釣り合いません」
命に代えても物語を、というのは作家の中でも数少ない、変り者の作家だけだろう。
マークもここは引き下がるわけにはいかなかった。彼女には数えきれないほどの恩がある。ベッドを貸してくれたこと、朝食、原稿用紙……。
何よりも、物語を書く喜びを、ユノから与えてもらった。
「幸いなことに、僕は、物語ならいくらでも書くことが出来ます。紙がなくなっても、インクがなくなっても、万年筆が折れても……僕は、砂浜に物語を書きます」
マークは、はぁ、と息を切らして、それから頭を下げた。
「いくらでも、書きます。だから、一つといわずいくらでも……お礼をさせてはもらえませんか」
ユノは言葉を失った。
魔女を怖いと思う人間は山のようにいるが、ここまでして魔女にお礼をしたいという人間は、ユノの知る限りではいなかった。
ユノは深く息を吐く。
「分かりました」
ユノの言葉に、マークはようやく顔を上げた。瞬間、ユノは、しめたと言わんばかりに指を一つ立てる。
「こうしましょう。マークさんは、私に物語を。私は、マークさんに、扉を」
「扉って?」
「私の魔法、新しい世界のことです」
魔法と魔法の等価交換。
いや、世界と世界の、等価交換。
ユノの提示した条件にマークがゴクリとつばを飲み込むと、ユノはそれを承諾と取ったのか
「生活費のことは、魔女協会と相談しましょう」
と満面の笑みを浮かべた。