2-1 ようこそ、とびら屋へ
「私は、マークさんが来られるまで、自分が魔女だということを忘れていたような気がします」
先に口を開いたのはユノだった。
珍しい髪色も、瞳も、ユノにとっては見慣れたものだ。魔法の力でさえ、当たり前のように思っていた。
けれど、マークには――人にはそうじゃない。
そうだ、とユノは顔を上げる。
魔女のことや魔法のことを知ってもらうにも、何より自分という人間を知ってもらうためにも、最初に話すべきことが決まった。
「せっかくですから、私のお仕事をご紹介しますね」
「仕事?」
「えぇ。これでもちゃんとお仕事はしてるんですよ。お客様は魔女ばかりですが」
マークが不思議そうな顔をしたからか、ユノは肩をすくめた。
ユノは立ち上がると、部屋の角に取り付けられた両扉をスライドさせる。ちょうどマークが座っていた位置から見て左側、その先にクローゼットサイズの空間が現れた。
「もしかして、昇降機ですか!?」
マークが声を上げるのも無理はない。噂には聞いたことはあるが、実際に見るのは初めてだ。ロンドでも中心部の建物には設置されているものの、マークがそんな建物へ入る機会はなかった。
ユノに続いてマークがその箱へ乗り込むと、箱は、チン、と軽やかな音を立てる。
「今のは?」
「重さを計算したんです。箱の重さに合わせて、おもりの重さを変化させるんですよ」
マークはきょろきょろとあたりを見回すが、内側からはその機構は見えなかった。
「おもりの重さを変えているのは魔法なので、マークさんが知っている昇降機とは少し原理が違うと思いますが」
マークの驚きと好奇心に満ちた瞳を見るのは、ユノにとっても楽しかった。
「レバーを引いてみますか?」
扉を閉めて、ユノはその脇に取り付けられたレバーを指さして見せる。
「いいんですか!?」
「もちろんです。レバーを引くとおもりが上がって、それと同時に箱も動き出すので……」
ガコンッ!
ユノが言い終わる前に、マークがレバーを引いたらしかった。
木製の箱は上下左右に揺れ、マークはよろめく。
「こ、これも魔法!?」
「まさか。箱が下りているだけですよ」
ユノはクスクスと笑い声をあげる。マークのめまぐるしく変わる表情は、まるで子供を見ているかのようだ。
昇降機は一階へ。ユノが扉を開けると、ほんの数秒のことだったというのに、マークは長い夢でも見ていたかのように、瞳をキラキラと輝かせる。
マークの瞳は、朝露を浴びて、太陽にきらめく草花のようなフォレストグリーンだな、とユノは柔らかに目を細めた。
「またこれには乗れるんでしょうか?!」
「一階と二階を行き来する手段はこれしかありませんから」
つまり、マークがここにいる間は何度もこれを乗り降りすることになる、ということだ。
「なんて良い暮らしなんだ! これは何度乗っても素晴らしい乗り物ですよ!!」
マークは感動に満ちた目で、何度も昇降機を愛おしそうに眺めた。
人の世界にも存在しているはずの昇降機でこんなにも喜んでもらえるのなら、もっと分かりやすい魔法を――ユノの仕事を見せたら、マークはどんな反応をするのだろうか。
ユノの心に、そんな気持ちが沸き上がる。
人と魔女は共存できる。昔のように。
そう思ってきたものの、ユノがそれを実感できたことはいまだかつてなかった。人と接する機会もなく、ましてや自ら人の中に飛び込んでいく勇気もなかったから。
だが、今、マークと出会い、それが現実味を帯びてきている。
ユノが淡い期待を抱いてしまうのは当然のことと言える。
「マークさん」
ちょいちょいとユノが手招きをすれば、マークはようやく本来の目的を思い出したようで、顔を真っ赤にした。
「すみません、はしゃぎすぎてしまいました……」
良い年をして何をしているんだ、とマークは自らに喝を入れる。ユノは気にしていないようだったが、年下の、それも可愛らしい異性の前で、何度もみっともない姿を見せるというのも気が引けた。
改めてマークは一階を見回す。
昇降機を出て右側には、大きめの棚。棚には本やラジオが雑多に並んでいた。
部屋の中央に木製のローテーブルとソファがおかれ、その奥には玄関と思われる青い扉と青い窓。窓の向こうには、美しい砂浜と海が広がっている。
何より、昇降機の左側の壁に二つ、正面に一つ取り付けられている扉の青が良く目を引いた。漆喰の白と鮮やかな青のコントラストが余計に。
「随分たくさん部屋があるんですね」
一人暮らしで、リビングの他に三部屋も。ただでさえ二階に居住空間があったというのに、これ以上何に使うというのだろう。声には出さず、マークは使い道を想像する。
「仕事用です」
返ってきたユノからの答えに、マークは首をかしげた。
「実際に見ていただいた方が早いかと」
ユノは、昇降機を出てすぐの扉の前に立ち止まり、にっこりとほほ笑んだ。
「マークさん、扉のノブを握って、オープンセサミ、と唱えてください」
「オープンセサミ?」
「はい。扉に向かって、ゆっくり、はっきりと。魔法の呪文です」
ユノが唯一使える魔法。
昔、母が読んでくれた絵本で知った魔法の呪文が、まさかそのまま自らの魔法の力を引き出すことになるとは思わなかった。
マークは半信半疑で、扉のノブをしっかりと握り、目の前の鮮やかな青い扉を見つめた。
昔、何かの童話で聞いたことのある言葉だ。
――確か、扉を開けるための、魔法の呪文。
「オープンセサミ」
マークの言葉とともに、カチャン、と一人でにノブが回る。扉はそのまま内側へと開き、マークの体は部屋の中へと吸い込まれた。突然の出来事に体勢がくずれ、足がもつれる。
「わっ!」
マークは派手に頭から床へと突っ込んだ。
「いてて……」
「大丈夫ですか!?」
まさかユノもこんなことになるとは想像していなかっただろう。マークをのぞき込む瞳は不安げだった。ユノの夜空色の髪が揺れ、その隙間に夕焼け色が混ざる。
「な、なんとか……」
マークは苦笑いを浮かべ、ぶつけた鼻をさする。
顔を上げた次の瞬間――
マークは息を飲んだ。
目の前に広がる美しい光景は、一瞬にしてマークの鼻先に滲んでいた痛みを消し去った。
一面に広がる花畑。
バラにガーベラ、アネモネ、ポピー……。赤や、黄色や、白に緑が……マークの目に飛び込んできたのだ。
「すごい……」
マークの前をふわりと優雅に舞う蝶もまた、見たことのないような美しい輝きを放っていた。蝶が羽を動かすたび、空気中をキラキラと細かな光の粒が踊る。
澄み渡る青空はどこまでも高く、春の穏やかさをたたえていた。
香りもせず、触れることも出来ないが、全てが目の前に存在している。
「僕が、前に見た魔法ですね」
「そうです。これが……」
ユノが振り返った先。マークの瞳に、驚きと、好奇心と、喜びと、感動が詰め込まれていて、ユノは言葉を失った。
――私の魔法が、人を幸せにした。
それは、恋をした時のときめきによく似ている。
ただ、景色を見せただけだ。触れることも、香りを楽しむこともかなわない。
だが、これがユノに唯一与えられた特別な力。
人を幸せにする魔法の力。
「これが……私の魔法で、お仕事です」
ユノは、魔女としての誇りを見つけた。
ちっぽけなことだ。たった一人、偶然島に流れ着いた青年を笑顔にしただけのこと。だが、それだけで良かった。
「扉の向こう側――新しい世界をみんなに売るのが、私のお仕事なんです」
ユノの満面の笑みに、マークは胸をわしづかみにされたような気分だった。
新しい物語との出会い。それを予感させる胸騒ぎ。
「ようこそ、とびら屋へ!」
夜空色の瞳に、赤やピンク、パープル、ブルーにシルバー。数えきれない星々が何色にもまたたく。
二人の物語を綴る、新たな扉、新たな本の一ページ目が、開かれた瞬間であった。