1-4 孤独な作家
ユノは、たじろぐマークの姿を見つめて、困ったように眉を下げた。
「なんて。こんなことを言うから、魔女は嫌な奴だと思われちゃうんですね!」
冗談のように笑って見せるが、それが強がりであることくらい誰にだってわかる。
「ただ、あなたを助けたかったんです。本当に、それだけです」
マークにとって、彼女が命の恩人であることに間違いはなかった。砂浜で倒れる直前に見たのは彼女の姿だったし、ここまで運んでくれたのも彼女だろう。
それがどんな理由であろうと。
「そ、そりゃまぁ! これで少しは魔女の株も上がるかなぁ、なんて思ったりもしてますけど!」
ユノは嘘が下手だ。話している最中も視線があちらこちらをさまよっていた。
彼女の気遣いを感じて、マークは嘆息した。
「僕は情けない人間です」
マークは乾いた笑い声をこぼし、それから、ぐっとこみ上げてきた気持ちを無理やりに押し込めた。
「僕の家族も、魔女裁判によってうばわれました。妹に魔女の疑いがかかって」
ユノは目を見開いた。だが、黙ってマークの話に耳を傾けた。
彼女は、慰めや励ましの言葉が意味をなさないことを知っていた。
マークの柔らかなフォレストグリーンの瞳は、どこか暗く沈んでいる。
「僕はずっと死にたかった。でも、家族を思うと死にきれなくて……一人で……」
彼が顔を上げると、ユノは小さくうなずいた。
「お兄さんも、ずっと一人で生きてきたんですね」
ユノの切なげに揺れる、夜空を写し取ったような、宝石のような美しい瞳が、マークの心を少しばかり落ち着かせる。
「すみません。助けていただいた上に、こんなことを」
今まで誰かに打ち明けたかった。だが、口にすれば裁かれる。そう思うと、言葉にすることすら許されなかったのだ。
マークはようやく、胸のつかえがとれたような気がした。
「少しすっきりしました」
マークがへたくそな笑みを浮かべる。
それを見たユノもまた、彼と同じように、くしゃくしゃの……泣いているような笑顔を見せた。
窓から潮風が吹き込み、マークは風の入ってきた方へと視線を向ける。
外には凪ぐ海が広がり、ユノの瞳と同じ色を浮かべていた。月がぼんやりと海面に反射して、波のリズムに合わせて揺れた。
「良いところでしょう」
ユノは潮風にさらわれた髪を柔らかに撫でる。
「私たち魔女にとっては、これ以上ない楽園です」
(昨日までは、彼女だけの安寧の地だったに違いない)
マークは、自らの存在を受け入れてくれている目の前の少女に、なんといえばいいのか迷って口を閉ざす。
(素直に、感謝しなくては)
魔女とか、人とか、そんなものに関係なく、マークがすべきことはそれだけだった。
波の音が二人の空白を埋め、淡いブルーのカーテンが二人の距離を埋める。
「僕を助けてくれて、ありがとうございます」
マークの遅くなったお礼に、ユノはクスクスと肩を揺らして笑う。
「魔女にお礼を言うなんて……お兄さんは、変わってますね」
「そうでしょうか?」
マークが不思議そうに首をかしげると、ユノの淡いピンクの唇が弧を描いた。
「普通は、魔女を殺します」
「もしもそれが普通だと言うなら、僕は……変わり者で良い」
マークの言葉に、ユノは目を見開く。
月の光を受けて、ゴールドのきらめきが彼女の瞳を彩った。
「まだ、死ねませんね」
私も、あなたも。ユノの声と波の音が、静かに混ざる。
ユノの瞳は、マークの心を不思議と穏やかにさせた。
見る角度によって変わる瞳の色のせいか、それとも、宝石のような美しさに引き込まれているせいなのか。
――これも、魔法なのだろうか。
「あ、見てください」
窓枠の外に手を伸ばし、指で何かを示すユノ。マークはゆっくりとベッドから立ち上がり、ユノの隣に並ぶ。
隣に並ぶと、彼女は想像していたよりも小さくて華奢だった。
「ほら、あそこ。お兄さんが書いたお話がまだ少し残ってます」
ユノの細く長い、綺麗な人差し指の先に、いびつな凹凸を描く白い砂浜。確かに、マークの書いた物語の断片がまだそこには残っている。
「なんだかいつもより、景色が綺麗に見える気がします」
その言葉が嘘でないことは、ユノの表情を一目見れば分かった。
きらめくジュエルアイ。
それが、マークにも世界を美しく見せた。
ユノはしばらくその景色を楽しむと、マークの方へ向き直った。
「もしよかったら、お名前をお聞きしてもいいですか?」
いつまでもお兄さん、というのもなんだか恥ずかしいので、と顔を赤らめた少女に、マークもつられて頬を染める。
「あ! す、すみません! 確かにそうですよね!」
マークにとっても――もちろん変な意味ではないが――お兄さん、というのは妙な気分になってしまうというものである。
マークはコホン、と咳払いを一つして、体ごと、ユノの方へと向き直った。
「僕は、マーク・テイラーといいます」
今更恰好をつけたところでどうしようもないが、だからと言っていつまでも情けない姿を見せるわけにもいかない。
名前を聞いたユノは、なぜか目を一段と輝かせた。
「テイラー? だから、お話を?」
ストーリーテラー。物語の語り手。彼女はそう理解したのだろう。
マークは残念ながら、と苦笑する。
「仕立て屋のテイラーです。先祖代々、仕立て屋の家系で」
ユノは、早とちりをしてしまった、と恥ずかしそうに頭をペコペコと下げたが、
「でも」
と言葉を切って、口元に手を当てた。
マークがいつも物語を書くときにそうするように、彼女もまた、言葉を探しているようだった。
「マークさんのお話は、今までに読んだどのお話よりも素敵でしたよ」
思ってもみなかった彼女からの言葉に、マークは目を丸くした。
「僕の話が、素敵?」
「はい、とっても面白いです」
ユノの笑みは、それは大層美しかった。
どうやらマークの聞き間違いではなかったようだ。
「聖女か、天使か、女神か……」
マークはポツリと呟いて、思考を停止させる。
――僕の物語が、面白いだなんて。
「私は魔女ですよ?」
マークの前でヒラヒラと手を振るユノは、どこか楽しそうであった。
だが、しばらくマークの意識が戻ってこないことに気づき、その表情が曇る。最終的に、ユノの表情からは、完全に笑みが消え去った。
「マークさん? マークさん?!」
体をゆすっても、頬を軽くたたいても、マークの返事はない。
いくらか回復したとはいえ、マークは長い間冷たい冬の海にさらされ、体力も底をついていたのだ。彼が気づかなかっただけで、決してまだ万全ではなかったのである。
マークの意識は再び深い闇に引きずりこまれ、ユノはといえば、再びそんな彼の体をなんとか引きずって、ベッドの上へと戻すことになったのだった。
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マークは、木漏れ日の差し込む森林で目を覚ました。
やはりベッドだけが――いや、ベッドと、その脇で寝息を立てている少女の姿だけがやけにリアルな空間であった。
今度は、夢でも、幻でも、ましてや天国とも思わなかったが。
「この景色を、物語にしたら……」
この少女は喜んでくれるだろうか。
万年筆を右手で探し、それからクスリと一人ほほ笑む。
「僕はまだ……死ぬわけにはいかないみたいだ」
孤独な作家、マーク・テイラー。
彼は今日まで、一人、生きてきた。
――死に場所を求めて