5-7 それぞれの思いを抱えて
アリーとジュリは、再び鉄道に乗り込んで、ブッシュを目指す。
さすがに一日に何度も司法裁判官が鉄道へ乗り込むのは目立つだろう、と今度は出来る限り目立たない格好で。
思い立ったら即行動。シエテは、いつだってそうだ。おそらく生まれ持った力のせいで、他人より少々危険に疎いのだろう。昔からスラムのようなところで暮らしてきたせいかもしれない。
アリーは外を流れる景色を見つめながら、シエテの思考を読み取ろうと必死に魔法を発動させる。
だが、ほとんどの思考が読み取れない。
何かよほど集中しなければならないことがあるのか、それとも。
(何も考えられないほどに、追い詰められている……なんて状況になっていないといいけれど)
シエテに限って、それはないと信じたい。いや、信じるほかなかった。
ジュリも、アリーと同じようなことを考えていたが、やがて焦っても仕方がないと諦めをつけ、それとは別の話題を一つ提示する。
「ねぇ、アリーはブラックカースのことを知っていたのよね」
ジュリが小声で尋ねれば、アリーは再び苦い顔をして小さくうなずいた。
「少し、耳に挟んだことがあるのよ。他の人より、耳がいいから」
アリーの冗談にジュリが肩をすくめる。アリーの両親は医者であり、ブラックカースの知識に触れていてもおかしくはない。
ジュリは、それ以上そこには詮索せず、
「初めて聞いた時は、どう思ったの?」
と、素直に疑問をぶつけた。ジュリでさえ、動揺を隠せなかったあの流行り病のことを、この強く、正しい魔女はどうとらえたのだろうかと純粋な興味が沸いた。
アリーは、少し考えるようにして視線をさまよわせる。
「かわいそう」
ポツリと呟かれた言葉が、同情か、憐憫か、純粋な正義感か、それはジュリには分からない。
「そう、思ったような気がするわ。子供だったから」
アリーが目を伏せると、今はジュリの魔法で黒くなった長いまつげを揺らす。
「助けたいと思ったの。すべての人々を」
魔女を、ではなく、すべての人々を。
アリーはやはり、子供の時から変わっていない。
「傲慢だってわかってるけど……与えられた力を、無駄にしたくはなかった。何かをしたくても、何もさせてはもらえない人だっているでしょう。何かを成し遂げたいと思っても、あきらめざるを得ない人も」
アリーは、曇り空に向かってまっすぐと伸びる時計塔にチラリと目をやって、懐古するようにその目を細めた。
「そういう思いにたくさん触れたせいかもしれないわね。私は恵まれていて、誰かの力になれることがある。それなら、その力を使って、一生懸命にあがくことを選びたいって」
両親は優秀な医者だが、だからと言ってすべての人を救えるわけではない。医学的には分からないこともあるし、技術的には不可能なこともある。
そうした時にはあきらめざるを得ず、ただ人の命が尽きるのをそばで見ているしかない。
アリーの育った病院という場所は、そんな理不尽な死が当たり前に横たわっている。
病院は、患者を救う光と患者が亡くなっていく影を併せ持つ場所だった。
テレパシーの力は、子供のアリーにずいぶんと多くのことを教えてくれた。良いことも、悪いことも平等に。
「ジュリはどう思ったの? 珍しく、動揺してるわ」
からかうような口調でアリーから問い返され、ジュリもまた視線を外へと投げかける。
「どうして、って思ってしまったわ。人のことを愛しているのに……変よね。ディーチェちゃんが怒ってくれて、少しほっとしたくらいよ」
大人では口に出来ないようなことや、立場があって言えないことを、ディーチェが代弁してくれる。だからこそ、アリー達は冷静でいられ、自分を見つめなおすことが出来るのだ。
「……ディーチェちゃんは、大丈夫かしら」
「ディーチェなら大丈夫よ。彼女は、私たちよりもずっとずっと強い」
鉄道はいつの間にか、乗り換えの駅へと近づいている。
アリーとジュリはそれぞれの思いを抱えて、先を急ぐ。
- ・・・・ ・ -・・・ ・・- ・・・ ・・・・
ブッシュへとテレポートしたシエテは、司法裁判官に見つからないよう身を潜めていた。
書棚と書棚の間を何度行きかったことだろう。
司法裁判官の姿を見かけるたびに、シエテは短い距離をテレポートし、彼らから距離を取る。
ディーチェが魔法をかけたファイルは、幸いなことに椅子の上に開かれたままで、シエテは無事にブッシュ内部へとテレポートすることが出来た。そこまではいい。
問題はそこからで……ジュリに魔法をかけてもらうのを忘れてしまったせいで、司法裁判官として自由に動き回ることは出来なかったのだ。
何とかなるだろうという目論見は甘かった。
想像していた以上に、書庫へ司法裁判官が出入りする。一人出ていったと思ったら、また別の一人がやってきては資料をもって出ていく。そんな具合で、資料を盗もうにも動けない。
いや、いくつかの資料を魔女協会へ転送することは出来るだろう。資料の入ったファイルは想像していた以上に重く、一度のテレポートで一冊か二冊が限界だろうが、ほんの一瞬の隙さえつけば、出来ないことではない。
だが、せっかくここまで危険を冒して潜入しているのだ。どうせなら、大きな成果が欲しい。
もう二度とここへ来なくて済むような、そんな成果が。
シエテは、そうしていくつかのファイルに目星をつけた。
まずは、侵入に使ったファイル。魔女裁判のきっかけとなった出来事の資料は、おそらく司法裁判官たちにとっても貴重なものだろう。しかも、古い資料だ。復元は難しい。
最も、魔女裁判に関する資料はすべて持ち帰りたいくらいだったが。それは二、三が限界だろう。
何より、グローリア号沈没事故の資料が最優先だ。
それさえ手に入れることが出来れば、この作戦は間違いなく魔女の勝ちだと胸を張って言える。
年代も、アルファベットも明確に分かっている。膨大な書棚から、一冊ずつ確認する必要もない。シエテでも容易に探すことが出来るのだから、持ち帰えらずして何になろう。
その書棚にさえ近づければ、の話だが。
シエテは、再び司法裁判官の足音を聞きつけて暗がりに身を隠す。資料を日に当てないようにするためか、書庫の窓は日の当たらない角度に設置されていて、隠れるには都合がよかった。濃紺の髪に、黒のスーツ。影にも潜むことの出来る自分の姿も。
今、最も司法裁判官たちが熱を入れているだけあって、その書棚から人の姿がなくなることはほとんどなかった。
シエテは内心で一つ舌打ちをして、ジュリの魔法があったら、すでに何冊もの資料を難なく手に入れられているのに、と思う。
目的のものが目の前にあるというのに、こうして様子を伺うことしかできないのがもどかしい。
短気なシエテには特に、この時間ほど無駄なものもない。
苛立ちが、無意識のうちに体の外側へと現れる。
「何の音だ?」
トントンとつま先で床を打ち鳴らしてしまい、司法裁判官の一人が声を上げた。隣にいた別の男は気づいていなかったようで、「どうした?」と男に尋ねた。
シエテはびくりと体を硬直させ、そっと男たちの声に聞き耳をたてる。
「いや、気のせいかもしれない」
「なんだよ。疲れてるんじゃないのか、やめてくれよ」
男たちはまさか魔女が潜入しているなどとは微塵にも思わず談笑する。
「そういや、今日は新入りが来たらしいぞ」
「新入り?」
「なんでも、綺麗な顔の若いやつだったとかで。何の用だったのか……あれから誰も見てないって噂だ」
シエテは、先に潜入した二人の姿を思い浮かべて、こめかみに手を当てる。
男たちは仕事の終わりも近いのか、ずいぶんとリラックスした様子で続けた。
「魔女の呪いにでもかけられたかね」
「おい、やめろよ。バカバカしい。だいたい魔女なんて、今時誰も信じてねぇよ。魔女裁判だって、王様やお貴族様の暇つぶしさ」
その言葉に、シエテは思わず光の方へと足を進めていた。