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万年筆と宝石  作者: 安井優
四つ目の扉 大聖堂

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45/139

4-9 過去形になった彼

 ガラスのはめられた小窓。カーテンによって仕切られた空間の向こうで、深紅の瞳は何を思っているのだろう。

 見えないジュリの姿に思いを馳せながらも、ユノは、原稿用紙の上を踊る万年筆を見つめた。


 彼女の告解――

 それは、魔女と人との真実の愛の物語。

 そして、このイングレスの国が犯した、もう一つの過ちの物語。



・-・・ --- ・・・- ・  ・- -・ -・・  ・・・ ・・ -・



 ジュリは、アリー達と同じ病院で生まれ、ほどなく何人かの魔女と友情を築いた。

 それと同時に、変化の魔法を使い、多くの人とも友情をはぐくんだ。

 魔女裁判によって、魔女が断罪されていたイングレスではあまり類を見ない、人と同じように育った魔女。それが、ジュリという少女だった。


 人として保育園へも、学校へも通った。

 ロンドでは、教会関係者が教育制度への出資を行っている場合が多く――そういった意味では、魔女も教育を受けることは可能だったが――当たり前に日常生活を送ることが出来たのは、ジュリにとってもこの上なく幸いなことだろう。


 ジュリは、そうして、魔女協会の設立を手伝いながらも、より多くの人とのつながりを持った。

 説得が出来そうな人を連れてきては、魔女協会の存在を認めさせたりすることは日常茶飯事だった、とジュリは懐かしむように笑った。


 そんなジュリに転機が訪れたのは、およそ十五年前。

「運命の人と出会ったの」

 ジュリの声は、ガラス一枚(へだ)ててもなお、(あで)やかだった。


 元々の美貌(びぼう)もあってか、当時から多くのボーイフレンドがいたジュリだが、『彼』は特別だった。

「一目見て、思ったの。ワタシは、この人と結婚するんだわってね」


 彼との出会いは、本当に偶然だった。ジュリはそう前置きした。

「あれは、卒業式の日だった」

 ゆったりとした口調から、ジュリがその日のことを大切に()みしめていることがマークにもユノにも伝わった。


「彼は、友達の親戚だった。同じ学校の卒業生として、友達の卒業を祝うために、彼は現れた」

 小ぶりだが品の良い花束を抱えた彼は、ジュリの隣にいた友人のもとへと駆け寄ってきて「おめでとう」と微笑んだ。口元に真っ白な歯がのぞいた。


 ジュリは、そんな彼の笑みにすっかり魅了されてしまって、卒業式どころの騒ぎではなかったらしい。

「友達に、今の彼は誰? なんて素敵な人なの! お名前は? 年齢は? 職業は? そんな風に迫ったのよ」

 ジュリのケラケラとした笑い声だけが、マークたちの方へと届く。


「それから、友達を通して、彼とは少しずつ仲良くなっていったわ。いいえ、少しずつ、なんてものじゃないわね。あっという間に仲良くなった」


 彼は、空軍パイロットとして、将来有望な青年だった。

 魔女協会とのつながりのある軍の人間であることもあってか、それとも単なる愛情か――彼自信も、ジュリのことは気に入っていて、魔女という存在を受け入れてくれているようだった。


「彼は、ワタシが魔女だと知ってから、ますますワタシと一緒にいてくれるようになった。軍人だから、そういう弱い人たちを守りたいって使命感もあったかもしれないわね」

 とにかく、二人はたくさんの時間を重ねた。


「彼は、魔女がどれほど世界を知らないか、ということを知って、ワタシをいろんなところへ連れて行ってくれた」


 ジュリは、そうして世界が広いことを知った。

 魔女と人とが手を取り合うことが出来る世界が、イングレスの外側にならあるかもしれない、とさえ思うほどに。


「彼は高いところが好きだった。大聖堂の塔に登れることを教えてくれたのも彼。ワタシは、魔女協会を設立して、ここのことはよく知っているつもりだったけれど、塔のことは知らなかったもの」


 ユノも、ジュリを追いかけて、初めて塔の上へ登ったくらいだ。それまでは、こんなに身近に、あんな素敵な場所があるなんて知らなかった。

 身近なものほど、案外知らないものである。


「空から見下ろすこの国は最高なんだって、彼はいつも言ってたわ」

 ジュリの言葉に、マークは、エリックと空からみたロンドの街を思い出す。

 確かに、この国は――空からみたこの国は、美しかった。


 ジュリは、その時のことを思い出したのか、話しつかれたのか、一拍呼吸を置く。

 そのすきに、マークは原稿用紙をジュリの話で埋める。ユノは、そんなマークの万年筆が軽やかに動く様子を見つめた。


 ジュリが話を切り出したのは、それからしばらくしてからのことで、コツコツとガラス窓をたたく音が先行した。

「続きを、話すわね」

 覚悟を決めたような、少し緊張をはらんだかたい声が、静かな告解室に良く響く。


「ある日、彼が軍から飛行機を借りてきて……特別にワタシを乗せてくれたの。珍しいくらいの晴天で、これ以上ないほどロンドの街は美しかった。とても」

「……少し、分かります」

 マークの小さな相槌に、笑ったようなジュリの息遣いが聞こえた。


「彼は、ワタシを幸せにすると言った。飛行機に乗って、いろんな国を二人で旅しよう、と。空の上なら、魔女も自由だって。誰にも邪魔はされないからって」


 雲の隙間から、日差しを浴びたロンドが、婚約指輪のように輝いていた。

 ジュリはそんな街並みに息を飲み、自分が生まれ育った街はなんてすばらしいのだろう、と素直に感嘆した。

 そして、隣にいた彼に言ったのだ。


「あなたって、最高だわ」


 マークの手が止まる。

 ユノの息も同時に止まって、ジュリだけが告解室の向こうで笑っていた。


「マークくんのお話と一緒。びっくりしちゃった。彼のことはもう、二度と、考えないようにしようって……決めていたのに」


 嗚咽(おえつ)か、笑声か。

 途切れとぎれに発せられた言葉に、ジュリがどれほど彼を愛していたのかが分かるようで、ユノは思わず顔をしかめた。


 ここから先はきっと、悲しい物語なのだ。

 ジュリと、過去形になった彼との。


「彼はね、亡くなってしまったの」


 彼の最後があっけないものであったことを、マークやユノに感じさせるには十分すぎるほど端的な言葉だった。

 本来ならば詰まっているはずの感情が、込められないほどの儚さで、彼は亡くなってしまった。


「イングレスと隣国との間で起きた戦争は、すでに終息していたわ。けれど、それは表向きで……実際はそうではなかったの」

「戦争……」

 ユノは、新聞かラジオか、何かで得た漠然とした知識を引っ張り出す。


 それは、今のイングレスを覆うほの暗い、どこか落ち込んだ空気の理由の一つともいえる。

 先代の王――つまり、魔女裁判を強行した王が引き起こした戦争だ。

 彼が……いや、この国が犯した、もう一つの過ちである。


 隣国との小競り合いの一つや二つ、していない方が不思議なくらいの王だったから、戦争も、やはり当たり前のように引き起こされた。そして、その戦争は、あっけなくイングレスの敗戦に終わった。


 私利私欲のために、手段をいとわなかった王の無策さが浮き彫りになっただけ。それ以上、得られたものはない。

 隣国の圧倒的な軍事力の前に、数年と持たないうちに国は瓦解(がかい)した。国内の景気は悪化の一途をたどることとなり、今もまだ、それは続いている。


「国境で隣国との衝突が起きたの。終戦してから何年と経っていたのに、そんなことは日常茶飯事だった。彼は、軍人として事の収集を命じられた。大したことはない。いつもみたいに、飛行機で行って帰ってくるだけだ。彼はそう笑っていたけど……結局、彼は帰ってこなかった」


 ジュリから――魔女から、そして、多くのイングレスの人々から、多くの愛を奪ったことは、語り継がれていくべき先王の大罪だ。

 代替わりしても、その罪が消えることはない。

 魔女が百年もの間「呪い」という冤罪(えんざい)を背負ってきたように。


 カーテンに映し出されたジュリの影が、小さく震えていた。マークも、ユノも、その影にかける言葉は見つからず、ただ目を伏せる。


「これも、魔女の呪いなのかしら」

 ジュリの口からこぼれたその呟きは、懺悔(ざんげ)のように淡く消えた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 45/45 ・なんという。戦争かぁ。  キラキラの裏が怖すぎる [気になる点] 愛と罪 [一言] その、運命の出会いの時のジュリさんの反応かわいい。
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