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万年筆と宝石  作者: 安井優
五つ目の扉 ブッシュ
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5-23 春の嵐

 ジェイムズ最高裁判官を解放せよ。そして、エリック中尉には此度(こたび)の件で謹慎処分を言い渡す。期間は一か月。異論は認めない。


 元帥(げんすい)からの言葉に、エリックは苦々しくうなだれ、ジェイムズは真面目な顔を崩さず立ち振る舞った。

 今この場において、相応(ふさわ)しい態度を示しているのはジェイムズだ。おそらく、こうしたところがこの男を最高裁判官たらしめているのだろう。


「エリック中尉、何か不満かね」

 元帥(げんすい)の静かな声に隠された数々の感情を読み取って、エリックは「いえ」と頭を下げる。

「ご迷惑をおかけし、大変申し訳、ありませんでした……」

 エリックが悔しそうに謝罪を述べれば、元帥(げんすい)は「よろしい」と一言答えただけだった。


 ジェイムズの言った通りだ。

 やはり、司法の裏に大きな力が働いている。瓦解(がかい)させることすら、いや、それ以上にその一端すら暴けないことに、エリックは(いきどお)りを感じた。


 元帥(げんすい)でさえ動かすのだから、軍に出資している貴族の誰かであることは間違いない。

 政治家、と言えばそれらしいが、要はほとんどが王族と貴族だ。この国の実権を握りながら、この国の情勢をいかようにもして楽しんでいる連中の誰か。


「ジェイムズ殿。多大なご迷惑をおかけして申し訳ない。ジェイムズ殿の評判はもとより、司法への不信感を高めてしまったことを謝罪する」

 元帥(げんすい)が非を()びれば、ジェイムズは小さく頭を振った。


「あの場にいたのですから、私が疑われるのは当然のこと。むしろエリック中尉は任務を全うしたまでです。疑わしきは罰せよというのが、この国の定めですから」

 組織は違えど、立場上は元帥(げんすい)の方が上だ。ジェイムズもそれをわきまえてか、それとも、面倒ごとを避けるためか、落ち着いた声色で正しさを述べた。


(まったく、ご立派なことだな)

 内心でジェイムズの言葉を借りて皮肉ったが、エリックの心が晴れやかになることはない。ただ、してやられた、とその悔しさばかりが募った。


 これで、司法裁判官を――それも、最高裁判官を合法的に(おとし)めることが出来たと考えていたのに、明日の新聞では軍がたたかれるのだろう。

 新聞社やラジオ、テレビだって客の取り合いだ。情報戦はどうしたって過激になっていく。


「では、ジェイムズ殿はこれで。エリック中尉はここに残るように」

 ジェイムズは、元帥(げんすい)の言葉に頭を下げると、しずしずと部屋を出ていく。後ろ姿だけを見れば、粛々(しゅくしゅく)としていて、今回のことは自分にも非があるとでもいうような雰囲気だが、その前面は果たして。


 バタン、と部屋の扉が閉められたことを聞き、元帥(げんすい)の声を待つ。エリックは、ただその間、豪華な絨毯(じゅうたん)の網目を見つめて、司法と魔女とのつながりに思いを巡らせた。

 ジュリのことを知っていて、かつ、ジュリの変化の魔法を見抜く。そんなことが、果たして司法裁判官たちだけの力で可能なのか。


「エリック」

 役職が外れ、ただの名前で呼ばれれば、エリックも驚きを隠せるはずがなく。目を大きく見開いて、元帥(げんすい)の方へと顔を上げる。もういい年だというのに屈強な体を持つ厳めしい男は、鋭い視線でエリックを貫いた。

「一体、何があったのか説明してくれ」


 報告書はすでに読んでいるはずである。だが、元帥(げんすい)はエリックを信頼して、酌量(しゃくりょう)の余地を与えよう、というのだ。

「は」と小さく敬礼を一つして、エリックはビシリと姿勢を正す。


「なぜ、魔女がブッシュにおったのだ」

「グローリア号事件の資料を、司法裁判官から拝借するためだと言っておりました」

「拝借?」

「はい。時間が経てば、返すつもりだった、と」


 魔女を罪に問うことは簡単だ。エリック自身もそうだが、ジェイムズに攻撃をけしかけたシエテや、ブッシュに火を放ったジュリを擁護することはもはや不可能だった。

 だが、元帥(げんすい)はそこには触れず、続きを、とエリックを(うなが)す。


「グローリア号事件の生き残りがおります。魔女はその人物を助けたいと思ったようです」

 ピクリと元帥の耳が動く。初耳だ、と言うように。


 軍の捜査もまだ道半ばだ。それも、途中で司法裁判官たちにかっさわられたのだから、難航しているに近い。

 一人や二人、生き残った人間がいても、そのことを軍が知るのはもっと先のことになるだろう。


 エリックがマークのことを知ったのは、本当に偶然だったのだ。

 軍に報告しなかったのは、どこから情報がもれるか分からなかったから。


 エリックの言い訳を、元帥(げんすい)は「もう良い」とたしなめる。

「その生き残りは、魔女か?」

 生き残った者が魔女だから、他の魔女がその存在を秘匿するために協力した――彼はそう考えたらしかった。


 だが、現実はそうではない。

「いえ」

 エリックがきっぱりと否定を口にすれば、いつもは無表情にも近い男の顔に、少しの驚きが見える。


「生き残ったものは、新聞社に勤める男です。今は、作家を志望しています」

「ずいぶんと詳しいな」

「少し、話をしましたので」

「作家を志望しているというのは?」

「本を、書きたいのだと。魔女を救うための」


 エリックが素直に告げれば、元帥(げんすい)はむっと黙り込んだ。あまりにも無謀なことだと思っているのだろう。エリックだって、マークを知らなければそう思っていただろう。あんなに頑固な人間だと知らなければ。


「なるほど。それで、魔女はその男を助けるために、ブッシュへ行き、資料を拝借したということだな」

「おっしゃる通りです」

 元帥(げんすい)は、ふむ、と息を吐き出した。


「どうしたものか……。これは、荒れるぞ」

 窓の外へ目をやれば、真っ暗な雲がロンドの街を覆っているのが見える。すぐそばにある海の上空も、やはりどす黒い雲がかかっている。

 嵐がきそうだ。


 司法をたたくか、軍をたたくか、はたまた魔女とその生き残りをたたくか。

 メディアは完全に分かれるだろう。他のものと差別化を図るためには、違う意見を前面に打ち出す必要がある。

 そうすれば、また世論も割れる。


 それこそが、魔女を守りたい軍や大聖堂の人間には都合が悪かった。

 貴族や王族も、大きな世間の声を無視することは出来ない。だが、世論が割れてしまえば、必然的にそれは小さな声になってしまう。上の人間は、都合の良いものだけを拾い上げていればいい。


「謹慎の間、司法の動きを探るように」

 謹慎とは言ったが、自宅待機とは命じていない。元帥(げんすい)はそんな風に口端を持ち上げた。

「おそらく、一か月の間、エリックがいないことであのジェイムズとかいう男も多少は油断するだろう。裏に、何がいるのかを暴きなさい」

「は!」


 エリックが大きく返事をすれば、元帥(げんすい)は再び深い息を吐く。

「大聖堂とも、ずいぶんと話が進むようになったというのに……」

 独り言か、愚痴か。エリックには耳の痛い話だ。その大聖堂の人間とも、先日接触したばかりで余計に。


「とにかく、後のことはこちらで処理する。司法の方を任せたぞ」

 次は失敗するなよ、と厳しい態度がすべてを語っている。エリックはひときわ丁寧に敬礼をして頭を下げると、(きびす)を返してジェイムズの後を追うように駆け出した。


「まったく。誰に似たんだか……」

 元帥(げんすい)は、エリックの後ろ姿を見送って呟く。

 昔、まだ自らも現場に出ていたころに失った部下。優秀なパイロットだった男もまた、魔女のことに首をつっこんで死んだ。


 終戦後、国が戦争を始めたきっかけに気づいたその部下は、自ら現地へと(おもむ)くことを志願した。

 隣国へ亡命した魔女を、王族や貴族よりも先に見つけ出して救うことが、彼の役割だった。


 だが、彼は、その魔女を守ったがゆえに死んだ。

 その後、魔女が一体どうなったのか。殺された部下がどうなったのかも知らない。

 ただ、断片的な情報が、まるではかったかのように自らの耳に届いたのである。


 大聖堂の人間にも、おそらく同じ噂が届いていたのだろう。

 今まで、同じ魔女を守るという立場でありながら、手を取り合おうとしなかったのは、そのためだ。


 元帥(げんすい)は、過去のことと、これからのことを思い、重苦しい息を吐き出す。

 司法の裏に何かがある。それさえ暴くことが出来れば、いくらか情勢も変わるはずだが。


 窓の外に雷光が走る。

 春の嵐と呼ぶには、まだ早い時期だというのに――


ここまでお手に取ってくださり、本当にありがとうございます。


魔女と司法裁判官、そして軍をめぐる波乱の第五章はここでおしまいとなります。

まだちょっと謎や嫌な予感が色々と残っておりますが……後々のお話でどう絡んでくるのかといったことも、想像しながら、楽しんでいただければと思います。

ほんの少しでも、皆様のお心に触れるものがあったらいいな、と思っております。


ぜひぜひこの後も、引き続き楽しんでいただけましたら幸いです*

本当にいつもありがとうございます~!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 78/78 ・天候が荒れまくってますね。いやん  最後おしゃれ [気になる点] 元帥さんが、じつはなかなか強そう。 [一言] 世論を意図的に割るのは、やはり悪ですね
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