4-7 彼女を追って
ユノは、途切れた息を整えるように足を止める。
ジュリは、どうやら告解室の方へと上がっていったようだ。
ここから先は、魔女協会の外側。同じ大聖堂の中とはいえ、人の領域だ。ユノが二の足を踏むのも仕方がないことだった。
ジュリは、変化の魔法を使う。自らの体はもちろんのこと、魔力を宿すものの見た目を変えることの出来る魔法は、イングレスの街に魔女が溶け込むにはもってこいだ。
だからこそ彼女は、人に恐怖を抱かない。
魔女だとばれることも、万が一ばれてしまっても、姿かたちを変えれば生きていける。
それどころか、ジュリには天性の美しさと華やかさがある。
彼女が魔女だと知っても、恋に落ちた人間というのは盲目で、男性はこぞって彼女を守ると誓った。
だからこそ、魔女協会は、設立してから多くの人々の後ろ盾を得ることが出来た。
大聖堂の聖職者も、軍の人間も、もちろんアリーの両親からの繋がりがあってこそだが、それを繋ぎ止めることは容易ではない。
大きな組織になればなるほど、裏切る人間だって現れる。
ジュリは、いつだって先頭を切って、そんな男のもとへ足を運んだ。
聖職者は、異性交遊を禁じられている。ジュリは男の姿で、友情という説得を試みたこともあれば、マフィアのような恰好で脅したこともある。後者は褒められたものではないが。
軍人の方は比較的簡単だ。
上官には絶対服従のルールがあるようで、それをこちらが逆手にとってしまえばいい。ジュリは、上官をうまく誘い出し、魔女を守るように約束を取り付けた。
そうすれば、下士官がそれを断ることはない。規律を重んじる真面目な者ならなおさら。
ジュリは恋多き女だ。まさに、魔性の女。魔女というにふさわしい女性だろう、とユノは彼女の半生を――様々な噂を聞いて、そう思う。
多くの人を愛し、多くの人に愛されているジュリのような女性は、イングレスのどこを探したって見つかりはしない。
だからこそ、ジュリがモデルの恋物語はなんと素敵なのだろう、と思ったのだ。
それも、マークの手から紡がれるお話は美しく、ジュリにぴったりだった。
(それなのに、どうしてダメだなんて……)
ユノは、ジュリが使ったであろう昇降機の扉をゆっくりと押し開ける。
ここで彼女を追わなければ、本を完成させることは出来ない。
ジュリの魔法がなく、自らの姿を変えることが出来なかったとしても――
ユノは、深呼吸を何度か繰り返し
「いこう」
と呟いた。自分の覚悟を決めるために言葉を口に出したが、昇降機のレバーを引く手は震えた。
ガコン、と音がして、昇降機は揺れる。
告解室へ到着すれば、そこからはユノを守ってくれるものなど何もない。
ユノは、ゆっくりと昇降機の扉を開けて、告解室の本棚をゆっくりと移動させた。
告解室はシンと静まっていて、ユノはホッと胸をなでおろした。カーテンのかかった窓の向こうにも、人はいないようだ。
(ジュリさんは、どこに……)
そっと告解室の扉を開けて、あたりを見回す。人の姿は見えなかった。
「行くしかない、よね」
ユノはローブを頭に羽織って、目立ちすぎる髪色と瞳を隠すようにうつむいた。あまりにも目立ちすぎる格好だが、普通に出歩くよりはマシだろう。
あとで、アリー達に怒られるだろうか。ディーチェはきっと、知ったら叱るに決まっている。
ユノはそんなことを考えて苦笑し、よし、と扉を開けて廊下へと足を踏み出した。
この先は、大聖堂の側廊へと続く階段があるだけ。告解室にいないということは、ジュリはおそらく下りて行ったのだろう。
そんなに遠くへはいっていないはずだ、とユノは耳をすます。
微かにカツン、と階段を下りた女性もののヒールの音がしたような気がする。ユノは慌てて階段を下りた。
側廊へ出ると、ユノはますます息苦しさを感じて、ぎゅっとローブを握りしめた。
ユノの気持ちとは対照的に、大聖堂の中は開放的で、その空間はあまりにも広い。それがますますユノの鼓動を激しくたたく。
側廊を支える大きな柱の陰から、入り口の方を覗き込む。身廊に沿っておかれた長椅子に、老夫婦が二組。祈りをささげるようにしてステンドグラスを見つめる姿に、ユノもほっと胸をなでおろした。
(これなら、きっと大丈夫……)
その先に、やや赤みがかったストレートヘアの女性を見つけ、その後ろ姿を追う。
おそらく、その女性こそジュリが変化した姿だろう。
とはいえ、目立つわけにもいかない。ローブをぎゅっと握りしめて、身廊の端を壁に沿って歩く。音を立てないように、けれど、彼女を追って出来る限り早く。
ジュリは、ユノには気づいていないのか、身廊をまっすぐに突っ切っていった。そして、大聖堂の入り口手前で左に曲がっていく。
左には天高く伸びた塔がある。ユノは、彼女がどこへ向かっているのか、なんとなく分かったような気がした。
曲がり角のせいでジュリの姿が視界から消え、ユノは足を速めた。
入り口付近には大聖堂を見学にきたのか若い男性の姿があって、
(見つかりませんように)
と祈りながら前を横切る。
ユノの願いが届いたのか、男性はユノの方へ視線を向けることはなかった。ユノはほっと胸をなでおろして、その先に続く長い廊下を見つめる。
ジュリはやはり、塔へと向かっているようだ。彼女はすでに、廊下の奥にある階段を上り始めていた。
塔の頂上に続くその階段は、螺旋を描いている。どこまでも続いているかのようで、その先ははるか天へと吸い込まれている。
ジュリは、その階段を一段一段、今まで歩んできた日々を思い出すかのように、踏みしめて歩いた。
ユノは、そんなジュリの姿をしたから覗き込むと、同じく階段に足をかける。
カツン、と二人の足音が響く。上へ、上へと登るほど、その音が塔の中へとこだました。
何段登ったのか分からないが、決して楽な道のりではない。
ユノが、はぁ、とため息をついて先を行くジュリを再び見上げれば、ジュリもまた、どこか苦しそうな表情を浮かべていた。
ゴォーン、と鐘の音が、二人の鼓膜をビリビリと震わせたのは、ようやく塔のてっぺんが見えてきた、という時であった。
塔の頂上には時を知らせる鐘がついており、その音はロンドの街中に響き渡る。
その鐘の音に呼応するように、遠くからもチャイムの音が聞こえた。時計塔のものだ。
大聖堂の鐘は、一つ。対して、時計塔の音は四つ。
時計塔の鐘の音は、どこにいても時間が分かるように、と確か時間と同じだけの音が鳴ったはず。
ユノは、そんな幼少期のころに両親から教えてもらった知識をふと思い出して、小さく息を吐いた。
階段の段数を数えた分だけ、記憶をさかのぼってしまうのかもしれない。
ジュリの苦々しい表情が見えて、ユノはそんな風に思った。
塔のてっぺんに着くころ、ロンドの街は沈んでいく日の色に染まっていた。
同じ空、同じ太陽だというのに、いつもユノが暮らしている島で見る夕暮れとは、まったくの別ものだ。
様々な建物に遮られて、陽の光は弱く、だが、隙間から漏れた光で、カラフルな色に同じ色の影が落ちる。
鉄鋼は金色に反射し、レンガはより一層赤く。青銅の瓦は鈍色に光って、木々は濃紺にさざめいた。
「信じられないわ」
ジュリにしては冷たい声が背後から聞こえ、ユノは反射的に背筋を伸ばす。
「ジュリさん」
振り返れば、ジュリは泣きそうな顔でユノを抱きしめた。
「どうしてついてきたの。危ないでしょう」
「でも……」
「誰かに見つかったらどうするつもり? 捕まってしまったら……」
ジュリはめいっぱいに力を込めて、ユノを叱る。
「ごめんなさい」
ジュリさんを、一人にしておけなくて。
ユノはその言葉を飲み込んで、ジュリの背中にそっと手を回した。
「なんて……全部、ワタシのせいね。ごめんなさい」
怖かったでしょう、とジュリは柔らかな声で呟くと、ユノからそっと手をほどく。
「昔のことを思い出して、なんだかいてもたってもいられなくなっちゃった」
ジュリは暗く染め上げられていくロンドの街を見下ろして、そっと呟いた。
「ワタシが、心から愛した……最初で最後の人のことよ」