3-12 戦う聖職者
執筆を続けるマークのもとにトーマスがやってきたのは、あの司法裁判官なりすまし事件から一週間ばかりが過ぎたころだった。
「先日はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げ、菓子折りをこちらへと差し出すトーマスに、マークもつられて頭を下げる。
「むしろ、社長がご迷惑をおかけしてすみません」
言い出したのは社長だ。たとえシエテがここへ乗り込んできたことが発端だとしても。
マークが菓子折りを受け取るまでは頭を上げることが出来ない決まりでもあるのか、トーマスはうつむいたまま。
「どうしても、受け取らなければいけませんか」
「できれば。こんなことでは気もすまないでしょうが、どうぞお受け取りください」
そういうわけにはいかない、と思うが、このままここでトーマスに謝罪を続けられるというのも困る。
「それじゃあ……等価交換、ということで」
マークが苦々しい顔で菓子折りを受け取ると、ようやくトーマスは顔を上げて胸をなでおろした。
(思っていた以上に真面目な方だ)
マークは手に持った菓子折りへと視線を落とし、あぁ、と一人考えにふける。
(真面目過ぎるくらいじゃなくちゃ、務まらない、ということかな)
セントベリー大聖堂には魔女協会があり、魔女が生活している。当然、大聖堂に勤める聖職者たちは、そんな魔女たちと日常的に接しているだろうし、彼女たちを一番に守る義務があるのだろう。
少なくとも、マークが心変わりでもすれば、トーマス達はもちろんのこと、この国にいる魔女は全員魔女裁判で死刑にされてしまう。
今のイングレスで魔女の秘密を話す、ということは、そういった生殺与奪までを相手に握られる、ということだ。
(お金が入ってるわけじゃないだろうな)
まさか、とマークが菓子折りを凝視すると、今度はトーマスが苦笑した。
「中はただのクッキーです。一応、慈善事業なので」
顔に出ていたのだと知れば恥ずかしく、マークは「すみません」と再び謝罪を口にする。
「マークさんは、面白い方ですね」
「そう、でしょうか」
「非常に興味深いです。職業柄、様々な人とお会いしてきましたが、マークさんのように繊細で大胆な方にはお会いしたことがない」
繊細で、大胆。
まるで相反するような言葉の並びに、マークは思わず首をかしげる。
「褒め言葉です。どう申し上げるのが適切なのかは分かりませんが……確かに、マークさんの書く小説はとても面白そうです」
トーマスがキュ、と目を細めれば、彼の見目麗しい中性的な顔立ちに磨きがかかった。
「本の状況はいかがです」
トーマスがチラリと目をやったのは、マークの後ろにある机だ。インクを重石代わりに原稿用紙が数枚、机の上に広げられている。
「やはり、出版社探しが一番の肝です。今は、社長が伝手をあたってみると」
マークの返答に、トーマスは、ふむ、と口元へ手をやった。
「そうでしたか。ユノさんが、とても気にされているようでしたので」
「ユノさんが?」
「えぇ」
ユノと最後に別れてから今日で一週間と一日。
当然互いに連絡手段はなく、彼女がどうしているのか、マークには一切分からない。
そんな中届いた、ユノがマークの本を心待ちにしてくれている、というトーマスの言葉に、マークの胸はじわりとあたたかくなった。
「何か私たちにもお手伝いできることがあるといいのですが」
「そこまでしていただくわけには」
ユノたち魔女もそうだが、魔女にかかわる人々は皆、なんて優しいのだろう。
マークはただひたすらに感嘆の目をトーマスへと向けた。
「あの……一つ、質問をしても」
何かを考え込んでいたようなトーマスは、マークの言葉にピクリと反応した。そのまま、柔らかなまなざしをマークへと向ける。
「何でしょう」
「どうして、そこまでしてくださるんでしょうか」
『はじまりの魔女』を信仰している大聖堂の聖職者たちが、その血を継ぐ魔女たちに敬意を払うことには理解できる。
だが、マークとトーマスは、そういう関係性ではない。友達ですら。
「困っている方がいらっしゃれば、手を差し伸べるのは当然のことですよ」
あっけらかんと答えるトーマスは、やはり聖職者で――模範解答のような返答には、マークも驚くばかりだ。
「……というのは、建前です」
マークの反応に肩をすくめて笑うトーマスは、烏の濡れ羽色の髪をそっと耳にかけた。そこにきらめいて見えるエメラルドのピアスを指でなぞる。
「私には、夢があります。魔女と人が昔のように共存できる世界を取り戻す、という壮大な夢です。マークさんの本は、私にとってチャンスの一つにすぎません」
それは、トーマス一個人としての本音であった。
「命を賭けてでも、チャンスがあるなら掴みたい。それは、マークさんも同じでは?」
トーマスの瞳は、黒くツヤめいていて美しかった。
聖職者としての信仰心はさることながら、トーマスにはトーマスなりの覚悟と強い決意がある。
マークは、過去の自分を――そして、ずいぶんと覚悟が決まったと思っていた今の自分を恥じた。
「つまらないことを聞いてしまいました」
マークが頭を下げると、トーマスは「いいえ」と柔和な笑みを浮かべる。
「大切なことです。同じ戦場に立つもの、背中を預けることになるわけですからね」
聖職者のイメージからはかけ離れた物騒な物言いだったが、マークは彼のその言葉にむしろ好感を抱く。
「確かに、ここから先は長い戦いになりますね」
マークが小さく嘆息すると、トーマスも静かにうなずいた。
「歴史を変える戦いです。我々国民が、王たちに下剋上を果たすための」
(そういう奇跡を、僕たちは魔法と呼ぶのだろう)
マークは、トーマスの真剣な表情にそんなことを思う。
イングレスの地に戦いを挑もうと考えている人は、マークの想像している以上にたくさんいるのだろう。それが心強く、マークを支えてくれる。
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「トーマスさんのことも、お話にしてもいいですか」
マークが突拍子もなく言えば、トーマスは驚いたようであった。
「私が、マークさんの小説に?」
「戦う聖職者って、かっこいいと思うんです」
「戦う聖職者」
トーマスは、マークの言葉を反芻し、笑みをかみ殺すようにして肩を震わせた。
「最高です。私でよければぜひ」
トーマスが珍しく前のめりにそう言ったものだから、今度はマークが笑ってしまった。
トーマスは何かを思い出したように「あぁ、そうだ」と声を上げる。
「それなら、ついでにもう一つ、お話のタネになりそうなものを」
アイデアはいくらあっても困らないだろう、ということだろう。マークも、それは大歓迎だ、と早速万年筆とメモ帳を取り出す。
「私の昔話になりますが……」
切り出された話はトーマスの過去。マークも真剣に耳を傾けた。
「私は、アリー達と同じ病院で生まれましてね。小さいころから体が弱くて、入院を繰り返していたものですから、アリーとは自然と仲良くなりました。そんなある日、私はある少女と出会うことになったのです」
トーマスは遠くへと視線を投げ、それから、目の前にいるマークへとその視線を戻した。
マークのフォレストグリーンの瞳に、トーマスはなつかしさを覚える。今もなお、彼女はそばにいるというのに――。
「私の命を救ってくれた少女、メイとの出会いです」
「メイ……」
どこかで聞いた名前だ、とマークが顔を上げれば、トーマスが小さくうなずいた。
「魔女協会の設立者の一人、夢見の魔女、メイ・エスメラルダです」
マークはメモに走らせていた万年筆をピタリと止めた。
ザワザワと、期待とも、不安ともつかぬ気持ちがマークの心の内側を静かに駆け抜ける。
だが、それが、トーマスの語り口調のせいなのか、それとも何かもっと別の直感的なものなのかは分からなかった。