4-14 小さな仕返し
アリーの作戦に、シエテとディーチェが顔をしかめた。
「司法裁判官をこちら側に引き入れるなんて、絶対に嫌よ!」
耐えきれず声を荒げたのはディーチェで、それは子供らしい拒絶反応だった。
「一人でも引き入れることが出来れば、もっと動きやすくなる」
アリーの言っていることが分からないわけではない。だが、司法裁判官は敵だ。味方にいれば強い、だなんて――敵にどうして思えよう。
少なくとも、成功した時に得られる利益と、失敗した時に負うリスク。それにつり合いが取れているとは思えない。
まだ政治家の方がマシじゃなかろうか。シエテでさえそんなことを思ってしまう。
アリーは「でも」と付け加えた。
「危険が付きまとうのは確かよ。だから、司法裁判官を引き込むのは最終目標」
「最終?」
シエテの反応に、アリーは小さくうなずいた。
「今回の目的は、マークさんのお話が完成するまでの時間稼ぎ。方法はいくらでもある。例えば、司法裁判官たちを、私たちの力で一時的に錯乱させる」
ディーチェはますます顔をしかめた。
「ありえないわ。あの作家のために、アタシたち魔女が危険を冒すの!?」
ディーチェの言葉に賛同したのはシエテだった。
「ディーチェの言う通りだ。危険すぎる」
二人は、マークのことを認めていないわけではない。むしろ、マークが魔女のためにどれほどの危険を冒しているかも、口には出さないだけでわかっている。
だが、それとこれとは話が別だ。
特に、司法裁判官のところへ魔女を送り出すなどと、燃え盛る炎の中に飛び込んでいくようなもの。
アリーはダイヤモンドの輝きを持つ瞳に、きわめて冷静な色を灯した。
「ディーチェもシエテも、マークさんのことは分かっているでしょう。それに、彼を救わない限り、ユノだって危険よ」
チラリと投げかけられた視線と言葉に、ディーチェとシエテが口をつぐむ。
今も、マークと共に新聞社で推敲の仕事を手伝っているユノは、普段の彼女からは考えられないほど、本を出すことに強くこだわっている。
そんなユノを説得するのは骨が折れるだろう、というのは誰しもが勘づいていた。
だが、ディーチェは苛立ちを隠すことなく、一回り以上も年の離れたアリーをにらみつける。
「ユノの名前を出すのはずるいわ!」
「でも、本当のことでしょう」
「だけど! だったら、ユノだけでも連れて帰ってこればいいじゃない!」
「マークさんが、私たち魔女を裏切らないという確証があるのかしら」
「……っ! それは……」
あいつがそんなことをするはずがない。
ディーチェは無意識にそんなことを考え、けれどそれは、彼を認めているということであり――口にすることは出来なかった。マークを認めているのなら、マークのために危険を冒すなんて、と言った自分自身の言葉を否定することになる。
「ユノだけが無事で、自分だけが司法裁判官へ連行されることになったら? マークさんが、魔女に裏切られた、と思っても不思議ではないでしょう」
「そうしたら、マークくんは、ワタシたち魔女のことを裏切るかもしれないわね」
アリーとジュリに正論を突き付けられ、さすがのディーチェも言葉を飲み込む。
はじめから答えなど決まっているのだ。
アリーは常に正しく魔女を導く。テレパシーを使って心を読み、先回りする。
ディーチェが考えていることも、全てお見通し。ディーチェがマークに対し、少しばかり認めてやってもいい、という気持ちでさえ利用しているのだろう。
何より――
「司法裁判官を混乱させるだけ、というなら」
シエテが苦渋の表情でそう告げたことが、決定打となった。
「シエテまで……」
ディーチェも同じことを考えなかったわけではない。だが、シエテなら反対してくれると思っていただけに、自分が何のために去勢をはったのかもよく分からなくなった。
「なんで、みんな」
「なんでって、そんなのはディーチェちゃんも気づいてるんじゃないかしら?」
ジュリの純真な赤い瞳に見つめられ、ディーチェはその赤がうつったとでも言うように、顔全体を真っ赤にした。
まただ。また、自分だけが分かっていることを認められない。
普段、素直じゃないと言われているシエテでさえ、何かが変わった。
ディーチェは、大人になりきれない自分が悔しくて歯噛みする。
「わかってるけど……」
ぼそりと呟いたディーチェのブロンドの髪を、不器用に撫でるシエテの指先の感触が妙に心地よくて、居心地は悪かった。
シエテの慣れない手つきが、ツインテールの毛先まで降りていく。
「大人になるな」
耳元でささやかれた、女性にしては少しばかり低い声はまるで祈りのように。
「ディーチェが怒ってくれたから、冷静でいられた」
シエテが珍しく、ふ、と口角を持ち上げる。ディーチェの瞳よりも深い青が、全てを包み込んでいくようにきらめいた。
「ありがとう」
別に、シエテのためなんかじゃない。
ディーチェが開こうとした口を、シエテの指が優しく遮る。
「力を貸してくれ。それだけでいい」
シエテはディーチェの唇からそっと人差し指を離して、ディーチェから視線を外す。切りそろえられた濃紺の髪が揺れ、少しだけ赤く染まった耳元が見えた。
「心は、自分のためにとっておけ」
シエテの言葉がストンと胸に落ちて、ディーチェはスカイブルーの瞳を持ち上げる。
途端、笑みを浮かべたたくさんの魔女たちの姿が目に入り、ディーチェは
「もう! 力を貸すだけなんだからね!」
とひときわ大きな声で宣言せざるを得なくなったのだった。
・・・ - ・-・ ・- - ・ --・ -・--
「それで? 具体的には何をするの」
頭を撫でまわすジュリの手から逃げたディーチェが尋ねる。アリーの頭の中にはすでに、いくつもの計画があるようで、彼女はためらいなくきっぱりと言い切った。
「まずはブッシュへ潜入する」
「ブッシュ?」
ディーチェとメイは首を傾げ、シエテは舌打ちを一つ。
「司法裁判官の資料保管庫だ」
シエテはやけに苦々しい顔で「想像以上に厄介だな」と呟く。
メイは、アリーの言いたいことが分かったのか
「もしかして、軍が渡したグローリア号の資料を盗むつもり?」
と眉をひそめた。
アリーは「拝借すると言ってちょうだい」と笑う。
「グローリア号の資料をお借り出来れば最高。でも、無理にその資料じゃなくてもいいの。いくつかの資料がなくなっていれば、司法裁判官は、そのことを調べざるを得なくなるはずよ」
「それで、一時的に錯乱か」
シエテの言葉にアリーはうなずき、話を続ける。
「もちろん、あまり長居は出来ない。司法裁判官との接触も避けたいわ。シエテのテレポートさえ使えるようになれば、問題ないの」
シエテのテレポートは、魔力のあるものにしか働かない。
つまり、
「ディーチェちゃんの魔法を、ブッシュの内部にかけたいってことね」
ジュリの言葉に、ディーチェは息を飲んだ。
「大丈夫。そのためのワタシたちよ」
ジュリがパチンとウィンクをすれば、メイも自らがすべきことを自ずと感じたのかうなずいた。夢見の力はこのためにある、と言わんばかりに。
「まずは、未来を調べる。次に、ジュリとディーチェは、司法裁判官に成りすましてブッシュへ潜入。私とシエテは、何かあった時のために近くで待機。その後は、状況に応じていくつか資料を拝借してもいいし、何日かかけてグローリア号の資料を探してもいいわ」
アリーはスラスラと作戦を並べ立てる。
「簡単だ」
シエテは、ディーチェを勇気づけるためか、あえてそう口にした。
「そうね、大したことじゃない。目的はあくまでも、本が完成するまでの時間稼ぎよ。なんだっていいの」
「建物を燃やしちゃっても?」
冗談半分にジュリが言えば、
「人が死ななければ、ね」
とアリーは冷ややかに笑みを浮かべた。
ディーチェがこわばった体をほぐすように、深呼吸を繰り返す。
これは、自分だけの闘いではない。司法裁判官には数えきれない借りもある。
魔女を守るための、ほんの小さな仕返しだ。
「やるわ」
短く決意を口にする。
魔女たちはみな、ジュエルアイをきらめかせた。