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万年筆と宝石  作者: 安井優
四つ目の扉 大聖堂
41/139

4-5 愛してやまない魔女

 不機嫌さを隠そうともしないシエテが、それでもなお、不機嫌の元凶である男のためにポットでお湯を沸かしている。

 そんな状況に、トーマスは思わず口角を上げた。


「なんだ」

 ギロリと向けられた視線は、例のごとく冷たい。

 だが、トーマスには通用しない。トーマスはさして気にした様子も見せずに、隠していた焼き菓子のセットを戸棚から取り出した。


「いいえ、別に何も」

 トーマスが、普通の女性ならば黄色い声を上げてしまいそうな笑みを向ければ、シエテは視線をそらして舌打ちを一つ。

 シエテがトーマスにこういったことで勝てたことなど今まで一度もなかった。


 シエテは、この優男が苦手だ。何を考えているのか全く分からず、偽善者の分厚い皮をかぶるこの男、トーマスが。

 メイへの並々ならぬ思いを感じているだけに、邪見に扱うことすらできない。


 早くお湯が沸かないものか、と苛立(いらだ)たし気にシエテが靴で床をたたく。

「あら、珍しいわね」

 カツカツ、と無遠慮な音に混ざって聞こえた声は、楽器のように美しかった。


「アリー」

 トーマスがその名を呼べば、彼女は気品あふれる仕草でプラチナブロンドの髪をかきあげた。

「お客様がいらしてるのね」

 シエテの目の前に並んだティーカップと、トーマスが持つ洋菓子の缶。それがすべてを物語っている。


「準備が出来たら、お声かけしようかと思っていたんですよ」

「あら、それは嬉しいわ」

 アリーは長いまつげを揺らして、その瞳を弓なりに細める。


 シエテは、アリーと出来るだけ目を合わせないように、湯気を立て始めたポットを見つめた。

 ゆらゆらと立ち上る蒸気が、大聖堂の裏に併設されている火葬場の煙を思い出させる。


 救えなかった魔女たちを、司法裁判官たちにばれないように焼却するのが、魔女協会の務めの一つ。

 美しい彼女たちの瞳が、炎に包まれて溶けてゆく様子が、いつだって頭の片隅にこびりついている。


「お湯が沸いてるわよ」

 シエテは、アリーに肩をたたかれてハッと顔を上げる。

 目の前のポットからは、シュンシュンと激しく煙が上がり続けており、カタカタとフタを押し上げて鳴る金属音が、中に入っているお湯の温度を教えていた。


 慌ててガスコンロの火を止めて、シエテは感傷に浸る意味もないとよぎった悲しみを消し去るように努めた。

(魔女も、人も、いずれは死ぬ……。それは、魔法があっても変えられない)

 分かり切っていることだ。嫌いな人間でさえ、憎み切る前に死んでしまう。愛する魔女は、その思いを伝える前に。


 シエテは、ぐっと手を握りしめた。

 魔女協会を設立したアリーも、いつも明るく振舞うジュリも、いつかはメイと同じように消えてしまう。

 シエテより、二人は先に生まれているし、死ぬのもきっと先だろう。


 魔法を使えば使うほど、寿命は短くなっていく。メイはそう考えたようだが、それが本当かどうかは誰も知らない。ただ、自然の摂理にのっとるのなら、早く生まれたものが早く死ぬ。

 そして、それがいつなのかは、誰にも分からない。


 ポットを置いた銀のトレー越しに、シエテとアリーの目が合った。

「あなたは、本当に素直じゃないわね」

「うるさい」


 アリーも、ジュリも、メイも。いつだってシエテに「素直じゃない」と言う。分かっている。魔女が素直で、魔女を守れるのなら、シエテだってそうしただろう。

 だが、どれほど手を尽くしても――魔法を使おうと、魔女は死んでしまうのだ。


 三人がいなくなったら、誰が魔女を守るのだろう、と不意にシエテの頭にそんな疑問がよぎり、シエテは払拭するように頭を振った。


「最悪だ」

 苦虫を奥歯でかみ殺すようにつぶやいて、シエテはトレーを持ち上げる。

 それでも、魔女の時間は進んでいくのだ。いつだって、左回りに――


(あいつさえ現れなければ、こんなことを考えなくて済んだのに)

 人間なんて、と思いながらもマークの待っている礼拝堂までこうして紅茶を運んでいるのだからバカバカしい。


 シエテの足が不意に入り口で止まる。


 礼拝堂の美しいステンドグラスから差し込んだ光が、原稿用紙を読むメイの穏やかな笑みを照らしていた。

 柔らかで、様々な色彩に揺れる彼女のブラウンの髪。

 メガネの向こうに輝く、吸い込まれそうなほどのエメラルドの瞳。


 シエテが愛してやまない魔女の、そんな姿を見たのは初めてだった。

 心の底から何かを(いつく)しむように、自分のためだけに楽しんでいるメイの姿は、シエテが知っているどんな彼女よりも、生き生きとしていた。


 続いて、柔らかなカーキの癖毛が必死に動く様に、シエテの視線が移る。動いているものを追いかけてしまうのは人も魔女も同じ。

 マークは、礼拝堂に置かれた机に原稿用紙を広げ、一心不乱に万年筆を動かしていた。


 メイとマークの間に流れている時間は――礼拝堂に漂う空気は、ピタリと時を止めたかのように静かで、ただ穏やかだ。

 それは、本に書かれた文字を追う時のように、無心で、時間を忘れてしまう感覚をそのまま可視化したような。


 シエテは、音を立てないように息を飲む。

(……あぁ、やっぱり)

 人間なんて嫌いだ、とシエテは締め付けられるような胸の痛みに目を伏せた。


 自らのサファイアブルーが、銀のトレーに反射して鈍く光る。

 一番嫌いなのは、自分だ。

 シエテは自らの姿をにらみつけ、決別するように視線を切った。


「おい」

 声をかければ、マークとメイは顔を上げ、よく似たグリーンの瞳を細める。

 にへら、とへたくそな笑みを浮かべるのはマークで、柔らかな春のような微笑みを浮かべるのはメイだ。


「おかえりなさい」

 メイの声が静かな礼拝堂の時間を動かし、シエテもまた、そんな礼拝堂へと足を踏み入れた。


 シエテは、手近な机に、出来る限り音をさせないようにトレーをおろして、これでいいのだろう、と二人をねめつける。

 マークとメイが顔を見合わせたのが気に食わなくて、シエテが眉根を寄せると、二人は少しだけ肩をすくめて呆れたように笑った。


 シエテの後ろから聞こえる騒がしい声は、ジュリとディーチェのものだ。そんな二人をたしなめるように、アリーやユノ、トーマスの声も聞こえて、一層辺りは騒がしくなる。


 ――かつて、こんなにも魔女協会が騒がしいことはあっただろうか。


 シエテの無意識に上がった口角に気づいたのはメイだ。

「人生で一番幸せだわ」

 メイの優しい声で、シエテは我に返って口元を覆うが、

「魔女だって、幸せになったっていいのよ」

 とメイは笑った。


「なんの話?」

 メイの笑い声に反応したのか、礼拝堂に入ってきたジュリが楽し気に笑う。みんなもまた興味深そうに、シエテたちを見つめた。


 シエテはフイと顔を背けて、出来る限り平静を装う。

「別に」

 いつも通りのつもりだったが、その発声はよわよわしい。


「素直じゃないわね、ほんと」

 そう言ったのは誰だろう。声の主を判別できないほどに、シエテは自らの心の内に現れた感情をかき消すのに必死だった。

 その言葉に笑った声も、心地が良くて、腹が立つ。

 けれど、それをはねのけることは出来なくて、ただ胃のあたりがムズムズとした。


「さ、みなさん! マークさんのお話をぜひ、読んでちょうだい」

 メイの明るい声が礼拝堂に響く。ユノはもちろん、アリーやジュリ、人が苦手なディーチェも、その原稿用紙に集まった。


 こうなってしまえば、紅茶を注ぐ役目はシエテしかいない。

 洋菓子の缶を開けるトーマスが、そんなシエテに「素直でない」と言う。

「そんなあからさまに嫌そうな顔をなさらず。楽しい時は、笑ったほうが良いですよ」

 かくいうトーマスの笑みは、嘘くさい、とシエテは彼を一瞥(いちべつ)した。


「別に」

「昔のシエテは、よく笑っていた」

「うるさい」

 昔の話をここで持ち出すようなやつは一番嫌いだ、とシエテは思う。


「悪くない、と言えば満足か」

 シエテは乱暴にポットとティーカップを掴み上げて、ドボドボとお湯を注いでいく。出来るだけ、自分の声がかき消されるように。


 シエテが吐き捨てたセリフに、トーマスは珍しく声を上げて笑う。

「お前も、昔の方がよく笑っていた」

 シエテがそう言ってやれば、トーマスは再び笑った。

 いつもは美しい、中性的な顔がしわくちゃになっていく様は、やけに小気味良かった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 41/41 ・シエテの目線ですね。かなりパワーあります [気になる点] >>いつもは美しい、中性的な顔がしわくちゃになっていく様は、やけに小気味良かった。  尾を引く。後ろ髪を引っ張ら…
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