3-16 ストーリーテラー、君の名を
翌日から、ユノはさっそく新聞社へと訪れて、マークを手伝うようになった。
とはいえ、原稿をチェックしたこともないユノにとっては、それこそ右も左も分からない初めての仕事。
どこから説明したものか、とマークが自らの原稿を目の前に頭を抱えた時、部屋の扉がノックされた。
「入るよ」
この部屋の主、社長の声に、ユノがびくりと姿勢を正す。念のために、とジュリに魔法をかけてもらっているので、誰が見たって今のユノは普通の人なのだが、魔女であるということを自覚しているユノには、長年染み付いた人間への恐怖は簡単に消えない。
「大丈夫、この新聞社の社長です」
マークがこそりとユノに耳打ちをして、扉の方へと向かっていく。バクバクとうるさい鼓動を落ちつけようと、ユノが息を吸った瞬間には扉も開かれ、ユノは吸ったまま息を止めた。
驚いたのは社長である。
マーク一人だと思っていた部屋に、他にも人が――それも、可愛らしい女の子が座っているのだ。
ブラウンの落ち着いたミディアムボブと明るいアーモンドカラーの瞳は、どこにでもいる……珍しくもない一般的な女性のものだが、整った容姿は目を惹きつけた。
「マーク……その子は」
息子のように思ってきたマークに、女性の影など。いや、マークに限らず、朝から晩まで休みなく働き通しの新聞社の人間に、彼女や妻を作る時間はほとんどない。
パクパクと口を開閉するだけで、言葉もままならない社長に、マークは慌ててユノを紹介する。
「推敲をお手伝いしてくれることになったんです!」
「ユノ・トワイライトです。よろしくお願いします」
ユノも慌てて立ち上がって頭を下げたが、それは、ユノ自身、不安の表情を隠すためでもあった。
「そ、そうか……。えっと、彼女は……」
どこで知り合ったのか。魔女なのか。一体、どういう関係なのか。
社長はいくつもの質問を飲み込んで、メガネのフチをくいと押し上げる。
「僕の命の恩人です」
マークのシンプルな答えに、社長は息を飲む。
「そうか、君が……」
ゆっくりと視線をユノの方へ向ければ、彼女はおびえたようにその視線をそらした。
「魔女のことは、知っているよ。君を司法裁判官へ突き出したりはしない。私は、この国の伝統と歴史を守りたいだけなんだ」
社長の言葉に、ユノはゆっくりと顔を上げた。
「ジュリさんと、シエテさん、それにトーマスさんが来たんです。魔女集会の後に」
マークがあの日のことを思い出して苦笑すれば、ユノは驚いたように目を見開いた。社長はバツの悪そうな顔をして
「詳しくは聞かないでくれ。私も反省しているんだ」
そう言ったものだから、ユノは「なぜジュリさん達が」そんな疑問を飲み込んだ。
「とにかく、私は友人の説得に忙しくてね。なかなかこちらには顔を出せないが、マークの物語をよろしく頼むよ」
社長から差し出された手を、おずおずとユノがとれば、社長は柔らかに笑う。メガネの奥に光るブルーの瞳に、ユノも少しばかり安堵した。
原稿をチェックする、という仕事については社長がユノへ基本を教えてくれた。
「難しく考えなくていい。まずは、スペルの間違いを探すんだ。それから、主語と動詞のつながりを。分かりにくい表現は、印をつけておくといい。わざと分かりにくく書いている場合もあるから、後で書いた本人に確認させろ」
さすがは新聞社の社長。手本を見せながら、ユノに分かりやすく説明している。
「マークも初めは素人だった」
マークは、原稿へ走らせていたペンを止め、社長を見つめる。
「教訓だ。恥ずかしいことじゃない」
社長がフッと笑みを浮かべ、原稿へ戻れ、と目で訴える。ユノは興味深そうに、社長の話に耳を傾けた。
「孤児院の子供は、文字が読めないと思っていたよ。だが、マークは違った。本が好きだったんだな。スペルの間違いを見つけるのが得意だった。君を見ていると、なぜかそれを思い出す」
社長の昔話を、マークは恥ずかしそうに聞き流していたが、社長は気にする素振りもなく続けた。
「とにかく、言葉にひたむきに向き合っていたよ。マークに渡した辞書はどれも付箋やチェックでいっぱいでね。何度も彼が読み返すものだから、すぐにくたびれていて、同僚たちも驚いていたな。新しいのを買ってやれと、頼まれたこともある」
そんな裏話が、とマークは苦笑した。新聞社の同僚たちは、お互いに忙しさもあって、あまり干渉しない。マークのように複雑な家庭環境のもとで育った人間もいるし、言葉の重みを知っているからこそ、不用意に会話を交わしたりもしなかった。
だが、きちんと気にかけてくれていたのだ、と知り、マークは無意識のうちに頬を緩めた。
ユノはチェックを入れた原稿用紙に目を走らせながら、話を聞く。社長も、口ばかり動かしていてはいけない、と再び手を動かした。
「だが、表現は下手だったな。新聞記事向きではない、という意味でね。新聞は客観的事実を正確に書かなければならない。読む人が理解できるよう、分かりやすい文章で書くことを求められる」
ユノはその言葉を受けて、原稿用紙から顔を上げる。社長の言葉を誤解のないように言い換えるには、と言葉を探して、
「詩的だった、ということですか?」
そう尋ねれば、社長は懐かしむように目を細めた。
「そうだな。マークの文章は美しかった。物語と見間違えるほどに」
まさか本当に本を書くなんて、と社長は呟いてから、立ち上がる。
「君なら、マークの物語に寄り添ってやれるだろう。私は、あまりにも新聞記事に触れてしまって、物語を推敲することは出来ないが。その点、君は大丈夫そうだな」
滅多に見せない笑みを漏らし、赤ペンの入った原稿用紙の束をマークの脇へと置く。
「友人があまりにも首を縦に振らないものでね。嫌になって帰ってきてしまったんだが……もう一度、彼のもとへ行ってくるよ。私は、この本が世に出た時、新聞記事の見出しをマークの名前で埋め尽くしてやりたいんだ」
社長は冗談みたいにさらりと言ってのけた。
「ストーリーテラー、君の名を」
痛快だろうな、と言い残して、社長は再び、冬のロンドの雑踏へと消えていった。
「素敵な方ですね」
ユノの表情は、社長に会う前のものから一変して、いつもの美しい笑みに変わっている。マークもつられてうなずくと、ユノは再びペンを握った。
魔女に恐怖を抱いている人ばかりだと思っていたが、イングレスにもまだまだ魔女を思ってくれている人がいる。
マークの物語を、自分と同じように愛してくれている人がいる。
そんな安心や希望が、ユノの心を強くする。
マークも、ユノと同じような気持ちを抱く。社長の祖母が魔女だと聞き、社長が伝統と歴史を守りたいといった言葉の意味を知り、マークの思いは強くなるばかりだ。
「社長のためにも、本を完成させたいんです」
友人、というのも出版社の人間だろう。マークのために何度も足を運んで、社長は頭を下げてくれているのだ。
「きっと、大丈夫です。マークさんなら」
ユノは、自分なら出来る、とジュリや社長に背中を押されたことを思い出して、マークにも同じ言葉をかけた。
「マークさんなら、大丈夫です」
マークの物語によって、ユノの夢は、漠然とした祈りから、絶対にかなえたい未来になった。
そのことをマークは知らないが、ユノにはそれくらいの衝撃だったのだ。
たった一つの物語が、人生を大きく変える。
それは、物語がもつ魔法に他ならない。
「必ず、本にしましょう」
そして、多くの人々を、この国を変えるような大事件に、新聞の見出しをストーリーテラーの名前で埋め尽くすような出来事にしよう。
ユノの言葉に、マークは小さく口を結ぶ。
「必ず」
それは、別れを告げた時と同じ約束だった。
インクまみれになったマークの手と、赤いインクがかすれたユノの指が、原稿用紙の上を駆け抜けていく。
二人は、一言、一文、全てにその思いをのせて、国を変える日を夢に見た。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
今回で、第三章もおしまいとなりますが、イングレスでのマークたちの生活や、魔女協会の真実などなど……楽しんでいただけましたでしょうか??
続く第四章では、魔女協会にいる魔女たちにスポットが当たっていきます。
引き続き、マークたちの行く末や、イングレスの未来を見守っていただけましたら嬉しいです。




