5-5 不遇な運命
シエテのテレポートにより、大聖堂へと戻ってきた四人はメイから熱い抱擁を受けた。トーマスからも安心したような笑みをもらう。
時間にしては一時間も経過していない。それでも、長い滞在時間だったように思えた。
「ディーチェちゃんが無事で本当に良かったわ」
メイが優しくディーチェの頭をなでるも、ディーチェはどこか浮かない顔だった。安心というよりは、困惑の表情を浮かべている。
メイの優しさを受け止めつつも、ディーチェの声はこぼれおちた。
「……メイは、どこまで知っていたの」
幼い彼女の声に、礼拝堂がシンと静まり返る。
トーマスとシエテは何のことだか分からず首を傾げ、ジュリは苦々しく唇をかみしめる。メイとアリーはただ俯いて、ディーチェの顔を見ようともしない。
作戦は成功したというのに、まるで葬式のような雰囲気だ。
「見たのね」
沈黙を破ったのはアリーの声で、ディーチェはメイへ向けていた瞳を、ゆっくりとアリーに向けた。
「あれは、どういうことなの」
ディーチェの声色は端々にトゲがある。
「ブラックカースって、何?」
ディーチェは、その名を口にすることさえ恐ろしい、と言わんばかりに唇を震わせた。
「あのページが開かれたのは……偶然なの?」
今日は帰るべきだ、とアリーに進言した意味がなくなってしまった、とジュリは遠くを見つめる。
ジュリは、これ以上他の魔女を――シエテまでこの『ブラックカース』とやらに巻き込みたくはなかったのだ。だが、ディーチェにそこまでの配慮を求めるのも酷な話。
肝心のシエテは、難しい顔をしてディーチェをただ見つめている。
「話が見えない」
やっぱりね、とジュリは小さくため息をついて、
「ワタシから話すわ」
とメイやアリーを制した。
「まず、ディーチェちゃん。アリーも、メイも、生まれ持った力以外は使えないわ。それは知っているわよね?」
「わかってるわよ! でも……」
「よくできた偶然よ。未来を操ることが出来る魔女は、魔女協会にはいない。ましてや、魔女を傷つけたいと思う魔女なんて」
ジュリがいつにもまして冷たい声色で言い切ったせいか、先ほどまでの興奮が冷めないのか、ディーチェは「でも!」と声を荒げる。
「あんなにたくさんのファイルから、魔女のことを悪く書いた記事を見つけるだなんて! よりにもよって、あんなところで!!」
「ディーチェ」
シエテの低い声が、ディーチェの叫ぶような甲高い声を咎める。
「あ……」
ごめんなさい、とディーチェは俯くと、服の裾をぎゅっと握って黙り込んだ。
シエテが、ジュリへと視線を向けて続きを促す。
「ディーチェちゃんが開いたファイルの、四月二日の新聞に書かれていたのよ。ブラックカースという病のことが」
「ブラックカース?」
聞いたことがない、と首をかしげるシエテとは対照的に、トーマスはすべてを理解した、というように小さくうなずいた。
ジュリはその先を言うべきか迷って目を伏せる。だが、シエテが許してはくれなかった。
「魔女に何の関係がある」
「その記事に、魔女の呪いだ、と書かれていたわ。多くの人々が亡くなった、と」
ジュリが小さく呟くと、再び沈黙が流れた。
「……ごめんなさい」
消え入るような声で謝罪の言葉を口にしたメイが、そっとディーチェを抱きしめた。
「気づくかもしれない、と思ったわ。でも、詳しいことまでは分からなかった。夢は、ぼんやりしていることも多くて……。だから、言わなかったの」
ブラックカースのことを知っていながら、ディーチェにはあえて伝えなかった。ジュリにも、シエテにも。
傷ついてほしくない、という自らのエゴで、むしろ彼女たちを傷つけてしまった、とメイは泣きそうな顔を見せた。
そんなメイに、アリーがしっかりとした口調で告げる。
「いいえ、これは私のせいだわ。すべては、私の責任よ」
「知っていたのか?」
シエテが驚いたように彼女を見つめれば、いつもの美しい、いくえにも輝くクリアの瞳が陰る。
「えぇ。魔女裁判のきっかけとなった流行り病のことだもの」
凛とした、よく通る声が今は恨めしかった。
シエテも、ジュリも魔女裁判という言葉にその表情を曇らせる。
「……やっぱり、人間なんて大嫌い!」
ディーチェはそう言い放つと、メイの手を振りほどいて礼拝堂の外へと駆け出した。
ディーチェには行く当てなどない。
だが、今は、誰のことも信じられない。
マークが書いた本のためなら、と少しでも手を貸した自分がバカバカしい。
ディーチェはこぼれそうになる涙を必死にぬぐって、石膏の白に囲まれた廊下を走る。
人間に傷つけられて泣くのは悔しかった。
あんなに一方的に糾弾された歴史を知ってもなお、人間の肩を持ち、人間と手を取りたいと思っている魔女たちを、嫌いになれない自分にも腹が立った。
あのファイルを手にしたことも、あのページを開いたことも、全て偶然だとわかっている。未来を操る魔女がいないことだって。
けれど、納得は出来ず。この気持ちをどこにぶつければいいのかも分からない。偶然だなんて言葉で片付けられるほど、ディーチェはまだ大人ではなかった。
「なんなの! なんなのよ、もう!」
感情を無理やりに吐露して、ディーチェは勢いよく自らの部屋の扉を開く。
(こんな時にユノがいれば……)
今日の出来事を夢だと思えるような、素晴らしいとびらを用意してもらえたはずだ。
そこまで考えて、ディーチェは再び唇をかんだ。
そのユノでさえ、今はマークと共に本を作っている最中であり――まさしく、人間と手を取り合っている最中なのだ。
「どうして、みんな……」
人間の身勝手に振り回され、多くの魔女が命を落としたというのに。傷ついているというのに、人と手を取りたいだなんていうのだろう。
ディーチェはぎゅっと膝を抱え込む。
「ばかじゃないの」
自分が子供だから、理解できないのだろうか。シエテのように割り切ることが出来ないのだろうか。メイやジュリのように人を愛し、アリーのように未来を信じることが出来ないのだろうか。
それでも一番情けないのは自分だ、と深く息を吐く。
今日だって、守ってもらってばかりだった。うまくやれると自分を過信して、何度ジュリに迷惑をかけただろう。それだけじゃなく、アリーやメイたちを疑うようなことまで口にして。
挙句の果てには、騒ぎ立て、シエテを困惑させて――逃げ出した。これではますます彼女たちを困らせるだけだろう、と知っているのに。
人間のトーマスの前で、大嫌いだなんて、言ってはいけないとわかっているのに。
いよいよディーチェは涙をこらえきれなくなる。
「どうして、アタシは、みんなみたいになれないのかしら」
胸を張って、魔女として生きていきたいのに。
最も魔女を卑下しているのは、いつだってディーチェ自身だった。
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走り去ったディーチェの背中を見つめ、アリーが珍しく弱音を吐く。
「ディーチェには、悪いことをしたわ。本当に、酷いことをしてしまった……」
もとはと言えば、自分が言い出した作戦のせいでこうなっているのだ。無理もない。
幸いにも周囲には今、アリーを昔からよく知る家族のような存在しかおらず、だからこそ、アリーもこうして本音をついこぼしてしまうのだが。
「アリーのせいじゃないわ。いいえ、これは誰のせいでもない。運命だったのよ」
ジュリが力なく呟くと、メイは悲愴を浮かべた視線を礼拝堂の無機質な床へと落とした。
「運命、か」
シエテは小さく呟く。
「魔女とは、どうもそういう運命にあるらしいな」
そういう、という言葉が何を表しているのか、皆想像に容易い。魔女ではないトーマスでさえ、そう思わずにはいられない。
イングレスに生まれた魔女には、不遇な運命が付きまとう、と。
だが――
シエテはすべてを包み込んでしまうような深い水底のような、果てしなく続く宇宙のような、美しいブルーの瞳に強い意志を宿した。
「その運命を変えるためにも、作戦を続行する」