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万年筆と宝石  作者: 安井優
五つ目の扉 ブッシュ

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5-18 キツネ狩り

 エリックが手伝ってくれたおかげもあって、想像していたよりも早く資料は回収出来た。後は、最後の資料を運べば終わり。エントランスホールを抜け、屋上へ上がれば、それですべて終わるのに――


 どうして、とジュリは歯噛(はが)みした。

 計画通りだった。いや、計画していた以上にうまく事が進んでいた。だというのに……。

 そういうときに限ってすり寄ってくるのが不幸というもの。


「逃げて!」

 ディーチェの金切り声を振り切れるわけもなく。

 ジュリとエリックは、ディーチェのこめかみに銃口を突きつけて笑う男――ジェイムズと対峙していた。


 ジュリは苦々しい顔でジェイムズを見つめる。こちらが後一瞬でも早ければ、銃を抜くことだって出来た。互いに、牽制しあうことだって。

 だが、今の状況ではあまりにも分が悪すぎる。

 これも、最新鋭の建物……もとい、『監視カメラ』のおかげだろうか。


「うまくやっていたつもりか? 新入り」


 地を()う声と、メガネの奥から(のぞ)狡猾(こうかつ)な瞳。ジュリの背中に駆け上がる悪寒。そのすべてが、ジュリに警鐘を鳴らす。それでもなおジュリは、恐ろしいほどに鋭く細められたその双眸(そうぼう)から、目を離すことは出来なかった。

「おぼっちゃまには、荷が重いと言ったはずだが」


 どうやらこの男……魔法についてか、それともジュリについてかは分からないがいくらか情報を持っているらしい。

(ほんと、どこまでも嫌な男)

 ジュリは心を落ち着けるために、内心でため息をつく。

 ひとまず、ディーチェだけでも救出しなければ。


 ジェイムズの銃口は、すぐにでもディーチェの命を奪える位置。まだハンマーはおりていない。撃つまでにツーアクションが必要だとわかってはいても、ジュリ達は動けない。

 ハンマーをおろし、引き金をひく。その行動に、どれほど時間がかかるというのか。


 ジュリは小指にはめていた指輪を強く握る。

『ブッシュにいるわ、緊急事態よ』

 自らテレパシーを使うなんていつぶりか。ジュリは、そのまま手を握ったり開いたりして、手の平ににじんだ嫌な汗を追い払った。


「お前たちの目的は何だ?」

 ジェイムズはまだ、ジュリの動きには気づいていない。もちろん、テレパシーを使っていることにも。

 それどころか、まだ目的にも気づけていないらしい。


「教えたら、その子を解放してくれるのかしら」

 ジュリが問えば、ディーチェが「ダメよ!」と叫んだ。自らの命が危ないというのに、他人の心配をするなんて。それとも、魔女が司法裁判官に屈してはならないという彼女のプライドがそうさせるのか。


 ジェイムズは、クツクツと笑みをかみ殺す。

「それではあまりにも味がない。野犬は、捕まえたキツネをみすみす放さないだろう?」

「野犬だなんて。あなたは立派な飼い犬でしょう」

 それも、王族や貴族に飼いならされた、血統書付きの。ジュリが(あお)るようにジェイムズを見れば、ふん、と鼻を鳴らす。


「だが」

 ジェイムズはフッと笑みを浮かべる。恐ろしいほど美しい、完璧な笑みを。

「交渉にはのってやろう。その軍人の命と、この魔女の命を交換する程度には、俺も慈悲を持ち合わせているつもりだが」


 瞬間。ジュリの表情に動揺が走ったのを、ジェイムズが見逃すはずもなく。

「魔女というのは、等価交換が好きなのだろう?」

 追い打ちをかけるように続いた言葉に、ジュリはますます顔を青ざめた。


(この男、どこまで知っている?)

 ジュリはごくりとつばを飲み込む。

「……あなた、何者?」


 ジュリの質問に、ジェイムズが答えることはなかった。

 エリックが一歩前へ出た音が響く。ジュリとジェイムズの間に割って入ったことで、その会話が中断されたのだ。


 ジュリが手を開閉させて伝えたモールス信号――エリックはその作戦を読み取ったらしい。一か八かの賭けだったが、ジュリはエリックの後ろ姿に安堵する。


「その子を放せ。等価交換なのだろう?」

「ふん、立派な心がけだな」

 ジェイムズの構えていた銃口が、素早くエリックの方へ向けられる。


「シエテ!」


 ジュリの叫び声とけたたましい銃声。ジュリの手から投げられた指輪が銃弾とぶつかる。計算されたかのような軌道で放たれたそれは、激しく火花を散らし金属音が粛然(しゅくぜん)としたブッシュ全体に共鳴する。奏でられた高音。ジェイムズの腕から逃れたディーチェが耳をふさぐのもわずか数秒のこと。


 硝煙(しょうえん)の香りから現れた濃紺の髪。夜が揺れたと思った時には、煌々(こうこう)と輝く白銀のナイフ。それがジェイムズの喉元をかすめ……かと思えば刃を追いかけるように容赦ない銃弾が駆け抜ける。ジェイムズはたちまちその身を後方へと逸らせた。


「くっ!」

「許しはしない。たとえ、法が貴様を許そうとも」

 シエテの両手に握られた二本のナイフは、先日司法裁判官を脅したものと同じ。だが、それを明確に誰かの命を奪うためにふるったのはこれが初めてだった。


 ジェイムズの(ふところ)へと身をかがめて迫る。ジェイムズも照準合わせは手慣れたものですぐにシエテの影を追う。シエテは自らに迫る銃口を咄嗟(とっさ)にナイフの腹で(さば)き、舌打ちを一つ。

 後ろからエリックの銃弾がシエテをサポートし、ジェイムズも防戦を強いられる。


 銃口払った軌道そのままジェイムズの心臓を切り裂くように振り下ろされたナイフ。

「やはりな」

 ジェイムズの肘がシエテの右手にぶつかった。

「っ!」


 シエテがしまったと思った瞬間には、右腕を掴まれて体が重力に引きずられる。ひねられた腕からナイフがそのままカツンと落ちて、シエテの体も床へと倒れこんだ。このままでは、とシエテが左手に握ったナイフを構えなおせば、ジェイムズの足元に再びエリックの銃弾が刺さり煙を上げた。


 ジュリは、そんな彼らの攻防の隙、足元に転がったリングを拾い上げると同時にディーチェの手を引いて背中側に彼女を押し込める。

「ジュリ……」

 震える声で名前を呼ばれ、ジュリは笑みを作った。


 ジュリは、ヒビの入ってしまった直径わずか数十ミリのそれを小指にはめなおす。

 いつかの彼がくれた、愛という名の形見。


「ディーチェちゃんは今のうちに外へ。もうすぐアリー達が来るわ」

 ディーチェはその言葉に、脱兎のごとくエントランスホールを飛び出した。


 ディーチェはディーチェなりに、最善を尽くしたいのだ。

 この場で何かあったら、真っ先に自分が狙われる。先ほどのように。こうなってしまったのも自分のせいであり、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。

 戦略的撤退。それもまた、魔女の生き方だとディーチェは唇をかみしめた。


「逃がすか!」

 激昂するような破裂音にディーチェはよろめきながらも進む。どう考えたってジェイムズが劣勢なのだ。弾丸が当たることはない。絶対に。

 ディーチェが今戦うべきものは、彼ではない。恐怖だ。それに打ち勝つだけ。


 ディーチェが息を切らして走る。その後ろでジュリの声が響いた。

「これが魔女の等価交換よ!」

 ジュリはコートの内側へ手を入れると、銃を取り出した。


 パァン! と乾いた銃声。エリックの銃弾がジェイムズの(ほお)をかすり、彼の口から(うめ)きが漏れる。ほんの一瞬の隙。シエテは握っていたナイフの柄でジェイムズの手首を真下へとたたく。突然のことに彼の手から銃が離れ――彼がそれを認知する前には、エリックの弾丸が彼の左足を打ち抜いた。


 シエテはナイフを高々と掲げる。

 振り下ろされた――その直後エントランスホールの天井からギヂギヂと金属をこすりあう音がなまめかしく響く。


 裁きの天秤。

 そのオブジェがエントランスホールの中央へと落ちていく様子が、四人の目にはスローモーションのように。


 ロンドの街に、時計塔の鐘が響く――


 シエテの手がそのドラマチックな音に止まり、代わりに

「ジェイムズ! 貴様を逮捕する!」

 エリックによって手錠をかけられたジェイムズの両腕が同時に音を立て、そして、全てが同時に音を失った。


 シエテはジェイムズの銃を拾い上げて、エリックに差し出す。

「銃刀法違反だ」

 イングレスでは、認められた者以外が銃を携帯することは立派な罪に問われる。それが司法裁判官だろうと、最高裁判官であろうと。


 ジュリはケラケラと笑った。

「それじゃぁ、ワタシも同罪ね。ま、生まれつき死罪を背負っているらしいから……今更いくつ罪が増えたって一緒かしら」

 コートの内側から、マッチ箱を一つ摘まみ上げる。


 エントランスホールに散らばった書類の紙に火を投げ入れると、ジュリの瞳と同じ、業火(ごうか)の色がまたたく間に広がった。


「キツネ狩りは、あなたでも荷が重かったようね」

 ジュリが恐ろしいほどに完璧な笑みを浮かべると、ジェイムズは(うら)めしそうにジュリをにらみつけ

「貴様を、必ず裁いてやる……! ジュリ・ルーパー」

 はっきりと彼女の名前を口にした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ディーチェちゃん連れて帰って幸せにしたい……。 [気になる点] 「許しはしない。例え、法が貴様を許そうとも」 だけ気になりました。 例え、はIFの意味合いのときにはあんまり感じにしないイメ…
[良い点] 73/73 ・おおう、あうあうあ。とりあえず勝負つきましたね。  前半の余計な描写を切ったのナイス [気になる点] 夜が揺れるの大好き。ヒュゥ! [一言] んで、裁判で許されそう。
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